小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

天皇制と暴走族

2015-05-07 20:32:02 | 考察文
昨日の続き。

さて。天皇制と暴走族には、共通点がある。別に、暴走族で、なくても、清水の次郎長でも、国定忠治でも、いいのであるが。

つまり。誰でも、自分が、ある組織のトップ、リーダーには、なりたくないのである。リーダーは、責任が重くて、疲れるからである。

それより、忠実な子分という、立ち場の方が、楽だし、リーダーに忠実に従っている方が、気持ちがいいのである。

暴走族のリーダーというのは、気性の荒い、大物でない場合が、多い。気性の荒い人間は、子分という立ち場をとって、リーダーを、穏健な人間に、まつりあげる方が、活動しやすいのである。

つまり、リーダーを傀儡にして、崇高なものを、崇拝する、ロイヤリティーの心地よさを、味わっている方が、楽だし、気持ちがいいのである。

これは、天皇制の歴史でも、同じで、摂関政治が、数えきれないほど、行われたのが、それを、示している。

もっとも、摂関政治の場合には、権力者は、陰のドンという、存在であって、ロイヤリティーの心地よさ、というものは、ない。

これは、政治的なエロティシズム、と言える。

SMプレイの、女王様と、それに仕えるM男の関係で、女王様が、天皇に、代わっただけである。

街宣車で、パンパカ、傍迷惑な、バカでかい音楽を鳴らして、走っている、右翼、という輩は、、ロイヤリティーに対する忠誠心、という心地よさ、を味わっているだけなのである。

彼らが、日本の国難に、立ち上がるか、と、いったら、立ち上がらないのである。

自分の気持ちのいいこと、だけを、しているだけなのである。

そういう感情は、多かれ少なかれ、日本国民は、持っているのである。

次期天皇は、あなた(これを読んでいる人)です、と、言われたら、あなたは、喜ぶだろうか?

喜びはしない。みな、辞退する。

天皇ほど、自由のきかない、堅苦しい、立ち場には、誰もなりたくは、ないのである。

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