小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

三島由紀夫の「金閣寺」

2023-10-22 05:29:44 | 考察文
三島由紀夫の「金閣寺」について考察しよう。

金閣寺は天皇のメタファーとか言われているが、僕は違った視点で考察してみたい。

まず三島由紀夫の「金閣寺」の概略。

①主人公の溝口は幼少の頃から金閣寺がこの世で最も美しいものだと信じていた。

②溝口は絶対的な「美」である金閣寺に嫉妬していた。

③溝口は実際の金閣寺を見て金閣寺が、それほど美しい絶対的な「美」ではないことを知った。

④溝口は太平洋戦争が金閣寺を滅ぼしてくれることに期待し、金閣寺が無くなることで自分は自由になれると思った。

⑤しかし太平洋戦争によって金閣寺は壊れなかった。

⑥溝口は自分が自由になるためには自分が金閣寺を放火するしかないと思った。

である。

僕は、レーモン・ラディゲで「金閣寺」を考察してみたい。

①三島由紀夫は太平洋戦争までの20年間の人生で、「ドルジェル伯の舞踏会」「肉体の悪魔」の名作を書いて20歳で夭折したレーモン・ラディゲの生き方に絶対的な「美」を感じていた。

②そして「花ざかりの森」を出版し、太平洋戦争で自分は死ぬことで、自分もラディゲの絶対的な「美」の生き方が出来ると信じ、そのことに喜びを感じていた。

③しかし太平洋戦争で死ぬはずだった自分は死ねなかった。三島由紀夫が信じていたラディゲの絶対的な「美」の生き方は出来なくなり、三島由紀夫は20歳までに信じていた生き方が出来なくなり、超自我まで失われ、精神が崩壊しそうになった。20歳で死ねなかったことに三島由紀夫は絶望した。

④三島由紀夫は戦後の日本に生きることに苦しんだ。自分が20歳までに信じていた生き方が出来なくなった。そのため三島由紀夫は戦後、小説家として生きようと思ったが、そして小説家として大成したが、三島由紀夫の心の中にあるラディゲ的な生き方こそが「美しい」という信念は変わらなかった。

⑤ラディゲ的な生き方をするためには(自分の信念に忠実に生きるためには)自決するしかないと三島由紀夫は思った。

こう考えてみると、絶対的な「美」であると信じていた溝口が太平洋戦争で金閣寺が焼かれず、精神的に苦しんだ挙句、金閣寺を放火することで自由になろうと思った溝口の生き方は、三島由紀夫の、苦悩、生き方に共通している。

「金閣寺」を何かのメタファーとしてとらえるのではなく(とらえようとすると無理が出てくる)と思う。

三島由紀夫は金閣寺を放火して自由になろうと思った溝口の生き方に、自分の生き方との共通点を見出して、「金閣寺」を執筆したのだと思う。

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