小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ピッチングが出来るようになった

2016-08-26 22:34:25 | 武道・スポーツ
最近、バッティング・センターで、打つのを再開した。

かなり前、バッティング・センターに、転がっている、ボールを、投げ続けて、ピッチングの練習もしていたが、一向に、上手くならなかった。

この原因を、僕は、ピッチングの上達は、やはり、キャッチボールによって、相手に、投げるようにしないと、精神の緊張感が、起こらないため、上手くならないのだと、考えていた。

しかし、なぜかは、わからないが、いつの間にか、正しい、ピッチング・フォームで、早い球を、コントロールも良く、投げれるようになった。

これは、どうしてだか、わからない。

僕は、ピッチングは、You-Tube、のプロ投手の、スローモーションの動画を何回も繰り返して見て、また、工藤や、桑田の、解説も聞いて、また、自分でも考えて、何度も、練習したが、上手くならなかった。

しかし、最近、バッティング・センターで、打つのを再開して、たいして、投げていないのに、見違えるように、上手くなった。

90km/h台は、出ているだろう。

稲村亜美と同じくらいの技術がある、と思う。

僕は、子供の頃、喘息で、体力がなく、集団スポーツは、出来なかったし、もちろん、野球も、遊び程度で、数回しか、やっていない。

しかし、今は、コントロールも、あるので、ストライクがとれるから、草野球なら、十分、ピッチャーをやれる。

僕が、スポーツを、バカにしながらも、色々な、スポーツをしているのは、筋肉をつけ、血行を良くし、持久力をつけ、アンチエイジングのため、である。

それと、水泳を、長時間、やっていると、βエンドルフィン(脳内麻薬)が、出るからだ。

技巧力の向上も、アンチエイジングの効果がある。

過敏性腸症候群の最高の治療は、僕にとっては、水泳である。

スポーツの、勝ち負け、なんて、僕は、全く興味ない。

そういう理由で、スポーツをしているので、右で投げたり、(僕は左利き)、ということも、している。

ストライクが、とれなければ、草野球のピッチャーは、出来ないが。

5球、投げて、そのうち、3球、ストライク、が、とれれば。つまり要するに、ボールを投げて、6割、ストライクが、とれれば、草野球のピッチャーが、出来る。

それくらいのコントロールは十分ある。なので僕は、草野球のピッチャーが出来る。

本当に、一度、やってみたい。


☆考察。

夏は、二日に一度くらい、水泳をやっていて、今、体調も良く、キビキビ動けるので、そのために、運動の技巧も、上手くなったのではないか、と思った。

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そもそも愛国心など欺瞞である

2016-08-26 14:38:25 | 考察文
そもそも愛国心など欺瞞である。

保守だの、右翼だの、チャンネルなんとか、だの、は、日本を愛する、とか、言ってるけど。

「日本を愛する」、とは、何だ?。どういう行為が日本を愛する行為だというのだ?

そもそも、そんな定義など、ない、のである。

だが、漠然と考えて、「日本を愛する」、というのは、日本人、つまり、日本の国籍を持った人間を愛すること、と、言えるだろう。

そして、まだ、生まれていない、未来の、日本の子供たち、を愛することだろう。

同胞なのだから。

しかし、ここに、矛盾が生じてくる。

同胞の、日本人であっても、中国や韓国と親しくすべきだと思っていたり、集団的自衛権に対して、否定的な考えの、日本人を、保守だの、右翼だのの連中は、左翼だの、売国奴だの、と言って、嫌う。

しかし、考え方に違いがあっても、日本人なら、ほとんど全員に近い日本人が、日本が良くなって欲しいと思っている。

しかし、保守だの、右翼だのの連中は、自分と考え方が違うと、日本を愛する日本人でも、左翼だの、売国奴だの、と言って、嫌悪する。

つまり。結論から言うと。

保守だの、右翼だの、とかいう輩は、自分と同じ考えを持った日本人だけに限定して、そういう条件つきの日本人だけを同胞だと思っているだけなのである。

彼らは、単なる、わがままな、エゴイストなのである。



僕は、こう思う。愛国心というものが、「日本人を愛すること」、であるならば、全ての日本人を愛することが、「愛国心」、だと思う。たとえ、それが犯罪者であろうとも。

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