経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

8月28日聖日礼拝

2011-08-29 08:25:06 | 礼拝
聖書:ピリピ4:4-9
メッセージ:“感謝をもってささげる祈り”

Ⅰ:いつも主にあって喜ぶ
(4)「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」
 どのようなときにも、イエス様にあって喜ぶことが勧められます。何かよいことがあるからというのではなく、生かされていること、イエス様と共に歩む喜びがあります。

Ⅱ:感謝の心をもって祈る
(6)「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
 思い煩いとは、心がいろいろなことに気をとられ、分かれてしまうことです。心にある思い悩みを感謝をもって神様に申し上げます。聞いてくれて当たりというのではなく、神に生かされ、守られ、最善にして下さることを感謝しつつ願いを聞いていただきます。

Ⅲ:神の平安が心と思いを守られる
(7)「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
 感謝をもって神様に申し上げる時、人知をこえた神の平安が与えられます。たとえ自分の思い通りではないとしても、すべてが神様の最善であると、感謝をもって祈りを捧げるとき、人の考えにまさる神の平安があなたの心と思いを守って下さいます。主イエスにあって、感謝しつつ喜びと平安の中に歩むことができますように。




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8月21日聖日礼拝

2011-08-23 14:28:06 | 礼拝
聖書:ヨシュア6:1-7
メッセージ:“エリコの城壁”

Ⅰ:立ちはだかる壁
(1)「エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。」
 エリコの町に突入するためには、周りをめぐらす難攻不落の城壁を崩さなければなりませんでした。ヨシュアはどうしたら城壁を乗り越えることができるかいろいろ考えました。あなたにとってのエリコの壁は何でしょうか。

Ⅱ:主を見上げる
(2)「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。」
 主ご自身が戦い、エリコの町を渡してくださいます。エリコの城壁や自分自身に目を向けて行くと行き詰ります。立ちはだかる問題に目を向けるのではなく、神様を見上げていきます。

Ⅲ:あきらめない
(3)「あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。」
 時が満ちるとき城壁は崩れ落ちます。あきらめずに、忍耐を持って主を待ち望み、主の方法・みことばに聞き従います。
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8月14日聖日礼拝

2011-08-17 17:06:47 | 礼拝
聖書:マタイ5:1-16
メッセージ:“平和をつくる者の幸い”


Ⅰ:神との平和
(ローマ5:1)「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」
 イエス様は神と人との和解の架け橋となってくださいました。神との平和を持ち、主と共に歩む者でありますように。

Ⅱ:自分自身との平和
(ヨハネ14:27)「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
 イエス様が与える平安とは、問題がある中でも与えられる平安、イエス様が共に歩んでくださる平安です。主にある平和・平安で心をお守りください。

Ⅲ:人との平和
(9)「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」
(13-14)「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」
 平和をつくる者として、地の塩・世の光としてお遣わしください。それぞれ与えられた役割・務めを守り通していくことができますように。
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8月7日聖日礼拝

2011-08-09 15:34:33 | 礼拝
聖書:マルコ14:66-72、ヨハネ21:15-19
メッセージ:“失敗者を見捨てない主イエス-主を三度否んだペテロ-”

8月6日(土)~8日(月)まで、教会サマーキャンプ(講師:玉川キリスト中央教会、本間義信師)が軽井沢恵みシャレーで行なわれました。

 使徒ペテロは三度イエス様を知らないと言い、裏切ってしまいます。信仰の失敗経験は誰にでもあることでしょう。そんなつもりではなかったのに後でまずかったかなと思うこともあります。ペテロはイエス様が十字架に掛けられた現場にはいませんでした。何をしていいか分からずただ呆然としていました。
 
 復活された主はペテロに現れ、三度「わたしを愛するか」「わたしの羊を飼いなさい」と言われ、彼の心を癒されます。もう一度もとの立場に戻してくださいます。「あなたは、わたしに従いなさい。」あちこちきょろきょろ見ないで私について来なさい。
 
 「使徒の働き」で記されているペテロの人物像は変わります。神のみ力・恵みが豊かに働いています。使徒ペテロでさえ迷いながら正しい道に立ち返っていきました。私たちも変えられ成長し続けていきます。
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7月31日聖日礼拝

2011-08-01 16:59:50 | 礼拝
聖書:ヨシュア記3:1-17
メッセージ:“一歩踏み出す”

Ⅰ:ヨルダン渡河の準備
(5)「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」
 ヨルダン川を渡る前に準備すべきことは自分の身をきよめることでした。きよめるとは、自分自身をこの世のものから切り離し、神様のものとすることです。
(9)「ここに近づき、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」
 主に信頼し、みことばに聞き従います。そのとき主は不思議を行なわれます。

Ⅱ:一歩踏み出す
(15-16)「箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、―ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが―上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。」
 この時期のヨルダン川は水量が多くあふれるばかりでしたので、渡るのに不安や恐れを覚えたことでしょう。しかし先頭に行く祭司たちは勇気をもって一歩踏み出しました。すると不思議なことに、ヨルダン川はうず高くせき止められ、道が現れました。神の恵みは向こう岸に開かれています。罪をきよめ、不信仰から離れ、信仰と勇気をもって神様の祝福の地へと一歩踏み出すことができますように。
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