小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

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本田宗一郎の教育観

2014-02-05 19:06:18 | 考察文
本田宗一郎は、義務教育として、英、数、国、理、社、の学科を全て覚えさせる教育に対して批判的である。何か一つ、これだけは、オレは誰にも負けない、という分野があれば、それを伸ばせばいい、と言っている。

確かに、氏の言うことももっともだ、と思う。人間は、社会に出て、働くことになると、何か一つの専門を仕事にするのだから。

優れた作曲家には、数学など、全くわからなくても、いい。

技術者には、音楽の能力など、なくてもいい。

だから本田の言うことは、かなり正論だと思う。

正論だからこそ、私は、あえて別の見解を述べたいと思う。

本田の考えは、自分の得意な分野の能力を伸ばす、ことが大切だ、という考えである。確かに、人生は、自分の得意分野で勝負する、というのが、幸せな人生を送ることを可能に出来る可能性が高い。

しかしである。自分の好きな(得意な)分野は、出来るが、他の分野のことは、知らない、出来ない、というのは、はたして、どうか。

理系人間は文系科目が苦手であり、文系人間は理系科目が苦手である。

歴史学者に数学の能力など不要である。

しかしである。そうやって、自分の好きな(得意な)ことだけ、やっていればいい、という教育にしたら、はたして、どうなるか。

人間が、生きていく上では、必ず、困難な難問にぶつかる。(必ず、とは言えないが)

嫌い(苦手)な科目というのは、まさに困難な障壁である。困難な障壁を、どうやって、乗り越えるか、つまり、その科目を理解し覚えるか、には、創意工夫の能力が必要とされる。のである。そして、中学や高校程度の勉強は、全ての科目において、努力すれば、身につけられる程度のものなのである。

本田宗一郎も、技術者としては、非常に有能であったが、商売の方法を知らなかったから、本田の会社は、一時、潰れそうになった。その時、たまたま、藤沢武夫という経営の能力の優れた人間と出会えたから、本田技研は、潰れず、日本のトップメーカーになれたのであり、もし、藤沢武夫との出会いがなかったら、本田技研は潰れてしまったかもしれない。

嫌いな科目の勉強の克服は、人生の将来の障壁を乗り越える、能力を磨く機会、問題解決能力の訓練だと、とらえれば、それは、決して無駄な勉強ではない。と私は思う。
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