小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

スパルタクスの反乱

2014-02-05 03:20:06 | Weblog
古代のローマでは共和制であった時期があった。しかし奴隷制度があって、コロシアムで奴隷同士を死ぬまで戦わせていた。それは、ローマ市民の最大の娯楽だった。

それは(私以外の)人間の本性であり、それは現代でも、変わることなく続いている。

言わずともわかるであろう。現代では、プロ野球、プロボクシング、などが一番の娯楽であり、大入り満員である。選手が怪我をしようが、再起不能になろうが、そんなこと、知ったこっちゃない、である。金を払って見てるんだから、ブーイングしたり、野次を飛ばすのは、当然という感覚である。

てめえは、スポーツなどやらず、体を鍛えることもせず、醜く突き出た出っ腹で、弱っちろいクセに、プロスポーツ選手の死闘を安楽椅子に座って、観賞してるのは、昔のローマ市民と全く同じである。

私は、このブログで何度も書いているが、そういうのが大嫌いだから、見たいとも思わず、プロスポーツなどというものは、無くすべきだとも、書いているし、本当にそう思っている。

しかし、世の阿呆どもは、他人の死闘を見たくて見たくて、しようがないから、プロスポーツが立派な職業となるのである。

契約金、数十億、年俸、五億、などという金の出所も、世の人間の、死闘見たさからである。

世の阿呆どもは、他にやることが無いからだろう。

スポーツとは、所詮、人間の闘争本能を、様々な形に変化させてルールを決めた、遊び、である。

遊びを熱心に努力して、記録をつくった人間(つまり、遊びの達人)が何で、国民栄誉賞なのか、私にはさっぱり、わからない。

学者で一心不乱に研究し、発明、発見をして人類に莫大な貢献をした人に、国民栄誉賞を与える、というのなら、わかるのだが。

世の人間も、政府も、ともにバカである。

プロ野球なら、二十歳から始めて、四十で引退だろう。しかし、それが、出来るのは、幸運な少数派である。

そして、それを、とったら、他には何も出来ない、何も残らない人間というのも、情けない。

学問、芸術、事業、将棋や碁などの頭を使う高等な遊び、などは、四十から、始めて、死ぬまで、出来る。
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