経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

5月3日 「御国が来ますように」

2020-05-03 08:24:20 | 礼拝
マタイの福音書6章:9節~15節
 
 イエス様が弟子たちに「こう祈りなさい」と教えられた「主の祈り」と呼ばれる祈りについて見てまいります。イエス様は弟子たちに祈りの模範を示されました。先ず、「天にいます私たちの父よ。」という呼びかけから始まります。最初の三つの祈りは神様についての祈りです。「御名が聖なるものとされますように。」とは、父なる神様だけが神としてあがめられるようにという意味です。全ての人たちが神様を知り、神ご自身がほめたたえられ、あがめられるようにと言うことです。しかし、現実はどうでしょうか。まことの神を知らず、神様以外のものが神としてあがめられています。被造物である人や物が神となっています。創造主である唯一の神様だけがまことの神としてあがめられますように。「御国が来ますように。」とは、神のご支配がこの地上に実現するようにということです。そして神の国は目に見える形ではなく、神を信じる人々の心の中にすでに来ているのです。人々が神を信じ、互いに愛し合う中に、御国がすでに来ています。そのように、神の救いがすべての人々に及び、御国が広がっていくようにということです。イエス様が宣教を開始された時に、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と言われました。その時から神の国は始まりました。そして将来において完全な神の国の実現が約束されています。人々がイエス様を信じて、神様のご支配の中に入れられますように。そして御国が広がっていきますように。「みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」これは二つ目の祈りと同じ内容を言い換えたものととることができます。「みこころ」とは、神様のお考えやご計画のことです。自分の思いや計画ではなく、神様のご意思や計画がこの地においてもなされていくようにという願いです。この地上ではサタンの力や人間の罪が神様のみこころを邪魔していますが、イエス様は「みこころが地でも行われるように」と祈ることを教えられました。

 主の祈りの後半は、自分たちのための祈りです。「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」とは、その日一日分の生活する上で必要なもの、食べるものや着るもの、住むところなど、そのような物質的な必要が今日も与えられるようにということです。そして「私たちの」と複数で言われているように、自分一人のためではなく、家族や友人、知り合い、また困っている人たちも含まれています。また「日ごとの糧」とは、目に見えるものだけではなく、愛ややさしさなど目に見えないもの、霊的なものをも指しています。私たちの心とたましいを支え生かすのは、神のみことばです。私たちは毎日食事をするように、霊的な糧をも必要としています。私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。今、足りなくて困っている人たちにも与えてください。「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」「負い目」とは、罪のことです。私たちはイエス様を信じて罪赦されますが、それでもなお罪の性質があるので、日々犯した罪を赦してくださいと祈る必要があります。そして「私の罪が赦されているように、私自身も人の罪を赦します。赦せるように助けてください。」と祈らされます。「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」サタンは、私たちを神様から引き離そうと悪いことに誘ったり、神様の愛を疑わせるような試練を与えたりします。誘惑や試練に負けて悪を行わないよう、神様が守ってくださることを祈ります。主は必ず試みに勝つ力を与えてくださいます。私たちを試みにあわせず悪から守ってくださいますように。そして最後に、「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン」という頌栄で締めくくられています。イエス様は「御国が来ますように」と弟子たちに教えられました。神の国はまだ実現していませんが、将来必ず実現することを待ち望みつつ、弟子たちにこのように祈ることを教えられたのです。今の時代もまだ御国は完成していませんが、世界中の教会と心を合わせて主の祈りを祈っていけば、神様の国が地上に広がっていくことでしょう。私たちもそのことを信じて、「主の祈り」を祈り続けていきましょう。
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