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リチャード・トンプソンのダンエレクトロ

2024-08-16 18:21:22 | Dano Column


上の画像でシーフォームグリーンのダンエレクトロを抱えてポーズをとっているのはフェアポート・コンヴェンションのオリジナルメンバー、リチャード・トンプソンである。こんな画像があるからにはライブでもダンエレクトロを頻繁に演奏しているのではないかと動画を探してみたのだが、見つけることはできなかった。そのかわりと言っては何だが、ちょうどこの画像について、ネット上で質疑応答がされている書き込みを見つけたので紹介しておこう。

http://www.richardthompson-music.com/QAgeartunings.asp

質問者はその画像のダンエレクトロはあなたのものかと尋ねたのだが、リチャードさんは時々色だけで選んだギターでフォトセッションをすることがあると答え、自分を気取り屋と言い、恥ずかしいとも言っている。なのでおそらく、このダンエレクトロはリチャードさんのものではないのだろう。だが、発言の続きで、ダンエレクトロは古い友人で、たくさんのレコーディングで使用したとも言っているので、昔から何本かは所有してきたのではないかと思われる。

また、あなたはダンエレクトロの隠れファンだったりするのですか、という質問に対しては、イエスと答え、バリトンやベースも好きだと言っている。

リチャードさんがレコーディングでダンエレクトロを使用した楽曲として思い浮かぶのは「Word Unspoken, Sight Unseen」と「Crawl Black」だそうだが、実際それらを聴いてみた限りでは、それらがダンエレクトロのサウンドなのかどうかはよくわからなかった。

この他にもダンエレクトロに関する質問があったので、ついでに書いておくと、質問者はダンエレクトロのコンバーチブルを持っているそうなのだが、このギターのチューニングが弾いているそばから合わなくなってしまうとのことで、チューニングやイントネーションをキープするコツはあるかというのがその内容である。また、コンバーチブルの、ボディに乗せるだけの安っぽいブリッジなどを素晴らしいものに改造できる腕のあるルシアーがいるか、とも質問している。

これらの質問に対してリチャードさんは、チューニングが合っているということはダンエレクトロにおいては必ずしも美徳とは言えないのだと答えている。とはいえ、新しいペグへの交換がチューニングを安定させるのに役立つとも言っている。ブリッジについては、自分はまだ改造していないが、誰かにやってもらわなければならないと言っているので多少は気になっているのかもしれない。とりあえず、弦を太いゲージにして、ブリッジを少し高めにして、ブリッジからボディへの接地圧を高めることで、多少はズレにくくできるか、といったところで、ブリッジを固定したりするのはちょっと違うかと私は思うけどね。

Danecaster の謎が解ける

2024-08-01 17:39:22 | Dano Column
ジム・ウォッシュバーンという、ダンエレクトロについて大変詳しい人がいるのだが、彼の Facebook に面白い記事があったので紹介することにしたい。

その記事というのは、以下の画像でジェフ・ベックとロッド・スチュワートが持っているギターに関するものである。



二人が持っているギターだが、一見、フェンダーのテレキャスターかと思いきや、ネックがおかしなものになっていることに気がつくだろう。このおかしなネック、実はダンエレクトロのベルズーキという12弦ギターのものなのだが、なぜこんなことになってしまったのかは、ギターマニアの間でもときどき話題になることがある。フェンダーとダンエレクトロではスケールが違うから、ネックを取り換えてオクターブチューニングが合うのかといったことが議論されることもあるが、ネックを取り換えた理由については、フェンダーのラジアスのきつい指板よりはダンエレクトロのフラットな指板のほうが弾きやすいからだろうという見解でほぼほぼ一致している。

ジムさんの記事に戻ると、実はこのギターはロン・ウッドが持っていたものだったということが明かされている。さらに驚くべきことに、このギターはロン・ウッドが The Birds というバンドに在籍していた頃に、ロンドンのイーリングにあったジム・マーシャルの店でセッティングしたものだったということも記されているのである。そしてこのギターは当時のイギリスではあまりにユニークだということで、当時の音楽雑誌「Beat Instrumental」に記事が掲載されるほどであった。「BIRD HAS A “DANECASTER” 」と見出しのついた記事を以下の画像で確認できるが、この記事では、誰が命名したのか、ロン・ウッド所有のギターのことを Danecaster と呼んでいる。



さて、ここで横道にそれるが、「Beat Instrumental」という雑誌について触れておきたい。これは1963年5月に「Beat Monthly」として創刊された雑誌で、誌名は18号から「Beat Instrumental Monthly」、37号から「Beat Instrumental」に変更となった。ギターやアンプ、エフェクターといった楽器や機材のレビュー、ミュージシャンへのインタビュー、レコード評、音楽に関する最新ニュースなどで構成される、今の日本で言えば「ギターマガジン」のような雑誌である。1960年代だと表紙は以下の画像のような感じである(「Dano研」的にロングホーンを弾くグラハム・ナッシュとショートホーンを弾くピート・タウンゼントが表紙になっているものを敢えて選んでおいた)。



ロン・ウッド所有の Danecaster とジム・マーシャルとの関係など、ジムさんの記事によって新たな発見があったが、そうなるともう一つの Danecaster のことが気になってくるというもの。以下の画像でピート・タウンゼントがアンプのキャビネットに突き刺しているギターのことである。



テレキャスターのボディにコークボトルヘッドのダンエレクトロのネックを取りつけたこのギターも、おそらくはジム・マーシャルの店でセッティングされたものではないだろうか。ピートとマーシャルとの関係や今回のジムさんの記事からすると、その可能性は非常に高くなったと言えるだろう。

ギターと木材をめぐって

2023-12-22 17:38:22 | Dano Column
現在発売中のギター・マガジン2024年1月号の特集は「エレキ・ギターと木材の話」である。それほど目新しい情報はないけれども、量的には充実した特集となっているし、さらに付録として、約50種類のトーンウッドを網羅的に掲載した「ギター用木材ハンドブック」もついてくる。

エレキ・ギターと木材の、その歴史をさかのぼれば、当然のことながらアコースティック・ギターがあり、中世・ルネサンス期のリュートやウードといった撥弦楽器にまで至るのだが、弦の振動を共鳴させる部分(棹や胴)に木材が使用されてきたことから、エレキ・ギターという、音を電気的に増幅させる機構を備えた楽器においても、木材がそのサウンドに与える影響については、果てしない探求と議論が続いているというのが現状だろう。そのため、ともすれば議論が過熱してしまうことがあり、ギターマニアの間では、木材の話になると場が「荒れる」と言われたりもするのだが、それゆえに今月のギター・マガジンが「売れる」のならば、それはそれでまことにめでたいことではあるまいか。

とはいえ、この特集においては、木材に関する様々なテーマについて、56個のQ&A形式で記事にしてはいるものの、センシティヴな内容にはなるべく踏み込まないように配慮されているようではある。

極端に言えば、エレキ・ギターを構成する一つ一つの材すべてがそのギターの出すサウンドに影響していると考えられるならば、アコースティック・ギターなどに比べればその影響は小さいかもしれないが、使われている木材が違えば音も違うはずだし、同じ木材でも部位が違う、いや、そもそも全く同一の木材などないわけだから、個体差はあるはずだ、同じギターでも温度や湿度、弾き込みや経年変化によって音も変わるはずだ、といったようにどんどん議論がひろがっていってしまう。そのような音の変化、違いが人間の耳によって識別できるものなのか、周波数などを計測しないとわからないものなのか、そもそも、その違いが音の良し悪しの判断に関与するほどのものなのかどうか。いずれにせよ、木材の違いによる音の違いをいったん語りだすと、そうそう簡単にはいかなくなってしまうのである。

その一方で、木材ではない素材を使用したギターというのも、エレキ・ギターの歴史には登場する。「Dano研」的にはどちらかといえばこちら側が本領となるわけだが、今回の特集でもそれらについては若干触れられている。これまでのエレキ・ギターの歴史においては、レゾグラスと呼ばれるFRP樹脂やアクリル、アルミニウムやカーボンなど、実に様々な素材が使われてきた。ここには、さほど遠くない未来に到来するだろう森林資源の枯渇を見越しながらの新素材の活用という側面があり、また、加工のしやすさや低コスト化を追求するといった側面もあったわけで、そのなかで、ダンエレクトロのギターについても記事の一つとして触れられているのだが、ダンエレクトロといえば、もちろんその素材はメゾナイトということになる。とはいえこれは木材チップを圧縮した材なので、木材といえば木材ということになってしまうため、新素材の話とは別枠での記事になったのだろうと思われる。



ダンエレクトロついでに蛇足を言えば、その最初期のモデルにおいてはネックの一部にアルミが使われていたことがあったし、また、通常の木材の使用ということで言えば、ネックにはポプラ、ボディにはパインが使用されていた。そして指板には今では希少材となったハカランダが使用されてもいた。このことからわかるように、ハカランダは、1950年代、60年代にあっては、通信販売で売られているような廉価なスチューデントモデルにも使用されるくらいありふれた木材だったのであり、そんなにありがたがらなくてもいいようなものだったのである。

ギターマガジン2023年5月号 鮎川誠とトム・ヴァーレインについて

2023-04-15 19:29:47 | Dano Column
ギターマガジン2023年5月号には、今年の1月に相次いで世を去った二人のギタリスト、鮎川誠とトム・ヴァーレインの特集記事が組まれている。

鮎川誠については、大鷹俊一によるバイオグラフィ的な記事が1本と過去にギターマガジンが行ったインタビュー3本の再掲、次いでギターやアンプの機材紹介とディスコグラフィがあり、そして関係のあったミュージシャンたちへのアンケートによって構成されている。インタビューの1本目は1981年、「ピンナップ・ベイビー・ブルース」リリース時のもの、2本目は1993年、ウィルコ・ジョンソンとの「ロンドン・セッション」リリース時のもの、最後3本目として鮎川誠がパンクを語った2018年のものとなっている。これらのインタビューはいずれも興味深いものだが、とりわけ、ブルースへの想いを熱く語った部分が素晴らしい。



鮎川誠のギターについての私の関心は、彼が敬愛していたリンク・レイにあやかってダンエレクトロのギターを所有していたかどうかにあった。先月だったか、復刻版が出た鮎川誠の「60s ロック自伝」の、リンク・レイについて書かれた箇所を見ていたら、そこにダンエレクトロが「三流のギターメーカー」と書かれてあるのを見つけてしまい、悪意はないだろうと思いながらも、今回の機材紹介を見ると、ダンエレクトロ関連では2本所有していたことがわかった。1本目は1986年製のグレコDE-70という、ダンエレクトロ・ショートホーンのコピーモデルで、赤く塗装されているが、この赤は「シーナ・レッド」なのだそうだ。6弦が外されていて、5弦ギターとしての使用が想定されていたようだ。2本目は2002年製のダンエレクトロDC12で、2016年にサンハウスのメンバーだった浦田賢一から贈られたものだとのこと。レコーディングやライブで使用された形跡はないので、あくまでコレクションということなのだろうけども。

トム・ヴァーレインについては、バイオグラフィとディスコグラフィ、ジミー・リップとネルス・クラインへのインタビュー、そして「トム・ヴァーレインが愛したギターたち」で構成されている。

トム・ヴァーレインが亡くなったとき、このブログに記事を書いたが、そこで彼がなぜポール・ヴェルレーヌから名前を取ったのかについて、深い意味はないのではないかと書いたのだったが、十代の頃にリチャード・ヘルとともにデカダンな詩人に憧れていたということからすると、19世紀末の象徴派の詩人の名前には深い意味が生まれてくるし、トムがヴェルレーヌでリチャードがヘルというのも、おそらくヘルは「地獄の季節(A Season in Hell)」のことで、つまりはそれを書いたランボーにつながっていくのではないかと考えられるとすれば、さらに深い意味が生まれてくるではないか。ヴェルレーヌとランボーが破局したのと同様にトムとリチャードも決裂してしまうわけだけども。

ネルス・クラインがインタビューの中で「トム・ヴァーレインはどういうトーンを求めていたのか?」という質問に対して、「トム・ヴァーレインがリップスティック・ピックアップを気に入っていたことに共感している」と言い、「そのクリスタルのように煌びやかでクリアな音色は僕も大好きで、彼もそれを求めていたんだと思う」と答えている。ネルス・クラインも「わかっている」のだな、と思う。



そしてトム・ヴァーレインのギターについてとなるわけだが、ダンエレクトロ関連では3本のギターが紹介されている。1本目は画像は掲載されていなかったものの、初期にはダンエレクトロの4021を使用していたことが記されている。次いで2本目は白のダンエレクトロ・デラックス6036で、これは画像も掲載されているが、その説明に「3つのミニスイッチとマスターボリュームという仕様へと改造が施されていた」とあるのが引っかかる。マスターボリュームの位置は変わっているようだが、これはおそらくミニスイッチに改造したのではなく、ノブが取り外された状態になっただけ、と見るべきなのではないかと思われる。3本目はシルバートーンの1457で、トム・ヴァーレインはこのギターをいつもベッドのそばにおいて、曲作りの時などに使用していたそうだ。このことは知らなかったので、私にとっては新たな発見であった。

ダンエレクトロはいかにして復活したか

2022-10-29 11:06:48 | Dano Column
先日記事にした「謎のハコモノギター」について、真相を知っていそうな人物としてマイケル・カンピオンの名前が挙げられていたのだが、それがなぜかと言えば、1990年代にEVETSコーポレーションのスティーヴ・ライディンガーとともに、ダンエレクトロを復活させた男だからに他ならない。

ダンエレクトロの復活といっても、それはブランドネームが同じというだけで、ネイサン・ダニエルが創設した会社とは全く別物だということは言わずものがなのことではあるが、大前提としておく必要がある。

さて、ダンエレクトロブランドが復活に至るには、まず、ミュージシャンであるマイケル・カンピオンがEVETSコーポレーションのスティーヴ・ライディンガーと出会ったことから始まる。1992年のことであった。彼らはまず最初に液晶ディスプレイを採用したギターチューナーを開発した。これは迅速かつ正確なチューナーで高い評価を得たそうだが、これが現在のクリップ・チューナーである「SNARK」に脈々と受け継がれているのだろう。



この後二人はリーズナブルな価格帯のペダルを開発し、その際に多くの候補の中からブランド名を「ダンエレクトロ」とすることにした。その理由としてダンエレクトロにはシンプルな美しさと歴史と神秘性があったからだという。ダンエレクトロの商標権は1969年の工場閉鎖後からニュージャージーのアンソニー・マーク氏が保有していたが、1990年代半ばにライディンガーが取得したとのこと。



こうして、ダンエレクトロブランドのペダルは1997年1月のNAMMショーでお披露目となり、大評判になったという。その際、多くのディーラーから「ギターはいつ出すのか」と質問攻めとなったため、1年後にシングルカッタウェイのU2モデルをリイシューした。

ダンエレクトロのギターをリイシューするにあたっては、スティーヴ・ゾーストが招かれた。彼はダンエレクトロのギターに関して専門的な知識を持っていて、スティーヴィー・レイ・ヴォーンが所有していたダブルネックギターの4弦ベースの部分を6弦ベースに改造するなど、ヴィンテージのダンエレクトロを修理した経験も豊富であった。そして彼らはどのギターをリイシューするかを議論し、シングルカッタウェイの56-U2が誕生したのだという。オリジナルと違う点はネックにトラスロッドが仕込まれたこと、ペグが1個1個の密閉型となったことなどが挙げられるが、ブリッジやピックアップはオリジナルを踏襲している。このリイシューされたダンエレクトロはアマチュアだけでなく、数多くのプロギタリストたちからも絶賛され、彼らは何本も買い集めたと言われている。これを追い風に、98年10月にはダブルカッタウェイの59DC、56U1(U2の1ピックアップモデル)、56-U2のレフティ仕様、ロングホーンベースなどが市場に投入され、90年代におけるダンエレクトロの復活は確固たるものとなったというわけだ。

しかし、2002年になると、マイケル・カンピオンはダンエレクトロを去り、本業のミュージシャンに専念することとなる。とはいえその後もライディンガーのEVETSコーポレーションはダンエレクトロのギターやペダルの販売を続け、紆余曲折ありながらも現在に至るというわけである。

ジミー・リードのDano

2022-10-07 19:22:13 | Dano Column


この画像は「living blues」という、1970年に創刊されたブルース専門誌の1975年5-6月号(通巻第21号)の表紙である。ジミー・リードの特集なのだから彼が表紙になるのは当然としても、なぜダンエレクトロの Pro-1 を抱えた姿にしたのかその意図は不明である。ちなみにジミー・リードと私は誕生日が同じなのである。

ジミー・リードが使用したギターといえば、ケイのシグネチャーモデルが知られている。その他にもエアラインやスプロといったチープなギターを弾いたりすることも多く、ビザール系のギターとの親和性はなるほど高いとはいえ、ダンエレクトロの、しかも Pro-1 を弾いているとなれば、これはこれで驚くべきことで、とても珍しいことなのである。



さて、ジミー・リードの Pro-1 がどんなものかといえば、オリジナルそのままではなくて、ボディ表面に何やらキラキラしたものがモザイク状に散りばめられ、それが全体を覆っている。加えて、レスポールでいえばピックアップ切り替えのトグルスイッチがあるあたりにコンチョのようなものが貼り付けてある。そしてトーンやボリュームのコントロールノブは外されており、ポットの軸がむきだしとなっている。



そもそもこの画像、私は Silvertone World のフェイスブック・ページで見たのだが、これには続きがあって、ジミー・リードの Pro-1 は、現在、ジミ・プライム・タイム・スミスというブルースマンが所有しているという情報が流れてきたのである。残念ながら音声や映像は見つからなかったのだが、ブルースマンの魂はこのようにして受け継がれているのだな、と感慨にふける今日この頃であることよ。

三大ギタリストとDano

2022-09-29 17:58:38 | Dano Column
何年も前から、キース・レルフのソロを集めたアルバムが出ればいいのにと思い続けていたにもかかわらず、2年ほど前にリリースされていたことに気づかず、見事にスルーしてしまい、つい先日手に入れたところ。どのようなかたちにせよ、このようなアルバムがリリースされたということは、キース・レルフのソロに関心があるのは私だけではなかったということであり、私はそのことを嬉しく思ったりする。

キース・レルフといえばヤードバーズであるが、ヤードバーズといえば三大ギタリストということになるのはさかのぼり追体験であればしかたがないこととはいえ、30~40年ほど前の、まともに音源を聴くことができなかった時代ならいざ知らず、ヤードバーズのスタジオ録音からライブ録音、様々なレアトラックまであらゆる音源を聴くことができる現代にあってはどうだろうか。いまだに三大ギタリストじゃないだろうとは思うわけ。ヤードバーズに第1期ジェフ・ベック・グループやレッド・ツェッペリンの萌芽を見ようとするのではなく、キース・レルフとジミー・ペイジが仲良くフォーキーな楽曲を演奏したらどうなっただろうか、などと妄想したほうがよいのではと思うわけだ。

だがしかし、このブログは「Danelectro研究」なので、ギターやギタリストについて様々な記事を掲載していくものなのであってみれば、三大ギタリストについて語らないわけにはいかないのだ。そんなわけで、キース・レルフのアルバムを入手したことを契機とし、ヤードバーズが輩出したいわゆる三大ギタリストとダンエレクトロのギターとの関係について書いておくことにしたい。

まず一人目はエリック・クラプトン。そもそも私がヤードバーズを知ったのは中学2年生の頃で、当時必要にかられて購読するようになったFM雑誌に掲載されたクラプトンの特集記事を読んだからだった。その記事でクラプトンが「ギターの神様」と呼ばれていることを知り、そのことを確かめるためにクラプトンを特集したラジオ番組を聞いてみることにし、ヤードバーズをはじめ、ブルースブレイカーズやクリーム、当時新譜だった「アナザー・チケット」収録曲などを聴くことになったわけなのだが、なぜクラプトンが「ギターの神様」と呼ばれているのか、その理由はわからずじまいだった。そんなクラプトンとダンエレクトロとの関係であるが、ヤードバーズ時代ではなく、クリーム時代にショートホーン3021を抱えてステージに立っている写真があり、クリーム解散後にスティーヴ・ウィンウッドらと結成したブラインド・フェイスの頃にサイケデリックにペイントされたショートホーン3021を抱えた写真が残っている。映像や音声は残っていないようだ。



二人目はジェフ・ベック。彼もまた、ヤードバーズ時代にダンエレクトロを使用していたということはなく、時代はだいぶくだって2003年にリリースされた9枚目のソロアルバム「Jeff」の、しかも日本盤のみに収録されたボーナストラックである「Take a Ride」という楽曲において、ダンエレクトロの6弦ベース(バリトンギター)UB-2を弾いている。YouTubeで見ることができる動画で、ベックが自身のギターコレクションを紹介しているものがあり、それらのギターにまつわるエピソードを語っているベックの目の前には確かにダンエレクトロのUB-2が立てかけてあり、特徴的なヘッドストックがはっきりと見えているのであるが、結局紹介されないまま動画は終了してしまうという何とも残念なものなのだった。ジミー・ペイジからもらったというマキャフェリのプラスチック・ギターは紹介したのにどういうわけか、と問い詰めたくなる。



三人目はジミー・ペイジ。彼はダンエレクトロを弾くギタリストといえばまず最初に名前があがる人であり、ヤードバーズ時代から変則チューニング用にダンエレクトロを弾いていたそうなのだが、映像や音声は残っていない。売れっ子セッションマンだった頃にスタジオでダンエレクトロを弾いている写真は残っており、それは以前、このブログにも掲載したことがあるがここに再掲しておく。ジミー・ペイジについては今まで何度か書いてきた経緯があるので、ここに改めて書くこともないけどね。



1994年12月30日、ニューヨークタイムズの記事から

2021-08-13 17:39:20 | Dano Column
1994年12月30日付のニューヨークタイムズにネイサン・ダニエルの死亡記事が掲載されていたことは以前から知ってはいたのだが、お盆休みで暇だったので訳出してみた。当然のことながらその内容は過去のブログ記事「ネイサン・ダニエルとダンエレクトロ小史」と重複してしまうのだが、コンパクトにまとまっているのでよしとしておく。訳文中のカッコ書きは私が補足したもの。

Nathan I. Daniel, the creator of Danelectro guitars and amplifiers, which offered a point of entry for a generation of would-be rock-and-roll musicians, died on Saturday at Queen's Medical Center in Honolulu. He was 82 and lived in Honolulu.

ダンエレクトロの創設者で、ロックンロール・ミュージシャン志望の若者たちに向け、初心者用のギターやアンプを提供したネイサン・I・ダニエルが土曜日(命日である1994年12月24日のこと)、ホノルルのクイーンズ・メディカル・センターで死去した。82歳だった。彼はホノルルに暮らした。

The cause was a heart attack, said his son, Howard.

息子であるハワードの言によれば死因は心不全とのこと。

Most of Mr. Daniel's popular electric guitars and amplifiers were sold through Sears under the Silvertone brand name.

ダニエル氏による、よく知られたエレクトリック・ギターやアンプの大半は「シルヴァートーン」のブランド名のもとシアーズを通じて販売された。

He was born in New York City, the son of Jews who had fled Lithuania. After dropping out of City College during the Depression, he began assembling and selling amplifiers of his own design to the Epiphone Company. During World War II, he served as a civilian designer for the Army Signal Corps at Fort Monmouth, in New Jersey, where he developed a simple, inexpensive shield for motorcycle engines that prevented their electronic noise from interfering with radio communications on the battlefield.

彼はリトアニアから逃れてきたユダヤ人の子としてニューヨークに生まれた。大恐慌のさなかにニューヨーク・シティ・カレッジを中退した後、エピフォンで彼独自の設計によるアンプの組み立てと販売を始めた。第二次大戦中はニュージャージー州フォート・マンモスの陸軍通信隊で民間人設計者として職務に従事、戦場での無線交信中に電子ノイズが干渉するのを防止するシンプルで費用のかからないオートバイ・エンジン用のシールドを開発した。

After the war, Mr. Daniel set up an amplifier manufacturing business, Daniel Electric, in Red Bank, N.J., and soon began selling his amplifiers to Montgomery Ward and Sears. In 1947, he brought out the first tremolo amplifier, and in 1950, he introduced a reverb device for guitar.

大戦後、ダニエル氏はニュージャージーのレッドバンクにアンプ製造事業を行う「ダニエル・エレクトリック」を創設するとすぐに、モンゴメリー・ウォードやシアーズでアンプの販売を始めた。1947年には業界初となるトレモロ(回路を内蔵した)アンプを発表、1950年にはギター用のリバーブ装置を(市場に)導入した。

In 1954, Mr. Daniel began making inexpensive, durable electric guitars, encasing the pickups in chrome lipstick covers that he bought from a cosmetics packing company, and facing the pine body of the instrument with tempered masonite. The original single cutaway model cost less than $40.

1954年にダニエル氏は低価格で頑丈なエレクトリック・ギターの製造を開始、化粧品容器会社から買いつけたクロームのリップスティックケースにピックアップを収納し、パイン材のボディでトップはメゾナイト(加熱式硬質繊維板)であった。オリジナルのシングル・カッタウェイ・モデルにかかった製造コストは40ドルに満たなかった。

Over the years, Mr. Daniel continued to experiment. He brought out a six-string electric bass guitar in 1956, and in 1958 he introduced the Longhorn, a guitar with two deep cutaways in the body, which made the frets more accessible. One of the company's biggest sellers was Amp-in-a-Case, a Silvertone guitar whose case contained an amplifier.

何年にもわたりダニエル氏は実験を続け、1956年には6弦ベース(通常ギターの1オクターヴ下の音域を持つ)を発表し、1958年にはロングホーンと呼ばれる、よりフレットに(指が)届きやすくなるよう、ボディの両側に深いカッタウェイを施したギターを(市場に)導入した。ダンエレクトロ製品の中で売り上げが最も大きかったものの一つはシルヴァートーンの「アンプ・イン・ケース」で、ギターを収納するケースにアンプが内蔵されたものであった。

At its peak, in 1964, Danelectro had 500 employees and annual sales of nearly $600 million. In 1966, Mr. Daniel sold the business to MCA but remained head of the company. In 1969, MCA closed the company down.

ダンエレクトロは1964年のピーク時には従業員数500人を抱え、年間売上高は6億ドルに到達しようとしていた。1966年にダニエル氏はMCA(Music Corporation of America 現ユニバーサル・ミュージック)に事業を売却したが、会社の責任者として残った。1969年にMCAは会社を閉じた。

In 1974, Mr. Daniel retired and moved to Honolulu, where he tried to come up with a solution to the lack of a ferry service between the Hawaiian Islands. In 1978, he designed a craft called the Superoutrigger; eight years later he launched a 58-foot demonstration model but he was not able to attract investors.

1974年にダニエル氏は引退してホノルルへと移住、そこで彼はハワイ諸島間の客船運行上にある欠点(暴風による転覆を回避するために度々欠航となってしまうこと)の解決に迫った。1978年にスーパーアウトリガーと呼ばれる舷外浮材を設計し、8年後には58フィートの試作品を発表したものの、投資家をひきつけることはできなかった。

Besides, his son, Howard, he is survived by his wife, Connie, and three grandchildren, all of Honolulu, and two sisters, Sally Rose of Valley Stream, L.I., and Ray Sobel of Levittown, L.I.

彼の遺族には息子のハワード以外に、妻コニーと三人の孫がホノルルにいて、ヴァレーストリームにはサリー・ローズ、レヴィットタウンにはレイ・ソベルという二人の姉妹がいる。(ヴァレーストリームもレヴィットタウンもニューヨークのロングアイランドにある住宅地)。


ギターマガジン2021年2月号ジミー・ペイジかく語りき

2021-01-18 20:18:51 | Dano Column


ギターマガジン2021年2月号はジミー・ペイジを特集、3本のインタビューと十数枚のポートレートでかなりボリュームのある内容となっている。
中でも特筆すべきはジミー・ペイジがダンエレクトロについて語っている部分であろう。以下にその部分を要約しておく。

ジミー・ペイジはセルマーズという大きな楽器店でダンエレクトロの3021を45ポンドで手に入れたという。ちなみにこの店はジョン・エントウイッスルがロングホーン・ベースを手に入れたところでもあるそうだ。ジミーさんは店員に教えられてその3021を手に取ってみたわけだが、試してみたら素晴らしいサウンドだったということで、セカンド・ギターとして使用すべく購入したとのこと。セッションにも使用したが、ヤードバーズ時代からは変則チューニング用として使用していたという。メインで使用していたテレキャスターの弦が切れたときにはレギュラーチューニングに直したダンエレクトロに持ち替える、などということもあったようだが、その頃のライブ録音を聴いてみても、テレキャスターとダンエレクトロのサウンドの違いはわからなかったとのこと。

ジミーさんはダンエレクトロ3021について「ダンエレクトロは信頼できる友達のような存在で、僕のそばにずっとあるギターだよ」と語っている。また、「ダンエレクトロには一貫性があり、すごく価値のあるギターだと思う」とも言っている。

ジミーさんがダンエレクトロを使っていることはヤードバーズ時代から人々の話題になっていたというが、その理由はダンエレクトロが通販で買えるような安いギターだったからなのだという。要するに、多くの人々にとって、当時からダンエレクトロは、およそプロが使用するギターだとは考えられていなかった、ということなのだろうし、そのような安いギターから、あのユニークなギターサウンドが一体どうやって生み出されるのかがわからなかったということなのだろう。

このギターマガジンの記事にはダンエレクトロ3021について画像付きの解説がなされてもいるが、この3021がU Seriesであるという間違った記載があるのが残念でならない。U Series がショートホーン以前につくられたシングル・カッタウェイのモデルを指すということは、このブログの読者にはいまさら言うまでもないことだろう。

ネイサン・ダニエルとダンエレクトロ小史(8)

2019-10-10 17:28:30 | Dano Column
一九七四年、ネイサン・ダニエルは一家でハワイへ移り住むことになった。 ジェリー・ジョーンズはハワイでネイサン・ダニエルに会ったことがあるとのこと。彼はダンエレクトロのコピーモデルを製作し続けてきたが、二人してじっくりとダンエレクトロのあらゆるギターのこと、使用されたあらゆる材のことなど話したそうだ。しかし、それでもダンエレクトロの独特なボディシェイプの起源についてははっきりとはわからなかったらしい。彼は「もしそのデザインが一九五〇年代のあるディナーの席でナプキンの上に書き留められていたとすれば、その時代に戻って、ナプキンを手に入れたい!」と語ったという。

ジェリー・ジョーンズはミシシッピ州のジャクソンに生まれ、一九八〇年代の初めからナッシュヴィルでギターの製作と販売を始めた。当初は自身のデザインしたカスタムギターを販売していたのだが、ある客の一人がひどい状態のシルバートーンを修理のために持ち込んでから仕事の方向が大きく変わっていった。

彼はもともとダンエレクトロのギターに関心を持っていたが、リペアのために持ち込まれたギターを見て、自分がつくりたいのはこういうギターなのだと改めて思ったらしい。それから一九八四年にプロトタイプの製作を始めたのであったが、実はこれは未完のままとなっており、ピックアップのテスト用に使用されていたとのこと。

しばらくして別の客からロングホーンの六弦ベースの注文を受けたことを契機として、全面的にダンエレクトロのコピーモデルを製作するようになったのだという。ジェリー・ジョーンズのギターはオリジナルと同様に、トップとバックにメゾナイトを使用しながらも、ネックはメイプルであったり、調整可能なトラスロッドが入っていたり、ブリッジも一弦ずつ調整できるサドルにしていたりなど、現代的な仕様になっている。

彼は二〇一一年に引退し、ナッシュヴィルの工場を閉鎖した。

ネイサン・ダニエルは後年、いくつかのインタビューに応えているが、その中で、ダンエレクトロのギターに使用されたリップスティック・ピックアップやメゾナイトボディ、そしてフラットな指板などが醸し出す、得も言われぬサウンドの謎を聞き出そうとするインタビュアーに、大笑いをしながら「ナンセンス」と答えたという。

ネイサン・ダニエルによればダンエレクトロのサウンドが偶然の賜物であるとか超自然的な作用だとか言われるのはクリエイターとして恥ずかしいことなのだという。ネイサン・ダニエルが言うには、自分には合理的な裏付けがあり、技術的なノウハウもあり、何度も素材を検討し、試行錯誤しながら、そのうえでギターの製作をしたのだという。それが結果的に魔法の薬や呪文によって生まれたものに見えたとしても、である。

ネイサン・ダニエルはハワイではギターを含め、音楽関連の事業は一切していないが、ハワイ諸島間を航行するフェリーが悪天候で欠航とならないよう、転覆防止用のアウトリガーを発明したことが知られている。この発明は投資家の支持を得ることはできなかったが、最後まで発明家であったネイサン・ダニエルらしいエピソードであるといえるであろう。

一九九四年十二月二十四日、八十二歳でネイサン・ダニエルはこの世を去った。死因は心臓発作であった。

ネイサン・ダニエルはあるインタビューに答えて次のように言った。

「私は初心者でも手軽に買えて、演奏できる高品質のギターをつくることができてよかったと思っている。このことは楽器を継続していけるようにたくさんのプレイヤーを励ましたと考えたい」