動画で楽しむDano(381)

2017-04-25 21:25:57 | Dano Movies(洋)
Minks - Funeral Song | Newtown Radio | Swan7 Studios | Presented by ProAudioStar.com


こちらは定冠詞のつかないミンクス。ブルックリンを拠点に活動していたが、2014年に活動を停止した。この動画でMod6を弾いているのがショーン・キルフォイルで、このグループの中心的な人物だった彼は今でも音楽活動を続けている。
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動画で楽しむDano(380)

2017-04-24 00:06:36 | Dano Movies(洋)
Tngri - Kochab (clip live in Lindenpark)


Tngri(ティングリと読む)は2016年に結成されたフランスのアンダイエ出身のポストロック・グループで、民俗音楽にインスパイアされたエキゾチックなサウンドを特徴としている。この動画ではメンバーの一人が59DCを弾いている。

ティングリとは、アジア北方の遊牧民族に共通する「天」や「神」のような宗教的な概念で、澄み切った青空を意味するとのこと。
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動画で楽しむDano(379)

2017-04-23 10:57:36 | Dano Movies(洋)
The Minks Live @ Meal Ticket 1/15/16


ザ・ミンクスはナッシュヴィルのバンドで、ブルージーなサイケデリックロックを主に演奏している。ヴォーカルのニッキ・バーバーはこの動画ではシルバートーンの1457を使用しているが、ピックガードの大部分を取り去っている。フロント・ピックアップの周りだけくりぬいたようなピックガードは確かに弾いていて邪魔になる気もするので、気持ちはわからないでもないのだが。
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動画で楽しむDano(378)

2017-04-22 09:08:09 | Dano Movies(洋)
Hawaiian Gremlins - Give It Up


ハワイアン・グレムリンズはメキシコのバンドで2013年頃から活動しているよう。
そのサウンドはちょうどYouTubeのコメント欄に、ビーチ・フォッシルズとマック・デマルコとジョイ・ディヴィジョンを足したようなものだとあったので、それを使わせてもらう。

メンバーの名前はわからなかったが、この動画ではギターの人がDEAD ON 67を弾いている。蛇足ながら、オープニングとエンディングの歌はビーチ・ボーイズの「ココモ」。
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動画で楽しむDano(377)

2017-04-21 00:10:23 | Dano Movies(洋)
Lucius-Don't Just Sit There (Bing Lounge)


リュシアスはヴォーカルの女性二人、ジェスとホリーがいわゆる「憂鬱と官能を教えた学校」バークリー音楽院で出会い、もっと意外性に富んだ音楽をやるために仲間たちと組んだバンドである。2005年から活動しているとのこと。民謡のような、ハワイアンのような中世・バロックの音楽のような要素が合わさりつつ、何とも形容しがたい音楽を作り続けている。

この動画ではギターのピーター・ラリッシュがシルバートーンの1457を弾いている。
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ホシナトオル 「broken records」

2017-04-19 23:50:08 | Music Life
ホシナトオル - 寝ても覚めても (audio only)


ホシナトオル 「broken records」

このアルバムは2、3年ほど前にリリースされたものだけれど、CD化されたときに手に入れて聴いている。

ジャケットのくたびれたクマのぬいぐるみに、もし見覚えがある人がいたら、その人はホシナトオルと私のご近所さんである。ご近所さんといえば、CDが届いた時にわかったのだが、私とホシナトオル氏は実はすぐ近くに住んでいるのである。それなのに実際に会ったことはなく、もっぱらネットでの細々としたやりとりのみをしている。そうした距離感がお互いにとっていいのだと思う。

「broken records」が出たときはシティポップの文脈で評価する向きが多かったし、「はっぴいえんど」や「サニーデイ・サービス」との類縁性についても語られていたような覚えがある。確かにサウンド的にはヤング・ラスカルズなど、シティ・ポップの創始者たちが影響を受けた音楽を思わせるようなものだったり、少し冷めた感じや気怠さだったり、両者に通じる部分はあるように思う。

60年代の「政治の季節」が終わって、いわゆる「祭りの後」の白々した雰囲気と現代の白けた空気というのもどこか似ているのかもしれないが、ホシナトオルの根底にある疲労感やニヒリズムはもっと深く複雑なもののように思える。

例えば、いつまでやっても終わらない仕事、そんなに気持ちの良くないセックス、どんなに眠ってもすっきりしない目覚め、どこへも連れて行ってくれない音楽やアート、全てを忘れさせてくれて弾けさせてくれるわけでもないアルコールなどなど、結局そんなものかと失望し、諦めてしまわざるをえないような、ぼやっとした感じ、ずるずるだらだらした感じ。

ある部分ではとてもいい加減なのに、ある部分にはとても不寛容、そんな真綿で首を絞められているような状況にあって、このままではジリ貧であると知っていても、ここから出たところで何かが好転するわけでもないこともわかっている。居場所はないわけではないし、声に出して訴えたい不満があるわけでもない。身動きできないほど縛られているわけではないのに、特に何かしたいわけでも、動きたいわけでもない。ただなんとなく疲れている。

このように、実は深刻で重い現実があるのに、それがまるで虚ろにふわふわと漂っているような手ごたえのない世界に向き合うにはサウンドとユーモアの感覚が必要だ。ホシナトオルの楽曲はその距離とバランス感覚において絶妙だ。

こんな世界をホシナトオルはくたびれたクマのぬいぐるみのように佇みながら歌う。自らも雨風にさらされ、埃にまみれながらもその歌は聴く者を時には激しく揺さぶりながらも優しく癒す。
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渡来宏明「POP MONOLITH」

2017-04-18 20:48:59 | Music Life
シューティングスター/渡来宏明 ポップモノリス(2016)より


渡来宏明の3枚目のソロアルバムは2枚組の大作であり、それには「POP MONOLITH」というタイトルがつけられた。

「モノリス」とはギリシャ語のモノスとリトスが結合した言葉で、直訳すれば「唯一の石」といったような意味になる。何もない砂漠のようなところにただ一つ屹立する孤高で巨大な石というようなもので、自然界にも存在するものであるが、多くの人々にとって「モノリス」といえば、アーサー・C・クラークが原作でスタンリー・キューブリックが映画化した「2001年宇宙の旅」に出現する漆黒の石板のような謎の物体を思い浮かべるだろうし、渡来宏明本人もそのようにイメージしていることは、本人の手になるジャケットを見れば明らかであろう。

渡来宏明は今回のアルバムでは前作「How to Rock」以上にバラエティに富んだ楽曲群を揃えていて、このことはザ・ビートルズの2枚組のアルバム、通称「ホワイト・アルバム」が意識されていることは言うまでもないが、さすがに4対1、オノ・ヨーコも加えれば5対1となる戦いには渡来宏明といえどもさすがに及ばずといったところである。しかしその戦いに勝利することがこのアルバムの一番の目的ではなく、「2001年宇宙の旅」のモノリスがそうであったように、それに触れた者に知恵を与え、生き方を変えること、もしくはありとあらゆるポップ・ミュージックの歴史の流れや様々な手法が蓄積されたアルバムを作ろうとしたのである。これはモノリスに知恵を授かった猿とも違い、ピラミッドのような偉大な過去の遺産を作り出した孤独な王様とも違い、音楽そのものが衰退している時代において、ポップ・ミュージックのあらゆる要素を遺伝子レベルに刻み込んだスター・チャイルドの出現に賭けているわけだ。

かつて詩人のマラルメは「世界は一冊の書物に至るために作られている」と言い、「究極の書物」を夢想した。同時にそのような「究極の書物」を書くことの不可能性を逆手に取り、未完であり、挫折に満ちた詩作を続けるというアイロニカルな態度を保った。

翻ってポップ・ミュージックの歴史を眺めてみれば、ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが挑み、1967年にリリースされるはずだったが挫折を余儀なくされた未完の「スマイル」というアルバムが、それゆえに「究極のポップ・ミュージック」として神聖視され、「もし完成していたらポップ・ミュージックの歴史は変わっていたに違いない」と長い間考えられてきたのである。これもまた一つのロマンティック・アイロニーであろう。

―古きものを打砕き
砕け散った破片を集めてつぎはぎの家を作る、
これなら人間にも出来ぬことはない。
籠や手桶をぶらさげて、石の上に石を積み、
滴に滴を加えていって、
それを人間は芸術と言い学問と呼んでいる。
神は無から創造する、だが俺たちは廃墟から創造する。
俺たちがなんであるか、俺たちに何が出来るかを知る前に、
俺たちはまずわが身を打砕かなくてはならないのだ。
―恐るべき運命よな。―がそれも止むを得ぬ。

(クリスティアン・ディートリッヒ・グラッベ「ドン・ジュアンとファウスト」)

未完の「スマイル」は、これまでにもビーチ・ボーイズマニアによって残された断片が編集され、数多くの「マイ・スマイル」が生み出されてきた。それが2004年にブライアン・ウィルソンのソロ名義で「スマイル」が「完成」されたとき、それさえも数多くの「マイ・スマイル」のヴァリエーションの一つでしかないようなものに思えたし、その「完成」によってポップ・ミュージックの歴史を変えることはできなかったのである。

それでは渡来宏明の「POP MONOLITH」はどうか。少なくとも彼はここにおいてアイロニカルな態度とは縁を切っている。これを聴いてポップ・ミュージックのあらゆる秘密を知り得た者はさらに新しいポップ・ミュージックをつくるだろう。しかし、ここから何も聴き取ることができなかった者は音楽的な実践をいつか諦めてしまうだろう。

衰退しているがゆえに、かえってどこにでもあふれかえっている現在の「音楽」が互いを写しながら虚ろに空間を漂っているその動きに耳を奪われていると、漆黒のモノリスは気づかれないままかもしれない(このジャケットのイラストはそのような現在を示唆しているように見えないか)。その存在に気づける者だけが新しいポップ・ミュージックの世界を切り開き、そのときにこそ音楽は以前持っていた力を取り戻すだろう。その時が来るまで「POP MONOLITH」はただ屹立し続ける。
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CHILDISH TONES NERD, GEEK & WEIRD

2017-04-15 21:17:42 | Music Life
CHILDISH TONES - BOYS DON'T CRY



Childish Tones 「NERD, GEEK & WEIRD」

Childish Tonesは、玩具楽器によるローファイなサウンドでガレージパンクを演奏するバンドである。

こういう発想自体は、酔っぱらったときなどに誰もが思いつくレベルのものであるが、実際にやってみるとなかなか難しく、面白がっているのは演奏している本人たちだけということになりがちなものである。ところが彼らの場合、この試みは例外的に成功していて、聴いていてもとても面白い。その面白さは彼らが音楽と非音楽の、あるいは楽音と非楽音の境界線上に立っているからだろう。実はこれこそが音楽の最も普遍的な立ち位置であるはずであって、そこにスリリングな面白さがあるはずなのである。自分が演奏しているものが音楽であり、楽音であることを微塵も疑ったことのない者のつくりだすものが退屈であるのは、つまりはそういうわけなのである。

また、境界線上に立つということは断ち切るということでもある。つまり、こどもは大人になるための連続した準備過程ではなく、玩具楽器は本物の楽器の代用品ではないのであって、こどもはこどもとしての自立した価値を持ち、玩具楽器は玩具楽器として独自の価値を持つ。


さて、ここで思い出されるのはギュンター・グラスの原作をフォルカー・シュレンドルフが映画化した「ブリキの太鼓」である。

3歳にして身体的な成長を止めた主人公オスカルは3歳の誕生日に買ってもらったブリキの太鼓を常に離さない。玩具であるブリキの太鼓に絶対的な価値を与え、その太鼓とともに成熟した子どもとして生き、権威や常識に安易に追従し安住する小市民の臆病さ、打算性、邪悪さや退廃を明るみに出していく。

Childish Tonesの音楽が時に凶暴さを垣間見せるのは、我々のそうした小市民的な感覚に原初的な力で揺さぶりをかけてくるからに他ならない。
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動画で楽しむDano(376)

2017-04-13 00:01:48 | Dano Movies(邦)
DYGL - Let It Sway (Official Video)


DYGL(デイグロー)は先日活動を休止したワイキキビートの3人がメンバーにいるが、活動そのものは2013年から始まっていた。

DYGLのギターを担当しているのはシモナカヨースケ、この動画では59DCを使用している。ストロークスのギターの人がプロデュースしているせいか、この曲もストロークスっぽい。
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動画で楽しむDano(375)

2017-04-12 19:21:30 | Dano Movies(洋)
Jessica Lea Mayfield - Do I Have The Time (Live on KEXP)


ジェシカ・リー・メイフィールドはオハイオ州に生まれ、8歳の頃からファミリーバンドに参加しブルーグラスなどやっていたという。

最初のレコーディングは15歳の時で、それがダン・オーバックの目に止まり、一緒にレコーディングをしたりしてからというもの、音楽的にはかなりラッキーな環境で活動しているといえるだろう。

彼女はやはり、アコギを弾くことが多いのだが、この動画ではDC12を弾いている。
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