経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

9月26日聖日礼拝

2010-09-27 10:59:54 | 礼拝
聖書:マタイ8:18-27
メッセージ:“大なぎをもたらす主”

Ⅰ:弟子としての道
(21-22)「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」
 父親が今亡くなったというのではなく、将来的に父親を葬ってから従うという言い訳に対して、今従いなさいと勧められます。生活の中で、何が一番大切か優先順位をつけ、神様を第一としていきます。

Ⅱ:助けを求める弟子たち 
(24)「すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。」
(25)「主よ。助けて下さい。私たちはおぼれそうです。」
 イエス様に従い舟で向こう岸に渡ろうとすると、突如として湖は暴風雨になりました。突然の嵐・試練の中にイエス様も共にいてくださいます。

 
Ⅲ:嵐を静めるイエス様
(26)「『なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。』それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
(27)「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
 イエス様は嵐を静め、大なぎしにてくださいます。「助けて下さい。おぼれそうです。」という叫びに応えて下さいます。また、人々のそのような叫びに耳を傾け、助けの手を延べていく者としてください。
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9月19日敬老の日礼拝

2010-09-21 13:25:47 | 礼拝
聖書:マタイ8:1-17
メッセージ:“あなたを背負う主”

Ⅰ:重い皮膚病の癒し
(3)「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ。』と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。」
 当時この病は触ると汚れると考えられ、社会から隔離され、孤独な生活を余儀なくされました。しかしイエス様は手をとり病人にさわられました。イエス様はあわれみをもって肉体的いやし、また精神的・社会的回復をも与えてくださいます。

Ⅱ:百人隊長のしもべのいやし
(8)「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。」
 彼はイエス様がメシヤとしての絶対的な権威を持ち、そのおことばには力があることを信じていました。
(Ⅱコリント4:16)「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
 聖書信仰に堅く立ち、主との交わりをいただき、日々内なる人が新しくされ、天の御国への希望をお与えください。

Ⅲ:ペテロの姑のいやし
(15)「イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。」
癒されると、感謝の思いから、主をもてなし始めました。
(17)「これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。『彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。』」
 私たちの病を背負うお方は、十字架上で身代わりとなり、罪咎をも背負ってくださいました。
(イザヤ46:4)「あなたがたは年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」
 これからも私たちを背負い、運んでくださる主に感謝しつつ、仕えていく者でありますように。
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9月12日聖日礼拝

2010-09-15 09:53:13 | 礼拝
聖書:マタイ7:13-29
メッセージ:“岩の上に建てた家”

Ⅰ:狭い門から入りなさい
(13-14)「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」
狭い門からはいる狭い道は、神の御国に入る道です。多くの人が入っていく広い道か、いのちに至る狭い道か、永遠のいのちにつながる狭い門・狭い道へと導き下さい。

Ⅱ:にせ預言者に気をつけなさい
(15)「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。」
 何が正しいのか、本物と偽物とを見分ける判断力・識別力が与えられますように。
(21)「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」
 何のためにしているのか動機を探り、御心を求めていく者でありますように。

Ⅲ:岩の上に家を建てなさい
(24-25)「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」
 外見は見分けがつきませんが、人生経験として台風が来る時に、その違いは明らかになります。試練が重なっても岩の上に建てられた家は倒れません。岩なるイエス様を土台としていくことができますように。
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9月5日聖日礼拝

2010-09-07 14:54:14 | 礼拝
聖書:マタイ7:1-12
メッセージ:“神の国の黄金律”

Ⅰ:さばいてはいけません
(1‐2)「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」
 私たちは他人の欠点に目がいくものです。しかしイエス様は自分の欠点、罪・けがれに気づかさせてくださいます。キリストの十字架により罪赦された者として、裁くのではなく、受けれいていく者とさせてください。

Ⅱ:積極的に求めなさい
(7)「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」
 一度や二度の失敗であきらめるのではなく求め続けていきます。積極的に神の国を求めます。積極的に宣教の業に励んでいきます。

Ⅲ:黄金律に生きます
(12)「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」
 当時のユダヤ人の教えは、「あなた自身の憎むことを、あなたの隣人に対してしてはならない。」という消極的なものでしたが、イエス様は一歩進んで人の必要に積極的に関わっていくよう教えます。愛されたいなら愛することです。受けたいなら与えることです。赦されたいなら赦すことです。黄金律に生きる者としてください。
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