達磨大師 (だるま だいし) の弟子の波羅提尊者 (はらだい そんじゃ) は、仏性 (ぶっしょう) というのは作用 (働き) にあり、八つの作用があると示されました。
すなわち、
「胎 (たい) に在っては、身と為り-----体という事
世に処しては、人と為り-----社会に出て人間の仲間に入るという事
眼 (まなこ) に在っては、見ると云う -----眼は物を映じて、きちんと分かるという事
耳に在っては、聞くと云う-----耳は音をきちんと分かるという事
鼻に在っては、香を弁じ-----弁じとは、分かるとか、区別するという事
口に在っては、談論し-----お互いに話をするという事
手に在っては、執捉 (しゅうそく) し、-----物をつかむ、握るという事
足に在っては、運奔 (うんぽん) す-----足を運ぶという事
識る者は、これを仏性 (ぶっしょう) と知り、識らざる者は、喚 (よ) んで、精魂 (せいこん) と作 (な) す」
と。
是れは身心を解放して、六根 (眼、耳、鼻、舌、身、意) の作用に任す事により「自己の正体」を見極める事が「学と無学」「経験の深浅」に関係なく出来る事を示されたのです。
この身の内に、この身を支配する何物かがある (霊魂) ように妄想を起こして、一つのものを二つに見る、これを無明 (むみょう) といっています。
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すなわち、
「胎 (たい) に在っては、身と為り-----体という事
世に処しては、人と為り-----社会に出て人間の仲間に入るという事
眼 (まなこ) に在っては、見ると云う -----眼は物を映じて、きちんと分かるという事
耳に在っては、聞くと云う-----耳は音をきちんと分かるという事
鼻に在っては、香を弁じ-----弁じとは、分かるとか、区別するという事
口に在っては、談論し-----お互いに話をするという事
手に在っては、執捉 (しゅうそく) し、-----物をつかむ、握るという事
足に在っては、運奔 (うんぽん) す-----足を運ぶという事
識る者は、これを仏性 (ぶっしょう) と知り、識らざる者は、喚 (よ) んで、精魂 (せいこん) と作 (な) す」
と。
是れは身心を解放して、六根 (眼、耳、鼻、舌、身、意) の作用に任す事により「自己の正体」を見極める事が「学と無学」「経験の深浅」に関係なく出来る事を示されたのです。
この身の内に、この身を支配する何物かがある (霊魂) ように妄想を起こして、一つのものを二つに見る、これを無明 (むみょう) といっています。
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