経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

6月27日礼拝

2021-06-28 13:46:07 | 礼拝
ヨシュア記14章5節~15節 「カレブの挑戦」

 ユダ族の人たちが土地分与のためにヨシュアのところにやって来て、その中に、カレブがいました。ヨシュアとカレブは45年ぶりの再会です。二人とも、モーセが12人の偵察隊をカナンに遣わした時のメンバーでした。カレブはヨシュアに申し出ました。(6~8)「カナン偵察の時、主がモーセに、私とあなたについて語られたことをあなたもよくご存じのはずです。モーセが偵察させるために、私を遣わしたとき、私は四十歳でした。そして偵察後、私は自分の心にある通りを報告しました。私と一緒に上って行った10人の者たちは民の心をくじきました。しかし私は、私の神、主に従い通しました。」
45年前、カナンを偵察した時、他の10人の偵察隊が「彼らは強くて、攻め上れない」と言うなか、カレブは、(民13:30)「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」と言ったのです。カレブはそのことを思い出して、ここでは、「自分の心にある通りを彼に報告しました」と言い表しています。他の10人は否定的な報告をして、「民の心をくじきました」が、カレブの信仰は揺るぐことなく、主に従い通しました。

 続けて、カレブはモーセが自分について言われたことばを明らかにします。(9)「あなたの足が踏む地は必ず、永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたがわたしの神、主に従い通したからである。」カレブは、主が語られたことをモーセから聞かされていたのでしょう。カレブはこのことばを忘れてはいなかったのです。(10)イスラエルの荒野を歩んでいた時に、主がこのことばを語ってから45年が経ちますが、彼はその時と変わらず、このみことばに支えられて生かされてきました。彼は85歳になっていました。彼は、45年間、ずっと変わることのない神の約束のことばによって支えられてきたのです。信仰に立って歩むとはそのようなことです。カレブは、若い時は勇敢な信仰を持っていましたが、年を重ねても、変わらず主に従い続けてきました。

 さらにカレブは続けます。(11) 「彼は85才になった今も、斥候として遣わされた時と同じように、「壮健で」、健康で元気で、戦争にも日常の務めもしっかりこなすことができる」(12)「今、主があの日に語られたこの山地を、私に与えてください。そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの日あなたも聞いていることです。しかし主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」ここでカレブは、45年前に主が約束された土地を、今、私に下さいと申し出ます。彼が申し出た土地は、決して簡単に手に入れることができるような土地ではありませんでした。この山地とは、背の高いアナク人がいて城壁のある大きな町々がある土地です。カレブもそのことは重々承知していました。「しかし、主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」と明言しているように、神が今も彼と共にいるゆえに、何ものをも恐れませんでした。この神のみ前には自分の老いなど問題ではありませんでした。御霊は勇気と積極性を与えられます。彼は神の約束を信じて、ヘブロンの土地が与えられると確信していたのです。 (13)カレブの堅い信仰にヨシュアも応答し、祝福をもって送り出します。詳細は記されていませんが、カレブはアナク人を攻略して、ヘブロンを相続地として獲得します。聖書は、これが彼の壮健によるところではなく、はっきり、(14)「彼がイスラエルの神、主に従い通したから」だと記しています。私たちもカレブのように、「主に従い通す」者とされますように。主が共にいてくださるのですから、恐れることなく、御霊によって勇敢に積極的に歩んでいけますように。
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6月20日礼拝

2021-06-21 13:58:17 | 礼拝
ヨシュア記6章1~21節 「崩れた城壁」

 エリコの町は誰一人出入りする者がなく、人々は身を潜め静まりかえっていました。ヨシュアが目にした城壁は、なかなか攻め上ることができないような堅固なとりでした。高さ5メートル、幅3メートルの石の壁で守り固められていました。さらに城壁の周りには幅8メートルに及ぶ堀が巡らされていました。彼らの前には高い壁が立ちはだかっていました。どうしたらこの壁を乗り越えていけるのかヨシュアはいろいろと考え悩やんだでしょう。しかしその時、主はヨシュアに告げられます。(2)「見よ。わたしはエリコとその王、勇士たちをあなたの手に渡した。」まだ戦いが始まっていないのに、エリコとその王、戦士たちを「あなたの手に渡した」と語ります。続いて、主はヨシュアに戦い方を示されました。(3~5)「あなたがた戦士はみな町の周りを回れ。町の周囲を一周せよ。六日間そのようにせよ。七人の祭司たちは七つの雄羊の角笛を手にして、箱の前を進め。七日目には、あなたがたは七回、町の周りを回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らせ。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたら、民はみな大声でときの声をあげよ。そうすれば町の城壁は崩れ落ちる。民はそれぞれ、まっすぐに攻め上れ。」主が示された戦い方は、意外なことでした。それは高い壁を乗り越えるための特別な戦略を立てたることでもなく、特別な武器を使ったりすることでもありませんでした。契約の箱をかつぎ、祭司が角笛を吹きながらその前を行き、一日一周、町を周り、七日目には七回周ることでした。

 イスラエルの民は命じられた順番で列になり城壁の周りを行進しました。武装した者たちが先頭を行き、その後に、七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って角笛を吹き鳴らします。その後を主の箱をかつぐ祭司たちが進みます。最後に武装した者たちが最後に進みます。鳴り響く角笛の音と、人々の行進の足音だけが聞こえていました。エリコの住民は、「彼らは一体何をしているのだろう」と思ったことでしょう。イスラエル人は城壁を一周すると宿営に戻り、夜を過ごしました。これが六日間、行われました。そして七日目になりました。(15)これまでと同じように、朝早く起き、隊列を組み、この日は城壁を7周回りました。7周回り終えて、角笛が長く吹き鳴らされました。その時、ヨシュアは兵士たちに、(16)「ときの声を上げよ。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。」と叫びました。民が角笛の音を聞いて大声で雄叫びを上げたその時です。(20)なんと、崩れる気配すらなかった堅固な城壁が、ガラガラと音を立てて崩れていったのです。民はそれを見て、まっすぐに町に攻め上り、エリコの町は陥落しました。

 神が示された戦いの方法は人の目には愚かに見えたかもしれませんが、その戦い方に従った時に、城壁は崩れ落ちました。神の方法はこの世の方法とは異なります。クリスチャンの生き方は、おうおうにしてこの世の価値観・方法とは異なります。毎週日曜日に礼拝を捧げる、毎日聖書を読み祈る、それだけでも他の人々とは生き方が違います。しかし、主の方法・みことばに聴き従う生活の中に、勝利をもたらす秘訣があります。様々な価値観であふれている現代において、聖書の教えを第一として、主への信仰を第一として生きていくことは、いろいろと葛藤があるかもしれません。周りからも理解されない時もあるでしょう。しかし、人には愚かに見えても、神は、私たちが神のことばに従って生きることを喜んでいてくださるのです。イスラエルが神の約束を信じ従ったように、私たちも神の約束を信じた時に神やキリストに喜ばれる生き方をすることができるのです。信仰に立って歩んでいけますように。
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6月13日礼拝

2021-06-14 11:39:07 | 礼拝
ヨシュア記1章1~9節,3章14~17節 「強く、雄々しくあれ」

 主はモーセの後継者としてヨシュアを立てられ新しい地へと導かれます。イスラエルの民が約束の地カナンに行くためには、ヨルダン川を渡らなければなりませんでした。これから彼らが(3)「足の裏で踏む」場所はことごとく、「すでにあなたがたに与えている」場所だと言われます。カナンはヨシュアの能力やイスラエルの戦力によって勝ち取る所ではありませんでした。そこが神の約束の地であるから獲得することができたのです。神様が用意されたところを信仰と従順によって獲得していくと言うことです。(5)あなたの前に立ちはだかる者は一人もいない、「わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。」と主の臨在を約束されました。(6)「強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならない。」これは、ヨシュアに与えられた使命です。確かに、ヨシュアに与えられた使命・任務は決して楽なものではありませんでした。「はたしてモーセのように民を導けるのか」という恐れがあったことでしょう。それゆえ主は、「強くあれ。雄々しくあれ。」と何度も励まされました。(7)また、律法を聞いて右にも左にもそれずそれを守り行うなら祝福があります。(9)「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」強く、雄々しく、信仰に立って歩んでいくようにと励まされました。
 
 いよいよ荒野を後にして、カナンの地へと足を踏み入れていきます。祭司たちが主の契約の箱をかついで出発するのを見たら、その後について進むようにと言われました。主の契約の箱の中には、主がモーセに与えられた十戒を刻んだ二枚の石の板が納められていました。主の契約の箱が人々の先頭に立ち、彼らはその後ろに従っていきます。彼らはどのように進んで行ったらよいか分かりませんでしたが、その後を進んで行けば、この川を渡ることができたのです。(6)次の日、ヨシュアは祭司たちに、「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい」と命じます。さらに民には次のように説明しました。「契約の箱を担ぐ祭司たちが先頭に立ってヨルダン川の水の中に入っていき、彼らの足の裏が川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下ってくる水がせき止められ、せきをなして立つようになる。」この時期は「刈り入れの期間中で」、ヨルダン川は雪解け水と春の雨のため、水量は増え、川岸までいっぱいに水があふれ、ゴーゴーと音を立てて激しく流れていました。信じがたいことですが、祭司たちは命令に従い渡ろうとしたのです。すると、(15~16)「箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、川上から流れ下る水が立ち止まった。一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡った。」のです。祭司たちが一歩踏み出し、足が水に浸った時に奇跡が起きました。川の水がかれてから渡ることは困難ではありません。しかし、神の言葉を信じて、川の水がいまだ両岸に満ちている時に、足を水ぎわに入れることは難しいことです。信仰とはそのことであり、聞いた御言葉に従うことです。現状がどうであれ、神を信じ従っていくことです。そしてそのとき神の栄光を見ることができるのです。川を渡る民の先頭に立って進んだのは、ヨシュアでも強い戦士たちでもありませんでした。その役割を担ったのは契約の箱をかついだ祭司たちでした。それゆえカナンの地の占領は人間の計画や能力によるものではなく、主の主権と力によるものです。同じように、主は私たちの先頭に立って道を示し、道を切り開いてくださいます。たとえ目に見える状況がどのようであろうとも、神様を信じて、一歩踏み出していくなら、新しい地に踏み出すことができるのです。主に信頼し、お従いしてまいりましょう。そのことにおいて「強く、雄々しく」してください!
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6月6日礼拝

2021-06-07 14:50:55 | 礼拝
民数記13:25~14:9「偵察隊の報告」
   
 モーセとイスラエルの民は、とうとう神が父祖たちに与えると約束されたカナンのすぐ近くにまでやってきました。その時、主はモーセに (2)「人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。」と言われました。そこでモーセは12部族から一人ずつを選び、その調査内容を伝えます。カナンの地に住んでいる人たちが、強いか弱いか、多いか少ないか。住んでいる町について、良いか悪いか。宿営かそれとも城壁がある町か。土地は肥えているか痩せているか、木があるかないか。12人の偵察隊は、モーセの命令に従い、南はツィンの荒野から北はレボ・ハマテのレホブまでを調査しました。パレスチナの南の端から北の端まで、移動距離は千キロ近くにも達しました。

 40日後、偵察隊はモーセとアロン、全会衆の所に戻って来て、その様子をモーセに報告しました。確かにそこは、豊かな肥沃な土地だけど、いたるところに、背が高く力強い民族の「アナクの子孫」が住んでいました。そして町々はとても大きく城壁に囲まれていたのです。この報告を聞いたイスラエルの全会衆は、目の前が真っ暗になりました。民の間でつぶやきと嘆きが起こり始めました。その時、カレブが民を静めて言いました。(30)「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」しかし、ヨシュアを除く他の10人のメンバーは反対のことを言いました。(31)「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」そこで見た民はみな「背の高い者たち」で、「私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう」と、とても上って行って戦える相手ではないと言ったのです。すると、全会衆は声を上げて叫び、その夜を泣き明かしました。絶望した彼らは、モーセとアロンに不平をぶつけました。そして「モーセに代わる頭を立ててエジプトに帰ろう」と言い出したのです。するとその時、ヨシュアとカレブは、民の不信仰を見て、自分たちの衣を引き裂き言いました。(8~9)「もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。~主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」ヨシュアとカレブは、人々の頑なな心を主に向けようと懸命に説得ました。しかし彼らは二人を石打ちにしようとしたのです。すると主の栄光が彼らの上を照らし、民の不信仰を怒り滅ぼすとおっしゃいました。モーセはすぐに主にとりなします。神はモーセの祈りを聞かれ、そのさばきを思い直してくださいましたが、神に聞き従わなかった不信仰の罪のために、民はこの後、40年間も荒野でさすらうことになり、ヨシュアとカレブ以外の大人は約束の地に入ることができませんでした。

 12人の偵察隊は同じものを見ているはずなのに、まったく違う意見でした。なぜでしょう?それは、物事を見る視点が違っていたからです。カレブとヨシュアは、神を通して、信仰の目で捉えました。どんなに自分たちに力がなく、困難に思えても、神が与えると言われるなら、神が敵に勝利させ、その地を与えてくださると信じていたのです。しかし他の十人はその地の背の高い者たちと自分たちを見比べ、自分たちがバッタのようにしか見えず、背の高い敵を見て恐れました。 (4:9)「主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」ヨシュアは共におられる主を見ていたので、このように告白することができました。「ヨシュア」(主は救い)という名は、主のみがイスラエルの救いという意味です。救いなるイエス様に目を向けてまいりましょう。
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