活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

長者窮子 (ちょうじゃ ぐうじ)

2015年06月15日 | 仏教
よく分かっていれば分かっているほど、疑いの煩悩「疑煩悩 (ぎ ぼんのう)」が強く出てくるのです。

そこの所は、おシャカ様の経文にも「自分が大変な宝を持っていながら、宝探しをしているようなものだ」と、「長者窮子(ちょうじゃ ぐうじ)」という故事が例えとして説かれています。

物語的なものとしては分かっても中々「なるほど、自分自身が長者であった」という事に、気が付かないものです。


あるいは、おシャカ様が四十九年の間「衆生本来仏である」と、説かれました。

しかし、それがどうしても信じられない、これが人間(にんげん) がこの世に出て来てからずっと相続されている【疑煩悩】というものです。


だから、いくらおシャカ様がそう言われても、この世の中には自分以外にもっと尊いものがあるだろうという事で、焦って他を探し回ってしまうのです。

ですから、単純にそのものに成り切って頂きたいのです。

そうすれば、諸々の「道 (法)」というのは【無我】であり、もちろん【自分も諸々の「道 (法)」のひとつ】ですから、すでにものと一体になってなくなっているという事がよく分かるのです。

自分がものと一体になってなくなっているという事は、【一切のものが自分】だという事です。


今まで見聞覚知 (けんもん かくち) するものだけを、自分だ、自分だ、と思っていたけれども、そうではない大変大きな自分に生まれ変わる事が出来るのです。


それを知る事が「道 (法) を求める」、「そのものに成る」修行の根本ではないでしょうか。




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