経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

10月24日聖日礼拝

2010-10-25 21:38:05 | 礼拝
聖書:マタイ12:9-21
メッセージ:“くすぶる燈心を消さない”

Ⅰ:あわれむイエス様
(7)「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。」
イエス様は重荷を担い、弱い者、困っている者をあわれみ、助けられました。イエス様は私たちをあわれまれます。

Ⅱ:あわれみへの応答
(13)「それから、イエスはその人に、『手を伸ばしなさい。』と言われた。彼が手を伸ばすと、手は直って、もう一方の手と同じようになった。」
 主のあわれみへの応答として、手の萎えた男は癒されました。信仰の手を伸ばし、イエス様が与えようとしている恵みを受け取ることができますように。

Ⅲ:信仰を回復させるイエス様
(20)「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」
(哀歌3:25)「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。」
 主との静かな交わりの中、主を待ち望みます。いたんだ葦を直し、くすぶる燈心に光をともし、信仰の火を再び燃え立たせてください。
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10月17日聖日礼拝

2010-10-18 09:33:13 | 礼拝
聖書:マタイ11:25-30
メッセージ:“たましいに安らぎを”

Ⅰ:イエス様を通して現される福音
(25)「これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。」
(27)「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。」
 十字架にかかられたイエス様を通して、まことの神を知り、福音の真理が明らかにされます。

Ⅱ:招くイエス様
(28)「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」
(29)「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」
(30)「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
 「くびき」とは牛や馬が荷車を引くときなどに首につける道具で、そこにすべての負担がかかるようになっています。イエス様は共に重荷を負って下さいます。イエス様と共に歩む時、重い荷物も軽くされます。

Ⅲ:安らぎを与えるイエス様
(28)「わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
(29)「そうすればたましいに安らぎが来ます。」
 毎週の礼拝は、神様の前に静まり、心とたましいの安らぎをいただく時です。
(マルコ1:35)「さて、イエスは、朝早くからまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」
 日々の喧騒から離れ、主との豊かな交わりの中で、内なる安らぎを回復し、新たな力に生かされていきますように。 
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10月10日聖日礼拝

2010-10-12 07:14:33 | 礼拝
聖書:マタイ9:35-10:15
メッセージ:“主に派遣されて”

Ⅰ:収穫をもたらす主
(37)「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
 イエス様は導き手のいない羊のように弱り果てている群集を見て、かわいそうに思い、働き手のために祈るよう求められました。豊かな刈り入れ、収穫の時としてくださいますように。

Ⅱ:十二使徒を選ぶ主
(1)「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。」
 イエス様は12人の弟子たちを使徒として選び、任命されました。人材を必要としました。様々な経歴・性格の弟子たちを神の国の宣教のために用いられます。

Ⅲ:十二使徒を派遣する主
(7)「行って、『天の御国は近づいた。』と宣べ伝えなさい。」
(10)「働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。」
(12)「その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。」
 福音を語り、そのために必要なものはすべて備えられると信じ、平和の使者としてそれぞれの場所に遣わされています。収穫の働きのために私たちをお用いください。
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10月3日世界聖餐日礼拝

2010-10-03 13:59:34 | 礼拝
聖書:マタイ9:1-13
メッセージ:“罪人を招くために”

Ⅰ:中風の人の癒し
(2)「すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで着た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、『子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。』と言われた。」
 病人を運ぶ人たちの信仰を見て、病人は罪赦され、癒されました。クリスチャンは運ぶ者です。誰かを誘うことによって、救われる結果となります。信仰を持ってイエス様のみもとに運ぶ者、福音を人々に運ぶ者として用いて下さい。

Ⅱ:マタイを招くイエス様
(9)「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、『わたしについて来なさい。』と言われました。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。」
 マタイは、声をかけられると、すぐにそれまでの仕事を離れ、イエス様についていきました。金銭の記録をつける者から、マタイの福音書を書く者へと180度変えられました。イエス様にお従いしていくとき、新たな自分を発見し変えられていきます。

Ⅲ:罪人を招くイエス様
(12)「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」
(13)「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
 イエス様は自分は正しいと人間だと思っている人を招くためではなく、自分の罪を認め、救いを求めている人を救うために来られました。
(マタイ11:28)「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
 イエス様はわたしのところへ来るように招いておられます。
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