経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

11月28日 アドベント第一礼拝「救い主の誕生①-救いの角-」

2021-11-29 21:56:00 | 礼拝
聖書個所:ルカの福音書1章8~20節,67~79節



 ザカリヤ夫妻についてですが、ザカリヤはユダヤのヘロデ王の時代、アビヤの組の祭司でした。彼の妻はアロンの子孫で名をエリザベツと言いました。二人とも神を信じる正しい人たちで、神の命令通りに、落度なく行っていました。しかし、彼らには子どもがいませんでした。エリサベツは不妊の女で、また二人ともすでに年を取り過ぎていました。ザカリヤが、祭司の務めをしていた時に、祭司職の習慣でくじを引いたところ、ザカリヤに当たり、神殿に入って香をたくことになりました。するとその時、主の使いが彼に現われて、香の祭壇の右に立ちます。これを見たザカリヤは取り乱し恐怖に襲われます。み使いは告げます。(13)「恐れることはありません。ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。」二人は子どもを授かりたいとの願いはとうの昔に忘れていたことでしょう。しかし、主は二人の祈りを覚えておられたのです。そしてその子は、二人のためだけではなく、多くの救い主を待ち望むイスラエルの人々にとっても大きな喜びとなります。なぜなら、その子はエリヤの霊と力に満たされ、主に先立って歩み、不従順な者たちを神に立ち返らせ、来るべき救い主の道を備える者になるからです。

 ザカリヤは御使いに言います。(18)「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年をとっています。」ザカリヤは信じることができませんでした。「何によって知ることができるのか」と、御使いが言われる言葉以外に、そのことが分かるしるし、証拠を求めたのです。(19~20)み使いは答えます。「この私は神の前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この良い知らせを伝えるために遣わされたのです。見なさい。これらのことが起こる日まで、あなたは口がきけなくなり、話せなくなります。その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです。」ザカリヤは、子どもが生まれるまで、口がきけなくなってしまいます。み使いのことばを信じなかったからです。しかし、神のご計画は人間の応答に左右されることなく、その時が来れば必ず実現します。しばらくして、御使いの御告げ通り、エリサベツはみごもりました。

 月が満ちて、エリサベツは男の子と産みました。8日目には、割礼を施し、名前を付けることになっていたので、近所の人々や親戚がお祝いに集まりました。彼らは父親の名前にちなんで「ザカリヤ」と名付けようとしました。しかし、母親のエリサベツは「いいえ、その子の名は、ヨハネとしなければならない」と言いました。周りの人々が不思議がると、父親のザカリヤに確認し、書き板を持ってきて書かせたところ、「その子の名はヨハネ」と書きました。すると、ただちにザカリヤの口が開かれ、舌が解かれ、物が言えるようになって、神をほめたたえました。68節から「ザカリヤの賛歌」です。ザカリヤは聖霊に満たされて預言して言います。(68~69)「ほむべきかな、イスラエルの神、主。主はその御民を顧みて、贖いをなし、救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた。」この賛歌は、今こそ、約束された救いを備え、実現してくださる神への感謝が歌われています。後半の76節には、自分の息子のヨハネが救い主のために準備をする人になるという使命が預言されています。救いを備え、実現してくださった主は、変わることのない深いあわれみと真実な愛をもって私たちをも導いていてくださいます。待たされたとしても、主は必ず必要に応じてくださいます。主の最善を信じて待ち望みます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月21日礼拝「イスラエル王国⑧ー祝福の約束ー」

2021-11-22 15:20:11 | 礼拝
サムエル記第二7章1~7節,11b~19節

 ダビデは30歳でイスラエルの王となり、40年間治めます。彼が王となって最初に行ったことは、エルサレムを都に定めることでした。エブス人が長く支配していた町ですが、ギホンの泉から水をくみ上げる地下道を伝って町に侵入し攻め取りました。町の周りに城壁を築き、「ダビデの町」と呼び、首都とします。続いて、ツロの王ヒラムは、自国の立派なレバノン杉を大量に運び込み、ダビデとの友好のしるしとしての王宮を建てました。次にダビデがしたことは、「神の箱」をエルサレムの都に運び入れることでした。神の箱とは、先祖のモーセが神様から授かった「十戒」が刻まれた石板を収めていた箱です。イスラエルの中心には神様がおられることを示すために、ダビデは神様の箱を都に迎えたのです。神の箱は天幕の中に安置されました。このように、一連の大事業も一段落して、周囲の敵からも守られ、主はダビデに安息を与えられました。何よりも、放浪生活が長かったダビデにとって住む王宮が与えられたことは、大きな安息となったことでしょう。しかし、ダビデは、自分は王宮に住んでいるのに、持ち運ばれた神の箱はみすぼらしい天幕に置かれていることを心苦しく思い、預言者ナタンに相談します。(2)「この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中に宿っている。」ダビデは神のための住まい(神殿)を建設したいと思いついたのです。 

 ナタンは最初彼のこの申し出に賛成しましたが、その夜、主のことばがナタンに臨み、ダビデに語るべき言葉が告げられました。(5~7)「あなたがわたしのために、わたしの住む家を建てようというのか。わたしは、イスラエルの子らをエジプトから連れ上った日から今日まで、ずっと家に住んだことはなく、天幕、幕屋の中にいて歩んできた。わたしが一度でも杉材の家を建てるように求めたことがあったか。わたしは住む家を必要としていない。」そして (11b)「主があなたのために一つの家を造る」とありますように、「むしろわたしがあなたのために一つの家を建てよう」と言われたのです。ダビデが主の家を建てるのではなくて、主がダビデの家を建ててくださるのです。一つの家とは、つまり王国を意味しています。ダビデのために王国が立てられるということです。そして、その王国は、とこしえに続く王国です。サウルの家からは恵みが取り去られましたが、ダビデの家はそうではありません。ダビデの王国はとこしえまでも堅く立ち、あなたの子孫は永遠に祝福を受けると約束されました。そしてこの約束は、約千年後、イエス・キリストがダビデの子孫として生まれ、十字架で全人類の贖いを成し遂げてくださったことで成就します。
 
 18節からは、恵み深い主のことばに応答して、ダビデが感謝の祈りを捧げています。主がダビデのために家を建てようと言われた時、神の大きな愛に感動を覚えて、ダビデは主の前に出て、(18~19)「神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。」と、しもべにすぎない自分に、このような約束を与えてくださったこと、また、ダビデがなそうとしたことは、主の目には「小さなことでしたのに」、神ははるか先のことまで告げてくださったと、すばらしい約束をいただいたダビデは心から感謝して神をほめたたえました。神様の祝福は、ダビデへの約束通り、イエス・キリストによって成就し、私たちにも受け継がれています。私たちは神様に愛されている存在です。今年を振り返り、神様があなたに何をなしてくださったのか、また、今どんな祝福であなたを恵んでおられるのか、主の恵みを数えてまいりましょう。また、これから先どんな計画を持ってあなたを導かれるのか期待しつつ待ち望んでまいりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月14日礼拝「イスラエル王国⑦-神にゆだねる-」

2021-11-14 20:56:36 | 礼拝
サムエル記第一24章1~7節,26章6~12節

 サウル王はペリシテ人との戦いのために、ダビデを追いかけることを一時中断していましたが、ダビデが死海の西側にあるエン・ゲディの荒野にいることを知り、三千人の兵を率いて捕えに行きます。ある日、サウルは途中で用を足したくなり、一人で洞穴に入りました。すると、なんとその洞穴の奥にダビデたちが隠れていたのです。たまたまサウル王が入った洞穴が、ダビデたちが隠れていた洞穴だったのです。明るい外から暗い洞穴に入ったサウルは、奥の方にダビデたちが潜んでいることには気づきません。ダビデの部下はとっさにチャンスがきたと思いささやきます。「今こそ、王を倒すチャンスです」ダビデも一瞬そう思ったかもしれません。しかしダビデはサウルに手をかけようとはしませんでした。その代わりに、サウルの背後に近づき、サウルの上着の裾をそっと切り取りました。そして(6)「私が主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼は主に油注がれた方なのだから。」と、部下がサウルに襲いかかることを許さなかったのです。(8~)サウルが洞穴から出て歩いていくと、ダビデは後ろからついていって、「王よ」と呼びかけます。サウルは驚きました。ダビデはひれ伏して、なぜ自分を殺そうとするのか、切り取った上着の裾を見せて、自分には殺意がないことを伝えます。事態を理解したサウル王は声を上げて泣き、「ダビデよ、おまえは私より正しい。私は間違っていた。」と謝罪し、自分の家に戻りました。

 しかし、サウルの反省は一時的で、再びダビデを殺そうとします。今度は、ダビデがジフの荒野に隠れているという情報を得ると、サウルは再びダビデを追って3千人の精鋭部隊を連れて追跡を始めます。ダビデはサウルが荒野に来たことを知ると、今度は自分の方から、真夜中に1人の家来を連れてサウルの陣地に忍び込みます。サウル王のテントを見つけると、王はぐっすりと眠っていて、枕元には槍がさしてありました。再びチャンス到来です。家来はダビデに言います。(8)「神は今日、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうか私に、槍で一気に彼を地面に突き刺させてください。二度することはしません。」しかし、今回もダビデはそれを許しませんでした。枕もとにある槍と水差しを取って、そこから立ち去りました。ダビデは近くの山に登り、大声でサウル王の部隊に呼びかけます。家来もサウル王も目を覚まし、王の枕もとにある槍と水差しがなくなっていることに気づきます。ダビデは今回も、王を殺すことができたけどそうしなかったこと、また、自分は王に何も悪いことを企んでいないことを告げ、自分をこれ以上追い回さないようにと願います。(21)それを聞いたサウル王は「本当に私は愚かなことをして、大変な間違いを犯した。」と反省の言葉を述べます。ダビデは続けます。(23)「主は一人ひとりに、その人の正しさと真実に応じて報いてくださいます。」(24)「今日、私があなたのいのちを大切にしたように、主は私のいのちを大切にして、すべての苦難から私を救い出してくださいます。」と告白するのです。ダビデは常に神を見つめ、神のみこころを求め、神への恐れがありました。(詩篇37:5~6)「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主はあなたの義を光のように あなたの正しさを 真昼のように輝かされる。」ダビデはイスラエルの王になるとサムエルから油注がれ約束されていました。でも、自分の手でそれをつかみ取ろうとはしませんでした。主が成し遂げてくださると信じて、自分の道を主にゆだねたのです。神様におゆだねしましょう。主は一人ひとりにその正しさと真実に報いて下さり、すべての苦難から救い出してくださるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月7日礼拝「イスラエル王国⑥-脱出の道-」

2021-11-08 13:29:08 | 礼拝
サムエル記第一18章1~11節,20章35~42節

 サウルの息子、王子ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛しました。彼はダビデに友情を示し、自分が着ていた上着や、自分の命にも等しいよろいかぶと、剣、弓、帯までも与えました。その後もダビデは戦いに出ると、連戦連勝、大きな成果を収めました。そのため、ダビデは多くの人たちから愛されました。ある時、イスラエル軍が戦いから帰ってきて、迎えに出た女性たちは、タンバリンや三弦の琴をもって勝利を喜んで歌い踊ります。(7)「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」ダビデはサウル王をしのぐ勇士と歌われるようになっていきます。しかし、サウル王はこれを聞くと激しく怒り、その日以来、ダビデに目をつけるようになります。自分の王位が奪われると不安になったのでしょう。そんなある日、わざわいの霊がサウルを悩まし、ダビデはいつものように竪琴を弾きますが、サウルは突然、手にしていた槍をダビデに向かって投げつけました。ダビデはとっさによけて身をかわしました。
 
 サウルの殺意は日に日に増していき、それまで内に秘めていたダビデへの殺意をヨナタンや家来に告げるようになります。そこで、ヨナタンはダビデにそのことを伝え、彼を野に隠れるようします。一方父には、ダビデは誠実な人物であることを話し、ダビデ殺害の罪を犯さないように父を説得します。幸いにもサウルは理解したので、ダビデは再び宮廷に戻ることができました。しかし、それは一時的なことで、ダビデが再びペリシテとの戦いで大勝利を収めると、再びサウルの妬みを引き起こしたのか、王はまたしても竪琴を弾くダビデを槍で殺そうとします。やっとのことで命からがら自宅に戻ったダビデを、妻ミカルは城壁の窓から降ろし、王の家来に気づかれないよう、夜の間に町の外に逃がします。そしてダビデはサムエルのところに逃げ込みます。それを王に密告する人がいたので、王はすぐに使者を遣わします。ところがサムエルの祈りがあったからでしょう。使者たちも何度も遣わされ、サウル自らも出向きますが、この時も圧倒的な神の霊の働きによって妨げられて捕えることはできませんでした。
 
 ヨナタンのもとに戻って来たダビデは、開口一番「私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかない」と苦しい胸の内を訴えます。そして、ダビデはヨナタンに、王が本当に自分を殺すつもりなのかどうか、真意を探ってくれるように頼みます。ダビデは月に一度開かれていた新月際を欠席し、サウルがどのように出るか確かめようとしました。二人は二人しかわからない秘密の合図を決めていました。新月祭の第一日目は、王はダビデが欠席していることについて何も言いませんでした。しかし、二日目もダビデがいないことを不審に思い、ヨナタンにその理由を尋ねます。ヨナタンが好意的にその理由を説明したとたん、王は怒りを爆発させます。ヨナタンが父に意見すると、サウルは槍をヨナタンに投げつけて打ち殺そうとしました。それで父がダビデを殺そうと決心していることを確信しました。ヨナタンは痛む心を引きずりながら小さな子供を連れてダビデがいる野に行きます。サウル王の家来に気づかれないように、狩りをするふりをして彼はダビデに会います。ヨナタンは、その子の向うに矢を放ち、「矢は、おまえより、もっと向こうではないか。」「早く。急げ。立ち止まってはいけない。」と叫びました。安全ではない、逃げなさいというサインです。子どもが去ると、ダビデは姿を現し、ひれ伏し三度礼をし、その後二人は抱き合って泣き、変わらない友情を誓って別れました。(Ⅰコリント10:13)「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」神は真実なお方ですので、あなたの心を平安で守り、必ず試練を通り抜けられるように助けて下さいます。日々主の平安で守られますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月31日礼拝「イスラエル王国⑤-私たちの戦いとは-」

2021-11-01 16:47:12 | 礼拝
サムエル記第一17章3~11節,41~49節
 
 谷を隔ててペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上に相対して陣を敷きました。戦いは膠着状態にあり、その時、ペリシテ人から一人の代表戦士が出てきました。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背丈は2メートル86センチ、頭には青銅のかぶとをかぶり、青銅のよろい、57キロもある胸当てを身に着け、足には青銅のすね当て、背中には青銅の投げ槍を背負い、槍の穂先は鉄で約7キロ近くありました。ゴリヤテは若いときから訓練された戦士でした。そして彼はイスラエルを挑発し、「一騎打ちで勝負しよう。戦っておれが負けたら、おれたちはおまえらの奴隷になる。だが、おれが勝ったなら、おまえらがおれたちの奴隷になって、おれたちに仕えるのだ。」と、40日の間、朝に夕に出てきて叫びました。しかし、イスラエル人の中には彼の挑戦を受けて戦う者は一人もなく、意気消沈しただ恐れおののくだけでした。

 ダビデはまだ少年でしたのでこの戦いには参加していませんでした。父エッサイに頼まれて、戦いに出ている3人の兄に食べ物を運び、安否の確認のために戦場にやってきました。ちょうどその時、ゴリヤテが陣地からやって来て、いつもの調子で、イスラエルを侮辱するのをダビデは耳にします。ゴリヤテの挑戦に、誰も応えず恐怖に震え上がっている様子を見たダビデは怒りをあらわに声高に叫びます。(26)「この無割礼のペリシテ人は何なのですか。生ける神の陣をそしるとは。」臆病風に吹かれるイスラエルの中で、ただ1人勇敢なダビデのことばがサウル王の耳に入り、サウルはダビデを呼び寄せます。ダビデは、(32)「このしもべが行って、あのペリシテ人と戦います。」とサウルに申し出ますが、王はダビデがまだ若いので許しません。しかしダビデが執拗に、これまで羊の番をしながら獅子や熊を打ち殺したこと、このペリシテ人も生ける神の陣をそしったのだから同じようになり、主はこの敵の手からも私を救い出してくださると訴えたので、王はダビデを送り出しました。ダビデは「自分の杖を手に取り、川から五つの滑らかな石を選んで、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にし」ました。戦う武器は、石投げと川から取ってきた石だけです。
  
 ゴリヤテはダビデを見て、彼が若くて紅顔の美少年だったのでさげすみました。一方ダビデは(45)「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。」神ご自身が戦われることを信じて立ち向かいました。(46~47)「すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」このように、ダビデのことばには神への信仰があふれています。ダビデはすばやく走っていき立ち向かい、手を袋の中に入れて石を一つ取り、石投げに入れて、勢いよくぐるぐると回して、ゴリヤテに向かって放ちました。石は見事ゴリヤテの額に命中し、石は額に食い込み、ゴリヤテはそのまま前に倒れました。それを見たペリシテ人たちは恐れて逃げていきました。このことは信仰者にとっての霊的な戦いを表しています。しかし、復活されてすでに敵に勝利された主が共にいてくださるので勝つことができるのです。(エペソ6:10)「主にあって、その大能の力によって強められなさい。」私たちは主にあって強くされます。(17~18)「御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」私たちの武器はみことばと祈りです。みことばと祈りによってサタンに立ち向かっていけるのです。弱い私が勝利できるように、今日もみことばと祈りによって私を強めてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする