小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

暴力団

2011-09-01 22:54:14 | 考察文
昔、すかいらーくで、刺青をした男が五人くらい、カウンターに座って、店の人をからかっていた場面を見た。暴力団員だろうが、堅気の人をからかうなんてのは、三下のチンピラ団員だろう。店の人に、かなりの時間、いちゃもんをつけていた。私は、後ろのテーブルに一人で座っていた。他に客はいなかった。もし、私と目が合ったら、「眼つけたな」とからんできそうな雰囲気だった。私は、レジで金を払って、そっと店を出ようとは、さらさら思わなかった。それより、ことの顛末を最後まで見とどけたかった。私は空手を身につけていたが、そんなものは実戦では、たいして役に立たない。それよりも私は持っていたシャープペンを握りしめた。もし、私にいちゃもんをつけてきたら、私は、一人に集中して、瞬時に、相手の顔、特に、目ん玉を狙って、突き刺すつもりでいた。相手が、ゴチャゴチャいちゃもんをつける前に、飛びかかるつもりでいた。相手を殺す気で、自分も、過剰防衛で身の破滅になるかもしれないが、そんなこと私にとってはどうでもいい。ケンカでは殺気、狂気を持った人間が勝つ。そして、中途半端な気持ちのヤツが負ける。この後、暴力団員が店を出てしまったので、この時は何も起こらないですんだ。だから、これは修羅場くぐりではない。しかし、それ以外で、私は何回か生死を分ける修羅場をくぐった経験がある。

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俺たちの勲章

2011-09-01 21:47:16 | Weblog
松田優作の「俺たちの勲章」の第一話の最初は。あるスケート場を、ある日、強盗で襲って金を奪うグループがあるという情報を聞き、(仲間の一人の裏切りによるタレコミか?)スケート場に待ち伏せして、グループが強盗の行動に出た瞬間に、捕まえるというシーンで始まる。拳銃をぶっ放したことで始末書を書かされている松田優作の所に、新人刑事の中村雅俊が来て、こんな会話がなされた。

中村雅俊「あなたはスケート場に強盗が入るという情報を聞いて知っていたんですね」
松田優作「ああ。そうだよ」
中村雅俊「事件を起こさないようにするのも刑事の仕事じゃないでしょうか?」
松田優作「お前。何を言いたいの?」
中村雅俊「情報を知っていたなら事件は食い止められたはずです」
松田優作「じゃあ、お前さんは、あのチンピラ達に、スケート場、襲うの、やめてくれませんか、って頼むべきだったっていうの?なるほど。でもさ、スケート場、襲うのやめるかもしれないけど、代わりに今度はどこかの銀行、襲うかもよ」

という会話で始まる。

これは悪人の性格は変わらないという松田優作の主張。と、説得によって人間の心は変わる、という中村雅俊の(ちょっと現実的でない、きれいごとの)主張の違いである。

しかし、これにはもう一つの問題が含まれている。それは、共謀罪(というバカげた発想)の問題である。共謀罪とは、犯罪の計画を立て時点で逮捕できる、という警察当局の狂った発想である。このドラマでは、そんなバカげた発想は、脚本家の頭に浮かびもしなかっただろう。計画を立てただけでは犯罪行為とはならない。なぜなら、そのあと、計画を実行するまでに、猶予期間があるではないか。罪悪感か、あるいは捕まる心配をおそれて、やっぱりやめよう、と思い直して、犯罪を思いとどまる可能性があるではないか。しかし、犯罪行為を始めた瞬間に、その人間の犯罪の意志の間違いない存在が証明されたことになる。これは間違いのない意志の証明である。

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今日から九月

2011-09-01 09:22:40 | Weblog
今日から九月である。

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