活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

ありのまま 1

2015年06月26日 | 法理
鏡はそのものをズバリ映していますが、鏡自身は汚いとも綺麗とも、好きとも嫌いとも、何も語っていません。

鏡に映していること自体も認識していません。

このように鏡に映った様子を【ありのまま】と言い、私達衆生の一挙手一投足が、すべてそういう働きをしています。


ですから、鏡の様に映るがままに任せて送ったとが出来れば私達衆生は、いかなる場合でも「ありのまま」に、そのまま受け取って生活をし、きちんと全ての物事が解決しているという事です。

ところが、なかなか「ありのまま」になることが出来ません。

何故かというと、そこに「自我」の働きが介在するからです。


そして、人間 (じんかん) の生活においても、言葉以外のところに相手 (もの) の様子や、その持つ意味を考えてしまっています。

百人いれば百人の考え方や意識の中で、自分の生き方というものをこしらえ、生かされてしまうようになります。


その結果、私達衆生は「ありのまま」になれなくなる訳です。