小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

宮崎勤

2011-09-30 01:18:39 | 考察文
車に乗っていると、子供がかわいく見える。小学生でスカートを履いて、信号待ちしてしている女の子が可愛かった。おもわずさらいたくなった。「乗りませんか」と聞いても、どうせ怖がって、乗ってくれないだろうから。

宮崎勤はロリコンがあったとは、まず確信しているが。さらわれた幼児は、さからわず、おとなしかった。どうして、殺さなければならなかったのか。それが疑問である。連れ去っても、少し遊んだり、話したりたりして、どっかで降ろしていたら、ほとんど問題ではない。そんなトラウマにもならないだろう。

私は、彼のことをあまり詳しく調べていないので、推測だが。
宮崎は、女になりすました犯行声明文を送りつけた。評論家も、本当に女か男かわからなかった。私は、宮崎は、芸術家志望で、芸術家になりそこねた人間という面があると思う。宮崎は、アニメのビデオを厖大に集めていた。部屋一杯ほど。本人としては、漫画家になりたいとも思っていたのではないだろうか。しかし、漫画を描けるようになるには、厳しい訓練が必要である。そこで、漫画は、描けないから、犯行声明文として小説まがいのお話をつくったのではなかろうか。

宮崎は確かに根気のない人間だったことは間違いない。
そして、もう一つ。毎日、寝転がってビデオばかり見ているというように生活がだらしなくなっていたため、精神もだらしなくなって、感情が鈍磨してしまった面もあると思う。

宮崎は自分の存在を世間に知らせたいという強い願望があったのも間違いない。しかし、一つのことをやり抜く根気が無いため、安直な行動をとってしまったように感じる。世間では彼を良心のない、残虐非道の人間のように言うけれど、もしビデオというものがなくて、車というものがなかったら、宮崎は犯行を犯さなかった可能性もあるのではないか、とも思う。

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