六根 (眼、耳、鼻、舌、身、意) から入る様々な様子を、六境 (ろくきょう) 又は、六塵 (ろくじん) と言っています。
六境 (六塵) 「色 (しき) 、声 (しょう) 、香、味、触 (そく) 、法 」を知覚する、眼識、耳(に)識 、鼻識、舌識、身識、意識を総称して六識 (ろくしき) と、言います。
この六識の対象となる六つの境界を六境といい、又、心を汚す六識の対象として六塵とも言っているのです。
今回は六境の中の二つ 「色 (しき) 、声 (しょう)」をあげて説明します。
「色 (しき)」というのは、「色(いろ)」という漢字ですが、ここでいう「色 (しき)」とは、【すべての物質】を言っています。
様々な物質が色々 (いろいろ) に形を変えている訳です、。
ところが、そんなに様々な物質の異なった様子が見えるのですが、見る“まなこ (眼)” は【ひとつ】ではないでしょうか。
声 (しょう) についても、大きな声 (こえ) もあれば、小さくて耳を澄まさなければ聞こえない様な 声 (こえ) もあるでしょう。
それから、非常にきれいな声 (こえ) もあれば、そうでない声 (こえ) もあるような状態ですけれども、聞くほうは【耳ひとつ】です。
ですから、眼 (め) を開ければ全てのものが見えるし、聞こうと思わなくても一切のものが聞こえてきます。
自分という考えを用いなければ、鳥の声は鳥の声として、犬の声は犬の鳴き声として、間違いなく そのもの、そのものの様子がきちんと眼にも見え、耳にも聞こえてくる訳です。
しかも、その相手は様々異なっているけれども、みんなひとつではないでしょうか。
ですから、いつも申し上げているように、元を探れば、ひとつのものが分かれているだけです。
それを分からせないのは、自我の働きの為に、様々な隔てを作っているという事なのです。
この分かれている状態を「差別 (しゃべつ)」と、言っています。
【世の中のありとあらゆるものは、皆ひとつのものだけれども、同じものはひとつもない】という事です。