小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

教育

2014-02-05 20:46:01 | Weblog
私が勉強に目覚めたのは、小学五年生の時である。それまでは、成績は、全科目、普通であった。ただ図工だけは良かった。

私は小学二年の一学期から、小学三年の終わりまで、二ノ宮の喘息の施設で過ごした。最初の先生は、誰だったか忘れた。次にカタブツの女の先生が来た。先生は、ピアノが弾けて、音楽が好きで、毎日、音楽を歌わされた。

ある時の国語の授業のことが、印象に残っている。私は国語が好きなわけではなかったが、ある時、教科書に載っている、「力太郎」(だったと思う)の話を読んだ。話自体は、さほど面白いとは、思わなかった。ように記憶している。しかし、それを読んだ後、先生が、問題を出したのである。

それは、カタブツの先生らしくない、力太郎の話の続きを書きなさい、という作文の問題だった。宿題ではなく、授業中に書きなさい、ということだった。

なので、書き出した。すると、だんだん、どう話を書きすすめようか、ということが面白くなってきて、書きながら心の中で、笑ってしまった。ふざけてはいなく、それでいて、面白い、つづき話が書けたことに、非常に喜びを感じた。授業の終わりに作文は回収された。

次の国語の時間に、先生が、どんな評価、コメントをするか、が非常に待ち遠しい楽しみとなった。

しかし、いつまで経っても、そして結局、作文は返却されなかった。ガッカリだった。

別に、褒められなくても構わないから、先生がどんな、コメントをするか、を、ぜひ知りたかった。

先生は、自分の得意な音楽が好きで、他の科目には、あまり興味を持っていなかったのだろう。

もし、先生のコメントのある私が書いた作文が返却されたなら、私の人生は変わっていたかもしれない。これは、決して大げさではない。

小学二年生だから、運動とか、将棋などの遊びとか、他のことに関心が行って、作文の問題も、その後は一度も出されなかった。

教育では、決められた学科の勉強以外にも、色々なことを生徒に体験させてやる、ことが大切だと思う。

たった一回の何かの体験で、人生が、変わってしまうということは、いくらでもあるのである。
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