経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

12月24日 キャンドルライトサービス「闇に輝く光」

2021-12-25 11:47:59 | 礼拝
聖書:イザヤ書9章2節,6節

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12月19日 クリスマス礼拝「救い主の誕生④ークリスマスの贈り物ー」

2021-12-19 18:28:18 | 礼拝
聖書:マタイの福音書2章1~12節


 
 幼子イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来ました。彼らはバビロンかペルシャに住む占星術に通じていた知識人であったようです。博士たちが星を見ていると、不思議な星が見えたので、何か異常な出来事が起きるに違いないと彼らは直感しました。何百年も前にユダヤ人がバビロンに捕えられた時、救い主が生まれるという希望をユダヤ人から聞いていたと思われます。博士たちは特別な星の出現により、ユダヤの人たちが信じている救い主がきっと生まれたに違いないと信じてユダヤまでやってきました。今日のように交通機関が発達していないので、この旅行は並大抵のことではありませんでした。バビロンからエルサレムまで千キロを超える長旅です。途中には砂漠もあり、いろいろと予測できない危険も潜んでいました。経済的な負担もあったでしょう。しかも彼らは異邦人で、聖書についての十分な知識もありませんでした。しかし、彼らは人づてに聞いた神の救いの約束を信じ、メシヤを探し求めてはるばるやって来たのです。

 (2)「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」それを聞いたヘロデ王は動揺しました。なぜ動揺したのでしょうか?彼は猜疑心の塊のような人物でした。彼は自分こそ「ユダヤ人の王」と思っていたので、自分の知らないところで、新たな王が生まれたことに強い恐れを感じました。エルサレム中の人も王と同様に恐れました。なぜなら、ヘロデは常に不安を感じ、自分の王位を守るために自分の妻と三人の息子たちでさえも疑って殺してしまった残忍な王だったので、人々は彼が何をするかと恐れたのです。彼の心の中にはその王として生まれたメシアをひそかに殺そうという考えが浮かびました。そこで彼は早速、ユダヤ人の宗教的指導者である「祭司長たち、律法学者たち」をみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただします。彼らは旧約聖書を引用して、メシアが生まれるのは、ユダヤのベツレヘムであると答えました。ヘロデは自分の殺意が知られないように博士たちをひそかに呼んで、星が現れた時間を確かめこの幼子の年齢を割り出そうとしました。そして(8)「私も行って拝むから」と心にもないことを言って、博士たちを送り出します。また、祭司長や学者たちは、メシヤがどこで生まれたかを他人に教えるほどよく知っていましたが、それ以上の関心は示しませんでした。エルサレムからベツレヘムまではわずか8~9キロの近さでしたが決して行こうとはしなかったのです。彼らは無関心でした。メシアを求める心がありませんでした。

 博士たちは王が言ったことを聞いて出かけました。すると、かつて見た一つの星が再び現れました。その星は彼らが行く道を先立って進んで行きました。そして、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまりました。彼らはその星を見てこの上もなく喜びました。博士たちは星に導かれて幼子がいる家に無事に着くことができたのです。家の中に入ると、母親と幼子がいました。博士たちは、それを見ただけで目の前の子どもが救い主であると悟り、この子こそ真のユダヤ人の王だと素直に受け入れ、沸き上がる喜びとともに、ひれ伏して心からの礼拝を捧げました。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげました。捧げるとは、自分自身や自分の大切なものを捧げるということであり、救われた喜びに生かされ、これからは神様のために生きてみよう、神様のために何かしていこうということです。猜疑心や無関心を取り除き、主の愛で満たしてください。(Ⅰヨハネ4:10)「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」互いに愛し合い、積極的な愛に生かされていきますように。クリスマスの良き訪れが私たちの周りの人たちへ届けられていきますように。
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12月12日 アドベント第三礼拝「救い主の誕生③ークリスマスの喜びー」

2021-12-13 18:30:14 | 礼拝
聖書:ルカの福音書2章1~20節



 (1~2)そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出されました。これは、キリニウスがシリアの総督であった時の最初の住民登録でした。イエス様はこの皇帝アウグストゥスの治世に、住民登録があった時にお生まれになりました。この住民登録は、それぞれの家系に沿って行われ、人々は自分の町へ帰っていきました。「ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行」きました。ナザレから南へ、約100キロ以上、歩いて4、5日ぐらいかかったでしょう。そして、ヨセフとマリアがベツレヘムにいる間に、マリアは月が満ちて御使いが言うとおりに男の子を産みました。そしてその子を布にくるんで飼葉桶に寝かせました。宿屋には彼らのいる場所がなかったからです。生まれたみどりごが家畜小屋の飼葉桶に寝かされたというのは驚きです。

 救い主の誕生の知らせを一番最初に聞いたのは、野宿で夜番をしている羊飼いたちでした。当時、羊飼いという人たちは社会から疎まれていて軽蔑されていました。エルサレムの町は住民登録でにぎわっていましたが、羊飼いは自分たちには関係がなく、野宿しながら、自らの境遇をわびしく思ったことでしょう。すると、主の使いが、彼らに現れて、主の栄光が闇夜を照らしたので、彼らは非常に恐れました。み使いは恐れる彼らに(10~12)「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」主キリストは、他の誰かのためではなく、あなたのためにお生まれになりました。この世の中に、あなたの悩みや苦しみの中にお生まれくださったのです。そして、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごがそのしるしです。このように、神の御子が人々から歓迎されず、最も貧しい場所にお生まれになったことは驚きです。しかし、それは、神なるお方が、神の栄光を捨て、ご自分を低くされ、罪の中に、人としてお生まれくださったことを表しています。戸惑う羊飼いたちの前に、今度はおびただしい数の天の軍勢が現れて神を賛美し始めます。(14)「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

 み使いたちが彼らから離れた時、羊飼いたちは話し合いました。(15)「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」羊飼いたちは、ベツレヘムに急いで行きました。羊飼いたちは御使いに急いでベツレヘムに行くように命じられたわけではないですが、彼らの心には急いで救い主を見に行こうという熱い思いが生まれていました。この思いに神様も働いてくださったのでしょう。(16)彼らは「マリヤとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごとを捜し当て」ました。羊飼いたちは、御使いのことばが本当だったことに感動し、救い主を見つけた喜びで心がいっぱいになったことでしょう。すると、羊飼いたちは御使いから告げられたことをマリヤとヨセフ、そこにいた人々に話しました。聞いた人たちはみな羊飼いたちが話したことに驚きました。しかしマリヤは、羊飼いたちの話をすべて心に納めて思いを巡らしていました。(20)羊飼いたちは見聞きしたことが、すべて御使いの言われた通りだったので、心から神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。周りから疎外され、闇夜の中、孤独に世間と距離をおいて過ごしていた羊飼いたちへ、最初に救い主の誕生の知らせがありました。そして、喜びで満たされた羊飼いは、幼子について語られたことを人々に伝えました。今日私たちは、この大きな喜びの知らせを誰に伝えるでしょうか。この喜びがあなたの周りの人たちに届けられていきますように。

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12月5日 アドベント第二礼拝「救い主の誕生②-あなたは必要とされている-」

2021-12-06 20:12:09 | 礼拝
聖書:ルカの福音書1章26~45節



 さて、エリサベツが身ごもってから6か月目に、御使いガブリエルは、今度はガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来ました。「この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアと」言いました。み使いは入って来ると、マリヤに言いました。 (28)「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリヤは戸惑うばかりです。 (30~33)「恐れることはありません、マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、ダビデの王国を継ぎ、イスラエルをとこしえに治める方になります。」救い主の母になることが告げられます。マリアは答えます。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」すると御使いは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」マリアは御使いが語ることをすべて理解したわけではなかったでしょう。しかし、マリアは(38)「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」とお答えしました。

 (39)それから、マリアは立って、山地にあるユダの町へ急ぎ、エリサベツに会いに行きます。マリアは自分の身に起きたことを他の人に話すことはできなかったでしょう。自分一人で抱えていました。でも、同じ境遇であるエリサベツなら分かってくれるだろうと思ったに違いありません。エリサベツも、夫ザカリヤが口がきけないなか、マリヤの訪問を喜んだでしょう。エリサベツがマリアのあいさつを聞いた時、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされて叫び、マリヤを祝福します。(42~43)「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。」エリサベツはマリヤが子を授かっていることを聖霊によって直感しました。そして、エリサベツは(45)「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」と祝福しました。マリヤはどれほど励まされ、力づけられたことでしょう。み使いに言われたことを信仰によって受け止めたとはいえ、マリアはなおも不安や疑問があったことでしょう。そんなマリヤにとって、エリサベツの存在は心強く有難いものだったに違いありません。

 マリヤは、エリサベツのことばを聞いて主を賛美します。(46~)「私のたましいは主をあがめ」から始まりますように、「あがめ」のラテン語から「マグニフィカート」と呼ばれるマリヤの賛歌です。 (46~48)「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために目を留めてくださったからです。」マリヤは特別な人ではなく、家柄がよいとか、地位がある、学識があるというわけではありません。むしろ貧しい農家の娘であったようです。主はこんな者に目を留めてくださいました。それゆえ、「ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。」と、主のあわれみに感謝します。神様は、心低きマリヤに目を留めてくださいました。神は、マリアに目を留められ、ご自身の計画である救い主の誕生のために、ナザレの町の一人の処女マリアを用いられました。同じように、主は小さな私たちにも目を留めて下さり、ご自身の計画の実現のために用いようとされているのです。あなたは神様に必要とされています。お一人お一人の上に主のご計画がなされていきますように。
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