経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

4月27日礼拝メッセージ要約

2008-04-29 08:20:22 | 礼拝
聖書:ガラテヤ5:13-24
メッセージ:復活の主にとらえられて(Ⅱ)-愛によって仕えあう-

序:復活の主にとらえられて生きるとは、永遠のいのちに生きることです。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」

Ⅰ:愛によって自由に生きる
 「あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という一語をもって全うされるのです。」
 愛による自由。神のいのちが内に躍動します。

Ⅱ:御霊にそぐわない生活
 「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。」肉の行いは私たちを不自由にしています。自分のしたいことがすることができません。

Ⅲ:御霊の実を結ぶ生活
 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」愛による自由な生活は、御霊の実を結ぶ生活です。自分のうちにいるキリストが御霊の実を結ばせて下さいます。愛の自由に生きる者とさせてください。
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4月20日礼拝メッセージ要約

2008-04-21 12:32:11 | 礼拝
聖書:ガラテヤ1:1,11-17
メッセージ:“復活の主にとらえられて”

Ⅰ:遣わされている者
 「使徒となったのは、人間から出たことではなく」、主イエスにとらえられたからです。主によって遣わされています。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」
 (使徒9章)ダマスコ途上でパウロがとらえられ、遣わされているように、私たちも遣わされています。

Ⅱ:みこころを行なうために生かされている
 「異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず」福音が委ねられ、自分に与えられたものは何か吟味するときがありました。疑いのときは誰にでもあります。疑惑のときを乗り越え信仰が固められていきます。

Ⅲ:主にとらえられ宣べ伝えます
 「シリヤおよびキリキヤの地方に行きました。」パウロは尊ばれない故郷タルソに戻ります。わざわざ困難の道へと戻っていきます。困難な道にチャレンジします。キリストの愛にとらえられて宣べ伝えて行きます。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(2:20)
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4月13日礼拝メッセージ要約

2008-04-14 10:31:07 | 礼拝
聖書:マタイ28:11-20
メッセージ:“復活の主は常に共にいます”

Ⅰ:忠誠は報われる
 「マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。」葬られた後もイエス様の方に目を向けていた。石はわきへ転がされ、イエス様は見当たらなかった。「恐れてはいけません。ここにはおられません。よみがえられたからです。」ふたりはこのことを弟子たちに知らせに行きます。未知のものとの遭遇には恐れがあるが、一歩踏み出すときに祝福があります。知らせる特権にあずかり、恐ろしくはあったが大喜びで知らせに行きました。

Ⅱ:真理の勝利
 「夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行ったと言うのだ。」「そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広もって今日に及んでいる。」兵士たちを買収して盗まれたことにしようとしたが、偽りを隠しとおせませんでした。不正、贈賄、偽り、不正な社会にあって、いつかはわかる復活の時があります。

Ⅲ:復活の主による任命
 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」主の任命に忠実に従う者となさせください。
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4月6日礼拝メッセージ要約

2008-04-08 10:03:19 | 礼拝
聖書:ルカ24:13-32
メッセージ:“心はうちに燃えて”

Ⅰ:さえぎられた目
「イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。」
 エマオに向かう弟子たちに復活の主はそっと一緒に歩かれますが、悲しみのあまり目がさえぎられ、そのことがわかりませんでした。悲しみ、悩み、理性・常識など目をさえぎるものは心のうちにあります。

Ⅱ:イエス様のご配慮
復活を信じられない弟子たちにどのように接したでしょうか。」
「何のことですか。」「どんな事ですか。」と弟子たちの話を引き出します。堰を切ったように話し出し、語ることにより心の重荷が軽くされていきます。こうしなさいと強いるお方ではありません。私たちの話に耳を傾け、そっと近寄り、共に歩いてくださいます。

Ⅲ:みことばで解決を与えるイエス様
 「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
 聖書からご自身について説き明かされます。落胆していた弟子たちは、聖書から話を聞くうちに、心うちに燃やされていきます。閉ざされた目は開かれ、失意の道から希望の道へと変えられていきます。
 星野富広さん、一つのみ言葉との出会いが信仰へと導かれます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」マタイ11:28-30
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3月30日礼拝メッセージ要約

2008-04-01 11:10:13 | 礼拝
聖書:ヨハネ21:1-8
メッセージ:“右側に網をおろしなさい”

Ⅰ:イエスを見失った人間像
 希望を失い、どうしていいかわからなくなっている弟子たちは元の漁の生活に戻ってしまいます。「彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」消極的態度の中、何もかもうまくいかない弟子たち。

Ⅱ:臨在の祝福
 (6)「『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』すると、おびただしい魚のために、網を引上げることができなかった。」右側とは神の祝福の側。おびただしい魚、三年前を思い出していた。「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」(ルカ5:4-8)祝福を与え、自分の罪に気付かせます。

Ⅲ:愛の交わりに招くイエス様
 (7)「イエスの愛されたあの弟子」知るとは相手を愛すること、信じることから生まれてくる。詩篇149:4「主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。」取れた魚を共に食する。愛の招きによる。落胆した弟子たちはこのように養われ元気を取り戻していきます。復活のイエス様、今も生きておられ、私たちと共に歩んでくださいます。
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