経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

9月30日 主がともにおられる

2018-09-30 22:23:34 | 礼拝
民数記13章25節~14章9節


(14:9)「主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
約束のカナンの地に入る前に、ヨシュアとカレブが恐れるイスラエルの会衆に対して語ったことばです。カナンの地に入って行くのは、私たちだけではない、主が共におられるのだ。そして主が成し遂げてくださるのです。だから恐れてはなりません。私たちも一人で進んでいくのではありません。主が共におられるのです。今日はこのみことばを中心に見ていきます。


Ⅰ:背の高い民と町の城壁(13:25~29)

今日は、カナン偵察と言われる箇所です。イスラエルの民がいよいよ約束の地カナンに近づいた時、バランの荒野で、主はモーセに、各部族から一人ずつ選び、カナンの地を調査・偵察するように命じられました。神がイスラエル人に与えようとしているカナンがどんな所か探らせるためでした。十二部族から一人ずつ選び、12人を偵察隊として派遣しました。
そして調査内容については、①住民について。ネゲブの山地に住んでいる民が強いか弱いか、少ないか多いか。②住居について。宿営か城壁の町か。③土地について。肥えてい
 
12人の偵察隊は、モーセの命令に従い、パレスチナの南の端から北の端まで行き巡りましたが、その詳細については明らかにされていません。彼らは出発してから40日後にモーセと会衆のところに戻って来ました。そしてその地で穫れた果物を見せて報告しました。
(27)「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。」
 その土地は、「乳と蜜が流れる」肥沃で豊かな土地でした。その証拠に取ってきた果物を見せたのです。ちょうどこの季節7~8月は、初ぶどうの熟する頃でした。

次に、そこに住む住民と町の様子について報告しました。
(28~29)「しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます。」
 そこには、「アナクの子孫」が住んでいました。アナク人は背が高い力強い民族でした。その子孫が山や海、川沿いなど至る所に住んでいたのです。そして町々はとても大きく城壁に囲まれていました。
 以上が偵察隊の報告ですが、イスラエルの全会衆は、その報告を聞きながら、現実を知り恐れを感じたことでしょう。いよいよ約束の地に入ろうとする時に、その地には背の高い力強い民がいて、町は城壁に囲まれていたのですから。目の前に立ちはだかる高い壁に押しつぶされそうでした。
 私たちも日常生活の中で、将来のことや健康のこと、また仕事のことなどで、現実に押しつぶされてしまいそうになることがあるでしょう。


Ⅱ:必ずそれができるから(13:30~33)

(30)「そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。『私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。』」
 イスラエルの会衆からつぶやきと嘆きが起こるなか、カレブはモーセの前で、民を静めて語りました。私たちは必ず上って行くべきだ、かの地を所有すべきだ、なぜなら、かの地を必ず所有することができるのだからと説得しようとしたのです。「新改訳2017」では、「必ずそれができるから」は「必ず打ち勝つことができます」と訳されています。カレブの発言は、主の名も信仰も出てきませんが、信仰を土台としていることは明らかでした。
 しかし、他の10人は(31)「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」また(32)彼らは偵察した土地について会衆に悪く言いふらしていました。その地は戦乱の地であり、「私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。」(33)「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と、「新改訳2017」では、「いなご」が「バッタ」と訳されています。彼らの前では自分たちがいなごやバッタのような小さな者に見え、とても戦える相手ではないと言い広めたのです。

カレブは勇気がある実直な人だと思います。10人の偵察隊と全会衆が消極的な否定的な態度の中、彼は声を上げて、「必ずそれができるから。」と言いました。いつの時代もそうですが、数の多さや強さに流されてしまいやすいですが、カレブは自分の心に正直に正しいと思ったことを勇気を出して話しました。
カレブは晩年次のように語っています。
(ヨシュア14:10)「今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。」
(11)「しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」
(12)「どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」
 この時、カレブは85歳になっていましたが、カナン偵察に行った40歳の時と同じように、壮健で、困難に立ち向かう勇気を持っていました。それは、「主が共にいてくだされば」というのが条件でした。「神が共にいてくださる」ことが、カレブに困難に立ち向かう勇気と力を与えていたのです。信仰は私たちに勇気と積極性を与えます。
 
10人の偵察隊は背の高い人たちを前に「自分がいなごのように見えた」と言っています。私たちはしばしば、大きな問題にぶつかる時に、自分の弱さ、無力さに気づき、そのように思うことがあるでしょう。神を見失ってしまうと、現実だけがどんどん大きく見え、自分がむやみに小さくいなごのように見えてきます。どんなときにも、神様が共にいることを信じ、そこに望みをおいて生きる時、たとい自分がいなごのようであっても、巨人に向かって行くことができるのだと思います。カレブは共におられる主を信じていたので「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」と言うことができたのです。私たちも信じてそのように言いたいものです。
(Ⅰヨハネ5:5)「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」


Ⅲ:主がともにおられる(14:1~9)

 イスラエルの全会衆は12人の斥侯の報告を聞いて、大声をあげて一晩中泣き明かしたと書いてあります。また、彼らはモーセとアロンにつぶやきました。
(2~3)「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」
(4)「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう。」
 イスラエルの全会衆は、ヨシュアとカレブの意見ではなく、他の10人の斥侯の意見に同調しました。彼らは不平不満を言い、モーセではなく、別の人をリーダーとして立ててエジプトに帰ろうとまで言いました。

 モーセとアロンは、全会衆のつぶやきを聞いた時、とっさに神の前にひれ伏し祈りました。ヨシュアとカレブは自分の衣を引き裂き、会衆を懸命に説得しようとしました。
(7)「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしい良い地だった。」
(8)「もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には乳と蜜とが流れている。」
(9)「ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
 ヨシュアもまた、信仰の人でした。主が共におられるので、彼らを恐れてはならないと伝えたのです。しかし、全会衆は聞き入れず彼らを石打にしようとしました。このことが原因で、イスラエルの民は約束の地に入るまでに、10日余りで行けるところを、40年間荒野を放浪することになるのです。

 新約聖書からマタイの福音書8章:23~27節を開きます。
「イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。『主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。』イエスは言われた。『なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。』それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。人々は驚いてこう言った。『風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』

 イエス様と弟子たちを乗せた舟は、突然の暴風雨で沈みそうになります。弟子たちは寝ているイエス様を起こし、「おぼれそうです。助けてください。」と叫びました。するとイエス様は弟子たちの信仰をたしなめ、風と湖をしかりつけ嵐は静まりました。
 私たちは、神様を信じていましても、さまざまな試練に遭います。しかし、私たちにとって大きな違いは、私たちが一人で歩んでいくのではなく、イエス様が共に歩んでくださるということだと思います。私たちの人生を左右するのは、問題そのものではなく、その問題をどのように受け止めていくかということです。問題ばかり見ていくなら、心は恐れに支配されてしまいます。しかし「主は私とともにおられる」、この状況から助けてくださると信じていくなら、必ず神は道を開いてくださいます。私たちは人生の小舟に乗る時に、決して一人ではなく、いつもイエス様が同船しているのです。

最後に、オリンピックでの陸上競技であった話を紹介します。
1992年バルセロナ・オリンピック、陸上男子400m準決勝のレースでのことです。優勝候補だった英国代表のデレク・レドモンドは、最初は順調に走っていましたが、160m付近で突然右足にけいれんを起こし、動けなくなりその場でうずくまってしまいます。他の選手たちがゴールし終わったその時、デレク選手は立ち上がり、足を引きずりながら、自分のコースを守り必死にゴールを目指して走り続けます。最終コーナーにさしかかった時、係員の制止を振り切って一人の男性がコースに乱入してきました。レドモンド選手のお父さんでした。息子の姿を見かねて走り寄ってきました。お父さんは息子の肩を抱きかかえ「もう走らなくてもいいんだよ」と言うと、デレクは泣きながら、「いや、やらなきゃいけないんだ」と答えます。父は泣きながら行こうとする息子と一緒にトラックを歩き始めました。レドモンド選手はこれまで何度か怪我に泣いてきました。その度に父親のジムさんに励まされやっと手にしたオリンピックでした。父親のジムさんも同じ思いでオリンピックにやってきました。スタートしてから、2分47秒、6万5千人の拍手に迎えられたゴールでした。
レース後のインタビューで、お父さんは「これまで一緒にやってきたから、あの瞬間じっとしてられなかった。」と振り返ります。「最後まで走り抜こうとした息子を誇りに思う。」と語りました。
同じように、天の父なる神様は私たちが人生のゴールを迎えるまで共にいて励まし支え、そして私たちを誇りに思い「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言ってくださるのです。
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9月16日敬老の日礼拝 「いのちのパン」

2018-09-17 11:58:59 | 礼拝
聖書:出エジプト16:11~21   

「森永マンナ」というお菓子をご存知ですか?「マンナ」とは、旧約聖書「出エジプト記」に出てくる神様が与えてくださった糧「マナ」にちなんでつけられました。この「マンナ」の箱の側面に「マンナ」の由来が次のように書かれています。「マンナという語は旧約聖書にある“神の荒野をさまよえる民に与え給うた愛の食べ物mannaマナにちなんでいます”」今日は、愛の食べ物マナについて見ていきます。


Ⅰ:イスラエルのつぶやき

イスラエルの全会衆がエジプトを旅立ち、シンの荒野に入った時、イスラエルの全会衆はモーセとアロンにつぶやきました。
(3)「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」
 エジプトを出てからしばらく経ち、食べる物がそこをついていました。200万人以上の人々の食糧を確保することは大変なことでした。彼らは奴隷の身分だったので、実際にはエジプトで肉なべを食べ、パンに満ち足りていたわけではなかったでしょう。むしろむちで打たれながら苦役を課せられていたのです。しかし彼らはそこから救い出されたことを忘れてしまい、早くも不平不満を言うようになっていました。
(2)「イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。」と記されています。「つぶやく」は、tweetするということですが、小鳥がさえずるように、ぶつぶつと小さい声で一人ごとを言うようなことです。新改訳2017では、「不平を言った。」と訳されています。「つぶやき」よりも、もっとはっきりとしたことばが使われています。また、「全会衆」とありますように、一人二人ではなく、全会衆が一つとなって、モーセとアロンに不平を言ったのでした。
 
イスラエルの会衆はどうしてつぶやいたのでしょうか?それは、目の前の問題に捕らわれて、目の前のことしか見えなかったと言えると思います。エジプトから解放された祝福、以前神様が良くしてくださったことを忘れてしまっていたのです。一方、モーセはどうだったでしょうか?モーセは解決策を持っていたわけではありませんが、これまでの経験を通して、神が導き出したご自分の民を荒野で飢え死にさせるようなことは決してなさらないという確信がありました。
(詩篇103:2~5)「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」
 そしてモーセは、イスラエルの民のつぶやきを聞いた時、すぐに神に祈ったことでしょう。本来、食料が不足した時、イスラエルの民がすべきことは、モーセにつぶやくのではなく、神様に祈るべきだったのだと思います。これまで守り助けてくださった神様は、これからも私たちを守り続けてくださいます。


Ⅱ:愛の食べ物マナ
 
イスラエルのつぶやきを聞かれた神は不思議な食べ物を用意されました。主はモーセに告げて言われました。
(12)「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。彼らに告げて言え。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。』」
神はイスラエルをあわれみ、天からパンを降らせるようにしました。

天からのパンとは、どのような物でしょうか。
(13~15)朝、彼らが目覚めて外に出ると、宿営の周りの露が上がった後に、地面には、白い霜のような細かい物、うろこのような物がありました。本当に天からパンが降ってきたのです。イスラエル人にとっては初めて見る物でした。イスラエルの民はこれを見て、「これは何だろう」と言い合いました。「これはマナである。」とも訳すことができます。モーセは民衆にこれは神が私たちに与えてくださったパンだと説明しました。
(16~21)そこで主は集め方を命じられました。それぞれ自分の食べる分だけ集めるように。一オメルは、2.3リットルです。人数に応じて一日の必要な分だけ集めるようにと言われました。このマナは、毎日その日の食べる分を集めなければならず、翌日の分まで集めておくことは許されませんでした。またその日の分はその日に食べなければなりませんでした。ところが、神の指示に従わず、翌日まで残しておいた者は、翌日マナを集めないで、それを食べようとしたところ、虫がわいて腐っていて、食べることができませんでした。味はどんな味だったのでしょう?味は、蜜を入れたせんべいのよう(31)、またクリームの味のようと記されています。今でいうウェハースのような食べ物かもしれません。このマナは、安息日を除けば、一日たりとも決して止むことはありませんでした。この天来のパンは、彼らがカナンの地に入るまで毎日続きました。

アンパンマンの生みの親、漫画家のやなせたかしさんは、2013年94歳で召されました。
アンパンマンの顔は真ん丸いあんパン。格好はよくないし、顔が水にぬれると力がなくなってしまいます。自分自身弱さを持っていますが、それでも困っている人に出会うと、自分の顔を食べさせ、ぼろぼろになっても人を助けます。戦争を通られた、やなせさんは、戦後、勧善懲悪のかっこいいヒーローはたくさんでましたが、本当のヒーローは飢えや苦しんでいる人を助ける人であり、正義とは犠牲の中に表されると言われました。

やなせさんは、アンパンマンを制作したきっかけについて次のように述べています。
 正義というものはいったい何か。ミサイルで相手をやっつけることなのか、あるいはそこに来た怪獣をやっつけることなのか。僕はそうでないと思ったのね。本当の正義の味方だったら、そこにお腹をすかせた子供がいたら、その子供にパンをわけて与える人が正義の味方なんだと思ったんです。
 海外にはストリートチルドレンがいっぱいいるし、次から次へと子供たちが命を落としている。それはなぜか。飢えで死んでいるんだ。食べるものがない。本当に正義の味方だったら、飢える子供を助ける方が先なんじゃないか…。
 だから飢えている子供を助けるヒーローを作ろうと。その場合、一番簡単なファストフードは何か。日本でいえば、「アンパン」だと思ったんです。飢えを助けることができるし、甘いからお菓子にもなる。それに音の響きがいいでしょ。ジャムやクリームというより、「アン」「パン」という韻を踏んだサウンド。アン、パン、マン、という音の響きの良さで選びました。アンパン、僕自身も好きですよ。俺の子供の頃は、「アンパン」「せんべい」「キャラメル」くらいしかなかったんだよ。

 神様はイスラエルを愛するがゆえに、彼らのつぶやきを聞き、天からマナを降らせました。神様は私たちにも同じようにされ、約束の地に入るまで必要を与え養ってくださいます。


Ⅲ:いのちとは時間

次に、これまで見てきました天から降ってきたマナには、深い霊的な意味があります。
 イエス様はヨハネの福音書6章で次のように説明しています。
(32~33)「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」
神ご自身がマナを通してイスラエルの民を養われました。そして新約の時代、神は天からまことのパンをお与えになります。神のパンである主イエスが「天から下って来て、世にいのちを与える」からです。
(35)「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」
 イエス様は「わたしがいのちを与えるパン」だと言われました。モーセの時代のパンは、ただ単に人々の肉体の必要を満たすためのものでした。しかし実は、人々に霊的ないのちを与えるパンがあり、そのいのちのパンがイエス・キリストです。ちょうどマナが天から降って来たように、キリストは天からこの地上に下り、全人類の罪を背負い、身代わりとなって死んでくださいました。
このイエスを信じる者は、決して霊的に飢え渇くことがなく、また決して死ぬことがなく、永遠に生きるのです。

 ところで、「いのち」とは何でしょう?
日野原重明さん(元聖路加国際病院名誉院長)は、105歳でこの世を去りましたが、晩年小学校に出向いて、「いのちの授業」を行いました。先生は、人生において最も大切だと思うことを次の世代の人たちに伝えていく活動を続けました。先生がテーマとしてきたの「命の尊さ」です。
日野原さんは、60歳頃「よど号ハイジャック事件」に遭遇し、ハイジャックされた飛行機に乗り合わせ二日間機内で人質になりました。その経験が彼の人生観を大きく変え、それ以降は自分の人生を他の人のために使いたいという決意を強めたそうです。
              
先生はクラスの中で、子どもたちに「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」と言うと、全員が手を挙げます。
「では命はどこにあるの」と質問すると、心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。先生は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、このように話を続けます。
「心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。
命とは感じるもので、目には見えないんだ。君たちね。目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの?でもその空気があるから僕たちは生きている。このように本当に大切なものは目には見えないんだよ」と。
さらに先生は続けます。「命はなぜ目に見えないか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい」と言われます。

 日野原先生は、いのちとは時間と言われました。そしてそれをどのように使うか、何のために使うかが問われているのだと思います。
パンは生きていく上でとても大切なものですが、イエス様はもっと大切なものがあると言われました。(マタイ4:4)「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」と。人はパンだけで生きるのではなく、神のことばによって、いのちが与えられ、養われ、生かされるのです。
イエス様のことばを聞いて、今さらですが確かにそうだなと思います。人は生きていくために、パンを求めていかなければなりませんが、確かに、それだけでは生きていけないのだと思います。私たちは心があり、霊やたましいを持っていますので、誰かを愛したり、愛されたり、神様を信じたり、使命に生かされるなど、そのような中で本当の幸せを感じることができるのでしょう。与えられているいのちをどのように使うか考えさせられます。「私はいのちのパンです」とイエス様は言われました。まことのいのちに生かされていく私たち一人ひとりでありますように。


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9月2日「最初の過越し」

2018-09-03 16:18:17 | 礼拝
出エジプト記12章は最初の過越しについて記しています。神はイスラエルの民に過ぎ越しの祭りを行うように命じられました。初子の死によりエジプト中が泣き叫ぶ中イスラエルの民は平安が与えられ守られました。

Ⅰ:救いへの感謝

(21)「そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。『あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過ぎ越しのいけにえとしてほふりなさい。』

 モーセは長老たちを呼び寄せて言われます。羊は家族ごとに一頭ほふりました。「ほふる」とは、殺して体などを切り裂くことです。羊一頭はだいたい男10人で食べる量ですが、家族の人数によっては、他の家族と分け合ったようです。羊は傷のない一歳の雄の羊でした。それは神の子羊イエス様のモデルであり、傷のない羊が「過越しのいけにえ」として捧げられました。
 その後、過越しの祭りは、年に一度春に、歴史的出来事である出エジプトを記念して行われてきました。刈り入れの祭り、仮庵の祭りと合わせて3大祭りの一つです。祭りは8日間行われ、過越しの祭りが1日、種なしパンの祭りが7日で、通常二つを合わせて、過越しの祭りと呼ばれています。聖書には旧新約を問わず、この祭りのことが最も多く記されています。
イスラエル人はこの祭りをどうして毎年行い続けているのでしょうか?それは、神がイスラエルになされた出エジプトの出来事をいつも思い出し忘れないようにするためです。エジプトから救い出されたことを感謝し、それを記念して毎年行うのです。神からの祝福を感謝するとともに、神による救いを記念する重要な祭です。

詩篇103篇2節「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」主の良くしてくださったことを一つとして忘れないようにと言われます。人は忘れやすい者です。時には昨日したこと、今朝したことも忘れてしまうことがあります。自分が相手のためにしたことはよく覚えていても、自分がしてもらったことはつい忘れてしまうことがあります。

イスラエルの人たちは、過ぎ越しの祭りを祝い、神様がエジプトから救い出してくださったことを忘れないようにしました。クリスチャンであれば、一人ひとりエジプトから救い出された出エジプトの経験があります。私でしたら、1993年のクリスマスに受洗しました。今年でちょうど25年になります。どんなに信仰生活が長くなろうと、罪の中から救い出されたことを忘れないで、いつも感謝していたいものです。そこから新たな人生が始まったのですから。

Ⅱ:招き入れられている恵み

(22~23)「ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家に入って、打つことがないようにされる。」

「ヒソプ」とは、罪をきよめる儀式のたに用いられていた植物です。ヒソプを一束取って鉢の中の血に浸し、その血をかもいと二本の門柱につけました。「かもい」とは、二本の柱をつなぐ上部の横木のことです。家の入口にあるかもいと二本の門柱に血を塗りました。主はそれを見て、その家に災いが起こらず、過ぎ越すようにされました。
第10番目の災いはすべての初子が亡くなるという災いです。それは、エジプト人だけではなく、イスラエル人にも及ぶ可能性がありました。しかし、神の命令に従ったイスラエル人は災いから守られたのです。
そしてこの羊の血は、キリストの血の型・モデルを表しています。血が人々を救いました。血はいのちを表しています。私たちが贖い出されたのは、キリストの血によるのです。

私たちは罪があるゆえに自分で自分を救うことができません。少し良いことをしたからとか、人のために何かしたからということで、罪が帳消しになるものでもありません。
パウロは自分は何をしているのか分からないと言われました。
(ローマ7:15~20)「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。」
 また、ダビデは詩篇51篇で、(5)「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。」(7)「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめていください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」と言っています。
 私自身を顧みる時に、25年信仰生活をしていますが、少しはましになってきているように思いますが、心の中を見ますと罪汚れは依然ありますし、今だに同じ過ちを繰り返したりもします。それでも「わたしはあなたを罪に定めない」と言ってくださいます。信仰ゆえに神の前に義と認めてくださるのは、本当にもったいないことだと感じます。かもいと二本の柱の血を見て、さばきが過ぎ越されたようにです。

「ちいろば」という本で有名な、榎本保郎という牧師は次のように言っています。
 パウロは、(ローマ6:6)「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」と言っています。パウロは「私たちの古い人をキリストとともに十字架につけよう」とは言ってません。「つけられた」という過去形のことばを用いて、すでに赦しのうちに入れられている恵みを証ししています。私たちがどうであろうと、すでに、主は十字架にかかって血を流されたことによって、滅ぶべき古き人の赦しのしるしとなってくださいました。そのことを知り、そのことに感謝して生きることが信仰です。
 またパウロは、「私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。」(ガラテヤ6:17)と語っていますが、かつてエジプトの国で、入口の二つの柱とかもいに子羊の血の塗られている家だけが、神の怒りから免れたように、主イエス・キリストのしるしをいただいている私たちは、もはや神の怒りから解放され、キリストとともに生きる望みを与えられているのです。

 私自身、今回の説教準備をしている中で、私はすでに赦しの中に入れられていることに気づかされました。もっとこうしなければいけない、こうしてはいけないというのではなく、今のありのままの自分でキリストゆえに神に受け入れられ、赦されていることを改めて気付かされました。羊の血が塗ってあるのを見て、災いは過ぎ越していきました。エジプト中が泣き叫ぶなか、イスラエル人は平安が与えられ守られました。
主に信頼します。主の血に信頼していきたいものです。

Ⅲ:恵みへの応答

(24~27)「あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のためのおきてとして、永遠に守りなさい。また、主が約束どおりに与えてくださる地にはいるとき、あなたがたはこの儀式を守りなさい。あなたがたの子どもたちが、『この儀式はどういう意味ですか。』と言ったとき、あなたがたはこう答えなさい。『それは主への過越しのいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。』すると民はひざまずいて、礼拝した。」

 イスラエルの人は約束の地に入ってからも、子羊をほふりこの儀式を守りました。それは自分たちの子どもたちに伝えていくためです。彼らは代々この儀式を守りながら、偉大なる神の救いのみわざを子供たちに伝えました。やがて主イエスは、この過越しの夜に、新約時代に生きる私たちのために、新しく聖餐式という礼典を定められました。私たちはこの礼典を守る度に、主の死を告げ知らせるとともに、主の偉大なる救いの御業に感謝をささげます。

イエス様は食事の最中にパンを取って感謝してから、さいて弟子たちに一つ一つ分けてあげました。そして「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」次にぶどう酒のはいった杯を取り、「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」と言われました。
「私を覚えて、これを行いなさい。」という命令が付け加えられています。「覚えて」とは、私たちがいかに忘れやすい存在であるのでいつも主を覚えるべきことを示しています。そして聖餐式に参加し、パンを食し、杯を飲むことによって、主を覚え、また主が自分のような罪人のために十字架にかかられたことを確信させられるのです。
「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」このことばは、イエスのことばから直接出たのではなく、パウロの説明です。聖餐式を行なうたびに、終わりの日まで、主の死を告げ知らせるのです。
 
榎本保郎牧師は「ちいろば牧師」の愛称で知られています。三浦綾子さんの「ちいろば先生物語」で広く知られるようになりました。自らをイエスの乗り物、小さいロバとして生涯を伝道に捧げられました。聖書には小さなロバが用いられる箇所があります。
 マタイの福音書21章2~3節「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
 イエス様は弟子たちを遣わし、向こうの村に小さな子ロバがつながれているので、それをほどいてご自身のもとに連れて来るように、そして誰かが何か言ったら「主がお入用なのです」と伝えるように言われました。イエス様は縄につながれているロバの子をほどいて、ご自身のために用いられました。同じように、イエス様は私たちを用いられます。縄につながれているならそれをほどいて用いられるのです。私たちは主を背中に乗せる小さなロバです。主の恵みにお応えし、主が再び来られる日まで主の救いを宣べ伝えていく者としてください。

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