経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

11月20日 感謝祭礼拝

2016-11-22 09:37:58 | 礼拝
聖書:ローマ8:28~39
メッセージ:“すべてのことが益となる”


1.神はすべてのことを益とする

(28~29)「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。」
 神は神を愛する人々、神のご計画によって召された人々には、すべてのことを働かせて益としてくださいます。なぜなら、私たちは御子に似る者として定められているからです。
(Ⅰテサロニケ5:16~18)「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
 自分にとって喜ばしいこともそう思えないこともすべてのことを御手の中で益としてくださいます。

2.私たちは圧倒的な勝利者となる

(37)「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」
 私たちは取り囲む問題や試練の中にあっても私たちを愛する方によって勝ち得て余りがあるのです。
(38-39)「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
 困難の中にあっても勝利していくことができるのです。それは神の愛につながれているからです。
 ベートーヴェンは音楽家にとっていのちでもある耳を悪くしていました。難聴は30歳前後から始まり、死を考えるほど追い詰められもしました。晩年はほとんど耳が聴こえなくなり、他に持病などにも苦しめられたそうです。しかしそのような中にあってもベートーヴェンは自暴自棄になることなく、逆に数々の名作を生み出していきます。その中でも「交響曲第9番」はあまりにも有名であり、その第4楽章「歓喜の歌」は神の栄光を高らかにほめたたえています。
 神はすべての中に働いて益としてくださいます。そしてどのような状況にあっても、神に愛されている者として勝利の中を歩ませてくださるのです。日々喜びと感謝のうちに導きください。
 
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11月13日 聖日礼拝

2016-11-15 10:46:31 | 礼拝
聖書:創世記17:1~8
メッセージ:“全能の神”
オルガン演奏:バルタ“主なる神をほめたたえよ”


1.全能の神は不可能を可能とします

(1~2)「アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。』わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」
 アブラムが86歳の時に女奴隷ハガルによってイシュマエルを授かりました。それから13年が経ち、アブラム99歳の時、再び約束を確認するかのように主の御声がありました。常識的には不可能に思えることも神には必ずしもそうではないことを表しています。人は弱く限りある存在ですが、主にあって可能としてくださるのです。

2.全能の神は祝福を注ぎ出します

「全能の神」とは、原語では「エル・シャダイ」であり、女性の胸、乳房を意味しています。力があり、祝福を注ぎ出すという意味があります。お母さんが無条件で赤ちゃんを愛しお乳を与えるように、全能の神は祝福を注ぎ出しすべての必要を満たされます。
 「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」とは、道徳的に完全ということではなく、いつも神様の前を歩み、神様により頼んで信頼して歩んでいくということに他なりません。アブラムはしばしば自分の知恵と力を過信し、危機的な所を通らされてきましたが、全能の神はなおも彼を祝福し、その都度必要な助けを与え救い出してきました。神は「エル・シャダイ」、私たちを祝福し必要な助けを与えてくださいます。

3.全能の神は将来に希望を与えます

(4-5)「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」
 神はアブラムの名前をアブラハム(多くの国民の父)としました。名前が変わることはその人の実質が変わることです。自分で自分を変えることは難しいですが、主ご自身が成長させ変えてくださるのです。神はアブラハムとだけ契約を立てたのではなく、彼の後の子孫との間にも契約を立てて永遠の契約としました。
 アメリカ合衆国第16代大統領アブラハム・リンカーンは貧しき家庭に生まれました。彼の母ナンシーは十分な教育は受けていませんでしたが、幼いリンカーンにいつも聖書を読んで聞かせていました。母ナンシーは若くしてこの世を去りますが、リンカーンに次のようなことばを残しています。「汝は百エーカーの農場を持つよりも、一冊の聖書を持つ者となりなさい。」その後、リンカーンは独学で学び政治家を志しますが、彼の演説の多くは聖書からの引用だったそうです。
 神がアブラムをアブラハムとされたように、私たちを祝福し将来に希望を与えてくださいます。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」主の御前を歩んでまいりましょう。
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11月6日 聖日礼拝

2016-11-07 13:57:38 | 礼拝
聖書:ルカ10:30~37
メッセージ:“良き隣人として”(震災復興支援センターオリーブ 千葉仁胤師)
特別音楽:ショパン“子犬のワルツ”


1.隣人として寄り添う

(33~35)「ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』」
 イエスは「良きサマリヤ人」の話をされました。ある人が強盗に襲われ、着物を奪われ半殺しにされますが、そこに来た祭司とレビ人は彼を見ると道の反対側を通り過ぎて行きました。しかしサマリヤ人は、彼を見てかわいそうに思い、近寄って介抱し宿屋に連れて行きました。費用も工面しました。
(36~37)「『この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。』彼は言った。『その人にあわれみをかけてやった人です。』するとイエスは言われた。『あなたも行って同じようにしなさい。』」
 サマリヤ人がその人の隣人となりました。イエス様が語られたサマリヤ人の姿は寄り添う姿を表しています。

2.寄り添うことで失うもの

① 旅のプランを変更する
サマリヤ人は強盗に襲われた人を介抱し一緒に宿屋に泊まります。旅の計画を変更します。私たちも計画を立てますがその通りに行かないことがあります。
② 持っているものを失う
サマリヤ人は、オリーブ油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして宿屋に連れて行き、デナリ二つを宿屋の主人に渡します。オリーブ油、ぶどう酒そしてお金を失います。自分の持っているものを捧げ天に宝を積みます。
③ 人生観、価値観が変えられる
傷ついた人たちに出会うことによって信念が変えられます。千葉先生は65歳で牧師を引退する計画を立てていましたが、6年前の東日本大震災によって被災された人たちとの関わりを通して大きく変えられました。
 被災地に限らず、私たちの周りに、傷つき、倒れ、叫んでいる人たちがいます。どこまで寄り添うことができるでしょうか。今の時代の教会の使命とチャレンジがそこにあります。
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10月30日 聖日礼拝

2016-11-01 10:19:04 | 礼拝
聖書:創世記16:7~14
メッセージ:“荒野にある泉”
特別音楽:デュプレ“ノエルによる変奏曲”


1.主は逃げる者を見捨てない

(7~9)「主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、『サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか』と尋ねた。彼女は答えた。『私の女主人サライのところから逃げているところです。』そこで、主の使いは彼女に言った。『あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。』」
 女奴隷ハガルはみごもると主人のサライを見下すようになり、それゆえに自分の主人のもとから追い出される羽目になってしまいました。当時奴隷が逃げ出すということは命がけでしたので、相当ないじめであったと想像されます。ハガルは追い詰められて遂に逃げ出してしまいました。しかし、主は逃げるハガルを追いかけ、荒野の泉のほとりで見いだしました。たとえ人に見放されても、主は見捨てることはありません。

2.主は苦しみを聞かれる

(10~11)「また、主の使いは彼女に言った。『あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。』さらに、主の使いは彼女に言った。『見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから。」
 主はハガルの苦しみを聞かれ、アブラムが受けた約束と同じ祝福の約束を受けました。彼女が異邦人の奴隷であったことを思うとすごいことです。生まれるこどもに「イシュマエル」(神は聞かれる)と名付けます。主は私たちの苦しみを聞き入れてくださいます。
 「がん哲学外来カフェ」を始められた樋野興夫先生は、「余計なお節介と、偉大なるお節介は、同じように思えるかもしれませんが、相手の必要に共感することが『偉大なるお節介』で、自分の気持ちで相手に接するのが『余計なお節介』です。」と語っています。教会は話を聞き悩みを抱えた人に寄り添う場所です。

3.主は生きて見ておられる

(13~14)「そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を『あなたはエル・ロイ』と呼んだ。それは、『ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは』と彼女が言ったからである。それゆえ、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれた。それは、カデシュとベレデの間にある。」
 「エル・ロイ」とは、「見ておられる神」「ご覧になる神」という意味です。ハガルは主人の冷淡な扱いや荒野でのさすらいの中でも、主は生きておられ、自分を見ておられることを経験しました。そしてそれを記念して「生きて見ておられるお方の井戸」と名づけました。彼女の心からはいのちの泉がわき上がったことでしょう。神はハガルに目を留められたように、私たちをも心配し目を留めていてくださいます。「あなたはエル・ロイ」と主をほめたたえてまいりましょう。
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