小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

トマス・ホッブズ(心理的利己主義)

2014-06-23 19:21:35 | 考察文
人間の行動は、基本的に、全て、自分の利益、自分の幸福追求のため、という動機からである。
自分を犠牲にして他人のため、という行動は、(極めて少ないが)あることもある。しかし、「自分を犠牲にして他人のため」、と見える行為も、その精神まで含めて、詳しく突き詰めて見ると、結局は、「自分のため」である場合がほとんど、である。極論を言えば、「人間は自分のためにしか行動しない」と言っても過言ではない。
かく言う私自身を振り返ってみても、私が今まで、「自分を犠牲にした他人のため」の行動をしたことがあるか、というと、全く思いつかない。確かに、一見、「自分を犠牲にした他人のため」のように見える行動は、いくらでも思いつける。しかし、それらは、「私の良心や信念、誇り、のため」の行動であったりする。たとえ、やりたくない嫌なことをする時でも、それをしないと、自分が不利になるから、嫌なことをするのであって、突き詰めれば、結局は、自分の利益のための行動である。

たとえば。「愛と誠」で。太賀誠が自分の命の危険をかえりみず、早乙女愛を救ったのも、太賀誠にしてみれば、男の誇りを守るためであり。

特攻隊においては。色々な理由があるだろうが。一番、大きなものは。特攻に出撃せず、皆に陰で、非国民とか腰抜けと言われたり、思われたりされながら生きる精神的苦痛の方が、非国民と皆に言われずに死ぬ精神的苦痛より、はるかに大きかったからで、より苦痛の少ない方を選んだ、と言える。

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安部ファシスト内閣

2014-06-23 08:22:25 | 政治
「自衛隊を暴力装置」、というのは、とんでもなく悪いことだか、国民に問うことなく、強引なこじつけ解釈で、集団的自衛権を法制化し、交戦権を有効にして、日本の平和主義の憲法を破り、武器商人となり他国に武器を売りつけ(これは漁夫の利で、非常に儲かる悪魔商法である)、ソドム、ゴモラのようなカジノを作って腐敗した国にしようというのは、正しいことなのか?

集団的自衛権を合法化、することによって、一番、喜ぶのは、日米軍事同盟を結んでいるアメリカである。アメリカの国益になる戦争に、日本が協力してくれるわい、と大喜びである。アメリカは、イスラム教国との戦いが多いから、日本はイスラム教国に恨まれることになる。イスラム過激派は、ビン・ラディンのように、東京タワーや東京スカイツリーに突っ込んでくる可能性が高くなる。

集団的自衛権の容認は、アメリカ側からの催促ではない。阿部晋三というタカ派の個人的な願望である。戦後、アメリカが暴力で作って、押しつけた日本国憲法の、戦争放棄は、アメリカに対する復讐として有効に使うべきだ。戦争放棄の憲法のため日本は、軍事力に金をかけることなく、日米同盟のもと、戦後、経済復興に専念できた。これは、胸がすくようなアメリカに対する復讐である。この外交カードを有効に使わない手はない。集団的自衛権を容認する代わり、アメリカは普天間、辺野古の基地を撤廃し、グアムにでも、米軍基地をつくれ、とアメリカに突きつけることだって出来る。実にもったいない。どの国でもそうだが、アメリカはアメリカの国益しか考えておらず、日本の国益など全く考えていない。もし集団的自衛権が日本の国益にもなりますよ、というアメリカ政府高官がいたら、それは、心にも無いウソである。

日本は、アメリカやEUのように、国家的経済戦略を持たなかった。人が良過ぎた。のほほんとしていた。だから、経済においては、多少、狡猾になるのは、いいだろう。しかし、集団的自衛権に関しては、デメリットはあっても、メリットはない。

自民党の暴言は、撤回、謝罪、すれば、それで、すむが、民主党の暴言は、撤回、謝罪しても、(ほとんど暴力によって)すまさなくするのだから、自民党こそ、暴力装置という名前がふさわしい。

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丸川珠代

2014-06-23 07:31:21 | 政治
仙石由人の「自衛隊は暴力装置」発言に対し、丸川珠代は、「命をかけて国を守ろうとしている自衛隊員」と、自衛隊員のことを崇高に言った。が、はたして、そうだろうか。私はそうは思わない。防衛大学や自衛隊に入ろうと思った人間の動機は。知る由がない。人の心は知る由がない。動機は、各個人で違っているはずだ。もちろん、そういう崇高な人もいるかもしれない。しかし、国のために命までかけようと思っている人は、私は少ないと思う。それよりも。公務員は、全て、親方日の丸で、潰れる心配がなく、全ての公務員の守るべき三大原則は、「遅れず、休まず、働かず」であり、安定して楽な仕事、という理由から、自衛隊という職業を選んだ人の方が圧倒的に多いと私は思う。自衛隊員に、自衛隊になろうと思った志望動機を聞けば、そりゃー、丸川珠代の言うように、「命をかけて国を守りたい、と思ったからです」、という、理想的な崇高な返答を、自衛隊員の全員が言うであろう。しかし人間とはウソをつく動物であり、本音と建前が違う動物なのである。ましてや、日本は、憲法九条により、交戦権を放棄していて、戦争をしない国なのであり、自衛隊員が死ぬ危険性は、0.1%もないくらい、自衛隊員は安全なのである。自衛隊員の仕事は、戦闘の訓練、と、災害が起こった時の救助活動である、というのが、現状である。だから、自衛隊を志望した人の動機は、親方日の丸で、収入が安定していて、死ぬ危険が、まずなく、仕事は、戦闘の訓練、と、災害が起こった時の救助活動、という理由で、選んだ人がほとんどだと私は思うのだが。

警察官にしても同じである。丸川珠代の理論によると、警察官は、命をかけて国の治安を守ろうと志した崇高な人間ということになる。しかし、警察の、ずさんな恫喝的取り調べ、事件の検証義務の放棄、バカげたネズミ取り、裏金での遊行、常に仕事をサボろうとする態度を見ると、とても、警察官が崇高な人間には、さらさら見えない。そりゃー、警察官に、警察官になろうと思った動機を聞けば、全員、「命をかけて国の治安を守りたいからです」という模範解答を言うだろう。

医者に、医者になろうと思った動機を聞いても、これまた、全員、「人の命を救いたいからです」と崇高な返答をするだろう。まあ、そういう人もいるだろうが、そういう人は少数派だと思う。個人的に言うならば。私が、医者になろうと思った理由は。理数科系が出来て、国公立の医学部に入れる学力があっから。医者は社会的地位の高い職業だから。困難なことへの挑戦のため。自分が子供の時から病人で、医者を見返してやる復讐のため。などが理由である。(私の場合は、多くの人と違って、金が儲かるから、という理由は、あまりない)私には、人の命を救いたい、などという高邁な理由など毛頭ない。私は私が幸せになるために、医学部に行こうと思ったのである。

人の心の中は絶対、わからない。

丸川珠代の矛盾は、わからないもの(人の心)を、こうだ、と勝手に断定したところにある。

ちなみに、私は、丸川珠代の憤りの発言は、本心(多少はあるが)からではなく、怒る時には怒るという、自分の自民党の中での人気を上げ、自民党の中で、政治家としての地位を確固とし、次期選挙でも、再選するためのパフォーマンスを国民にアピールする、という自分の利益の追求という要素の方が大きいと思っている。(思っている、と言っているのだから、これは断定、決め付け、ではなく、推測である)

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