芥川の死。菊池寛によると、芥川の死の動機は、芥川の「手記」に記されている「ボンヤリした不安」であって、それを疑うことは、死者に対する冒涜らしい。だが、私は、あえてその冒涜を犯す。確かに、芥川の主観では、「ボンヤリした不安」が死の動機であると、私も思う。文面からそう感じるからである。しかし私には芥川の死には、決定的な一つの大きな動機があると思うのである。その動機が、他にさまざまな苦しみを連鎖的に起こした。あるいは、その動機がなくなれば、他の苦しみも、連鎖的に良くなった可能性があると思うのである。それは。一言で言って。文学の価値観の変化だと思うのである。確かに、芥川は死の前に、神経衰弱、身内の自殺、近代文学集の印税の問題、など、様々な問題を抱えていた。しかし、もう一つ、大きな事がある。それは、谷崎純一郎と、大文学論を激しく戦わせている事である。芥川ほどの作家は、ちっとやそっとのことで死ぬようなやわな人間ではないと確信している。芥川は晩年、文学の価値が、筋の面白さ、ではなく、詩的精神の高さ、に変わっていった。そして、それを求め、書く小説も、「歯車」、「蜃気楼」、「玄鶴山房」など、筋の無い、心境小説を書くようになった。そして、川端康成は、「歯車」を、芥川の最高の作品と賛美した。いかに芥川の文学的価値が心境小説に変わってしまったかが分かる。芥川は、志賀直哉の心境小説を最高のものと見なした。それ以前にも、芥川は、佐藤春夫の詩的小説を評価する文章を書いている。萩原朔太郎に、「君は小説家であって、詩人ではない」と言われた時は、弟子の堀辰雄と、萩原朔太郎の家につめかけたほどである。確かに、「歯車」は成功だった。しかし神経質で凝り性の芥川には、志賀直哉のような虚心坦懐な文章は書けない。内容も、自分の毎日の精神的な苦しみを書くものになるだけで、志賀直哉にはとても及ばない。志賀直哉は、芥川に、一年休む事を提案したが、何年、休んだところで、芥川の気質から、志賀直哉のような小説が書けるようにはならないことは明らかだった。文章も志賀にはかなわず、内容も、自分の精神的苦しみを吐露する小説を書き続けることになるのは、明らかで、そんな事は、芥川にとっては、赤面の至り、屈辱、もはや芸術至上主義の小説家として、生きてる事が、ほとんど無意味、と判断したのだと私には思われる。どんなに学があって、教養があって、人目には、様々な奇抜な作品を書く能力があっても、本人の芥川が満足できないのであれば、学も教養も宝の持ち腐れである。そういう風に芥川は、自分の将来を見切って、絶望し、それが死を決意する結果になったのだと私には思える。
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