武井咲と妻夫木聡で、「愛と誠」のミュージカルのような映画が出来た。「愛と誠」は、原作の漫画が優れ過ぎているので、安直に、下手なドラマや映画にして欲しくない、と私は思っている。が、この、武井咲と妻夫木聡のミュージカル的映画は、結構いい。二人は、「愛と誠」の話がよく分からない、と記者会見で語っている。無理もない。なので私が解説しよう。私は、梶原一騎の漫画は、ほとんど全部、持っている。そして私は、梶原一騎の漫画の意味を完全に理解している、という自負がある。梶原は、「愛と誠」の前に、「夕やけ番長」を書いている。これは、「愛と誠」とストーリーの作り方で共通する点が多い。また、かざま鋭二の絵で、「朝日の恋人」という初の恋愛路線物を書いている。「夕やけ番長」は大成功だか、「朝日の恋人」は、あまり成功とは、言えない。「愛と誠」は、矛盾がいくらでも、あるから、よくわからない話と、とらえられてしまう。のだが、大切なのは、梶原一騎が表現したかったこと、を味わえばいいのである。わからなくても、太賀誠のド迫力の根性に圧倒されれば、それで、いいのである。
早乙女愛は、太賀誠の人生を傷つけ、狂わしてしまい、グレさせてしまい、その償いのために一生、命をかける、というストーリーを梶原一騎は書きたかったのである。しかし早乙女愛のような、誠実な女性が一人の人間の人生を狂わしてしまう、というストーリーは、極めて作りにくいのである。なのでストーリーに無理がある。太賀誠は、スキー場で命をかけて早乙女愛の命を救う。その代り、眉間に傷をつけてしまう。しかし、それだけなら、たいした問題は起こらなかった。早乙女愛は、全く悪くはない。悪いのは、傷に破傷風の感染があるのを見落とした医者の責任である。そして、一年間、太賀誠は、留年したが、留年したことを、ばかにして囃し立てた同級生の生徒達が悪いのである。そして、グレン隊とケンカして、山小屋の家を燃やされてしまったのは、グレン隊とケンカした太賀誠が悪いのである。太賀誠の父親と母親は、不和になって、離婚してしまうが、それは、離婚した太賀誠の父親と母親が悪いのである。早乙女愛は、何ら悪くはない。しかし、そうしてしまうと、お話しが作れなくなってしまう。なので、それらは早乙女愛の責任ということに、しているのである。そして、太賀誠は、「他人から理由のない借りを作らない。いかなる権力にも頭を下げない」ことをモットーとしている誇り高い人間なのである。では、なぜ、早乙女家から、学費と生活費の援助を受け、青葉台学園に入ったか。それは、太賀誠は、早乙女愛に、大きな貸し、があるからである。そして、早乙女愛が喫茶店でアルバイトしていたことを、早乙女愛の母親につきつけて、作戦的に、早乙女家と、取り引きしている。のである。だから、太賀誠は、誇りを無くして、早乙女家に依存しているのではない、のである。ここら辺のことは、一般の人では、わからないと思う。梶原一騎、自身、10年に一人出るか、出ないか、というくらいの、太賀誠に近いくらいの、誇り高い人間なのである。なんせ、当時の国民的英雄で、年上の力道山を「リキさん」と対等に呼び、さらには力道山物語を書くにあたって、力道山を脅迫したほどの、凄い男なのである。梶原一騎は完全に太賀誠と一致しているわけではないが、梶原一騎にとって太賀誠は男の理想像なのである。私は天才なので、他にも、梶原一騎や、梶原一騎の漫画のことは、全て説明できるが、またの機会に書く。