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AKB48が意味すること:「日本的想像力」の可能性(4)

2013年10月23日 | 世界に広がるマンガ・アニメ
◆『日本文化の論点 (ちくま新書)

著者によれば、現代の情報社会では一人の天才の仕事よりも、100人の凡才の部分的な才能を集約化した仕事の方が精度が高く、クリエイティブなものを残しやすくなっているという(集合知)。その代表が初音ミクやニコニコ動画であり、その象徴がAKB48である。とすれば、前回見たような日本社会の特質、「権威や権力を尊重せず、知的エリートにコントロールされることを嫌う平均的に知的レベルの高い巨大な大衆が存在する社会」は、情報社会がもっている潜在的な創造性を、より大きく開花させることのできる社会なのかもしれない。

現に著者は、政治や経済といった昼の世界に対し、陽の当たることのない夜の世界、すなわち、日本のインターネット環境やサブカルチャーの世界に、今後の日本の可能性を見ている。ここ数十年、この陽の当たらない世界では、異様なまでの生成・進化が絶え間なくなく起こってきた。誰も発想しなかったような多様で数奇なアイディアと創造性が渦巻いていた。それは、日本社会の片隅、周辺領域にすぎないが、この夜の世界にこそ日本の希望がある。そこで生まれてきたアイディアや技術が、この国を変えていく手がかりになる可能性がある。

マスメディアは、中心から周辺へ情報を一方的に発信し、一点に関心を集めることで個と社会を結び付けてきた。しかし複雑化し多様化した社会は、そのようなマスメディアの回路では対応しきれなくなった。したがって21世紀は、ポストマスメディアすなわちソーシャルメディア的なものに支えられた社会を考えなければならない。テレビなどのマスメディアによって成立した国民的娯楽の象徴がプロ野球だったとするなら、ポストマスメディアの時代のそれに当たるのは何か。著者は、それに当たるもっとも近い例としてAKB48が考えられるという。

これまで国民的興行は、マスメディアを通じてしか形成できなかったが、AKB48はマスメディアに依存せず、現場+ソーシャルメディアで国民的な興行をなしえた最初の文化現象だ。他にコミックマーケットやニコニコ動画が、やはりマスメディアとは切り離された世界で巨大な動員力をもつ。

当初、AKB48の選抜メンバーは秋元康が専制的に選抜メンバーを選んでいたということだが、やがて「運営側が一方的に選抜メンバーを決定するのはおかしい」、「もっとフェアに」という声がファンに広がり、その声を抑えきれなくなって、今の選抜総選挙という形が生まれたという。

ここでは、未完成のものを応援することでレベルを上げていくという、ファン参加型のゲームが成立している。これは、最初から完成されたものを受け取るだけの文化とは決定的に違う。たとえば西洋のプロフェッショナルリズムをアジアががんばって輸入し学んで、完成度の高いものを送り出すというシステムとは、楽しみ方の大元が違う。初めから完成度の高いものが登場してしまったら、ファンは楽しめないのだ。

現在AKB48は、JKT48、SNH48を結成し、アジア諸国への進出を試みる。アジア諸国では、はたして未完成なものに消費者が参加し、手を加えることで楽しみを生み出す参加型(ゲーム型)の文化運動はどこまで受容されるか。すでに述べたようにこの本での著者の主張は、「日本的想像力はソフトウェアを輸出するだけでは世界に拡大しない。ハードウェアを輸出し、日本的な楽しみ方、消費環境を定着させることではじめて輸出できる」というものであった。そして、AKB48の海外展開は、まさに日本的想像力の普遍性を問うものになる。21世紀の日本文化のゆくえを象徴する論点がここに存在するという。

ここでいう日本文化のゆくえへの問いは、著者が本の最初に提示した、現代の日本的想像力が21世紀のスタンダードな「原理」になり得るかどうかとという問いに関係している。

著者は、これから先の世界では、「日本のような」国が増えていく、すなわちキリスト教的な文化基盤もなければ、西欧的な市民社会の伝統もない、にもかかわらず民主主義を実現させ消費社会を謳歌する「日本のような」社会がアジアを中心に拡大するから、日本的想像力が世界に広がっていくと考えているようだ。

しかし、「日本のような」国は、一面で日本のようでありながら、多面で日本のようではありえない。私が、「日本的想像力」が成り立つ空間がどのような日本的伝統に根ざして形成されたかを強調したのは、アジア諸国の、「日本のよう」でありながら「日本のようではありえない」側面を際立たせたかったからだ。確かにキリスト教的、西欧的な伝統をもたなくとも、民族相互の闘争や西洋による植民地化を経験してきた国も多い。宗教的なものの束縛や格差も、日本よりかなり大きな国が多い。「日本的想像力」空間が生まれるのに、日本文化のユニークさ8項目が、多かれ少なかれすべて関係しているとすれば、現代の日本的想像力が、21世紀のスタンダードな「原理」になることはそれほど容易なこととは思えない。

ただし、西欧とはまったく異質な歴史と伝統をもつ日本が、西欧的な近代文明の原理をいち早く学んで近代化を成し遂げることが出来たように、「日本的想像力」が他国に受け入れられていくことは、まったくあり得ないことではない。おそらくそれは「日本的想像力」が、学んで受け入れたいと思わせるだけの強い輝きを放っているかどうかにかかっているだろう。

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