小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

警察に泣き寝入りしないためには

2011-09-04 22:59:08 | Weblog
警察の横暴に対応するには。今は、ネットで誰でも、世界に向けて発信できる時代である。警察の横暴に泣き寝入りしないためには。

職務質問などされたら、した警察官に、名前を聞き、どこの警察のどの部署かを聞いてメモする。これは善良な市民の権利である。そして、「あなたの言ったこと、態度、行動は、全てブログで実名を出して、発表しますから」と言うのである。そして、それを実行するのである。名誉毀損だの、何だの恐れる必要はない。ものを書くということは、自分の主観で書く以外、方法がないのである。

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検察

2011-09-04 22:58:16 | Weblog
昨日の土曜日に、司法修習生の教官(検事)が、生徒(弁護士志望)の冤罪を捜査して、事件を解決するドラマがあった。あれほど、現実と食い違ったドラマはない。検察というのは、鈴木宗男氏が言っているように、「足がない」のである。つまり歩かないのである。自分で捜査なんかしないのである。マスコミのリークを元に、机の上で、ストーリーを想像(創造でもある)して、つくりあげるのである。歩かないから、でっぷり太るか、足腰が弱くなるから、ますます歩かなくなる。の悪循環である。せっかく検察の実態が国民に認知されてきたのに、ああいうデタラメなドラマは法務行政が、取り調べの可視化に向いて動いている今、放送するのはよくない。痴漢冤罪の「それでも僕はやっていない」のようなドラマを放送すべきである。

ちなみに、村木厚子さんは、人が良すぎるというか、

「検察は、捜査能力もモラルも一流のものであって欲しい」

といっていたが、その発言には間違いがある。モラルは一流であって欲しいと望むだけにとどめるべきなのである。「捜査能力も一流であって欲しい」と望むのが、いけないのである。

たとえるなら、学者にせよ、スポーツ選手にせよ、優等生の良い子にせよ、優秀というレッテルを貼られ、一流であって欲しいと期待されると、その期待がプレッシャーになって、期待にこたえねばならない、失敗してはならな、という思いから、過ちを犯した時にでも、体裁をつくろわねば、という思いになってしまうのである。

検察は、「バカでもいいから正直に生きよ」である。そして「バカさを糊塗するために悪代官になるな」である。

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