先般、問・思・修(もん し しゅ) の 結果が証(悟) と述べました。
しかし、更に知っていただきたい大切な御言葉があります。
それは、信解行証入(しんげ ぎょう しょう にゅう) です。
「信、解、行、証」までは「問思修」と同じです。
問題は「入」なのです。
ここで先に「証」について述べさせて頂きます。
私達衆生の今の様子を「悟り」と言います。
今の様子というと直ぐに「あっ、今のこの状態だ」と、自分を認識するものが
あると思いますが、そういうものではありません。
「今」と自分が認識した時、既に、「今」は過去のものになってしまっています。
ですが、認識を起こす以前の様子 (悟り)が、私達衆生には「必ず在る」訳です。
ですから、悟れないという人は一人もありません。
何故なら「悟り」は、いつでも、自分が自分を認識する以前に「事実」として、
在るからです。
それなので、私はいつも「今の事実」に徹して下さいとお願いしているのです。
例えば、現在自分が葛藤の渦巻く真っ只中に在る人は、「これが何故、悟りだろうか」
と、言うような疑問をお持ちになるかと思います。
その事実、自分自身にその葛藤の事実があるはずです。
それを素直に、そのまま受けとることです。
ですから、いつでも「悟り」というのは、事実としてある事だと承知しておいて
頂きたいと思います。
真実に悟りを開いた時を、仏教では「大死(たいし)」、大きく死に切ると言います。
ただし、死に切ったという状態だけがあるのではありません。
同時に本当に隔てなく生き返る状態、「大活 (たいかつ)」がなければならないのです。
それが、本当の真理というものです。
「証 (悟)」というのが修行の目的ではありません。
「証 (悟)」の自覚を得て初めて「道」に「入る」という事です。
それを、「信解行証入 (しんげ ぎょうしょう にゅう)」と言います。
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