ルカの福音書23章32~46節 「イエスの十字架」
イエス様の他に2人の犯罪人がいっしょに、何度もむちを打たれた後で、「どくろ」と呼ばれる場所へ連れて行かれました。そこにくると、彼らはイエスを十字架に付けました。また犯罪人たちも、一人はイエス様の右側に、一人は左側に十字架に付けました。十字架刑は重い罪を犯した者に対する最も重たい刑罰です。主イエスは十字架上から少なくとも七つのことばを語られました。その最初のことばが34節のことばです。(34)「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」イエス様が十字架にかかり、その苦痛の中で、最初になさったことは祈りでした。「父よ、彼らをお赦しください」と、自分を十字架に付けた人たちへのとりなしの祈りをしました。「彼ら」とは、ローマの兵士だけではなく、民衆やユダヤの指導者たちなど、十字架にかかわったすべての人を指していると言われます。そして、その中に、私自身も含まれているということです。私自身も赦されなければならない者であり、とりなしの祈りを必要としている者です。主は私たちが罪を悔い改め、神に立ち返るようにとりなしていてくださいます。
十字架にかけられていた犯罪人の一人もイエスを罵りました。「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」すると、もう一人が彼をたしなめて言いました。(40~41)「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」彼も初めは一緒になってイエスをののしっていました。しかし、彼は一番近いところでイエスさまを見、自分を殺そうとしている人たちへの祈りのことばを聞いて、この方には罪がないことに気づきました。そして彼は続けて言いました。(42)「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」自分の罪を自覚してへりくだり、死んで神の国に入るときにはせめてこのような罪人がいたことを思い出してくださいと、あわれみを求めました。すると主は言われました。(43)「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」パラダイスとは「楽園」「天国」と訳すことができます。主イエスを信じる者は、まさに信じたその日から主イエスとともにパラダイスにいることが約束されています。そして、人が悔い改めるならば、たとえ死の直前であっても、パラダイスに入ることができるということです。
さて、時はすでに昼の十二時ごろでした。昼間にもかかわらず太陽が光を失い、辺り一面が暗くなりました。その暗闇は主が息を引き取る三時まで続きました。すると神殿の幕が真ん中から裂けました。幕が裂けたということは、神と人との間に隔てるものがなくなったことを表しています。その時、イエス様は大声で叫ばれました。「父よ。わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られました。(Ⅰペテロ2:24)「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。」主が十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪から離れて主に従って生きるためです。アリマタヤのヨセフは、議員の一人でしたが、仲間のユダヤ人を恐れて主の弟子であることを隠していましたが、今回、恐れずに主の体の引き渡しを総督ピラトに願い出ました。彼は主の十字架を前に心に感動が与えられ行動が変えられました。私の罪を赦しきよめてください。十字架を仰ぎ、主の愛にお応えしていきます。
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