経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

2月21日 聖日礼拝

2016-02-22 23:19:42 | 礼拝
聖書:マタイ10:24~33
メッセージ:“恐れることはありません”

1.弟子はその師にまさりません
(24)「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。」
 弟子は師以上ではなく、主にまさる苦しみにあうことはありません。ですから恐れてはなりません。
(イザヤ53:5)「彼は、私たちの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
 十字架の苦しみは私たちの罪のためです。キリストの十字架は私たちに平安をもたらし、その苦しみよって癒されました。

2.覆われているものは現されます
(26~27)「だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳元で聞くことを屋上で言い広めなさい。」
 福音は、覆われていることなく、おのずと表に現わされます。私たちは世の光です。恐れることなく、私たちの光を人々の前で輝かせていきます。

3.一羽の雀さえ地に落ちません
(29)「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」
 神は一羽の雀さえも心にとめ、また髪の毛一本一本をも数えられているように、あなたを大切に思い守っていてくださいます。
(イザヤ43:4)「わたしに目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
 あなたは神様に愛されています。それゆえ恐れることはありません。平安のうちに日々証しの生活が立てられていきますように。
 
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2月14日 聖日礼拝

2016-02-16 10:17:38 | 礼拝
聖書:マタイ10:5~15
メッセージ:“十二弟子を遣わす”

1.失われた羊のところへ遣わします
(5~6)「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。『異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。』」
 主イエスは弟子たちを、ユダヤ人の失われた羊のところに行くように遣わされました。私たちも神から離れている人たちのところに遣わされています。迷った一匹の羊が見つかる時、天に大きな喜びがわき上がるのです。

2.何も持たずに遣わします
(9~10)「「胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。」
 主イエスは弟子たちに余計な物は持たずに行くように言われました。それは神に信頼していくためです。お金や持ち物に頼るのではなく、神を信頼し、お委ねしていきます。(詩篇37:5)「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」

3.平安のために遣わします
(12~13)「その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに帰って来ます。」
 弟子たちは平和のために遣わされました。家を訪ねたら、その家に「平安があるように」と挨拶するよう言われます。
(ヨハネ4:13~14)「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わあしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
 イエス様が与える水を飲む者、すなわち信じる者は、決して渇くことのない平安が与えられるのです。
私たちを平和のためにお遣わしください。
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2月7日 聖日礼拝

2016-02-08 10:49:23 | 礼拝
聖書:マタイ10:1~4
メッセージ:“十二弟子を選ぶ”

1.神によって選ばれました
(1)「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。」
 主イエスは弟子たちを選びご自身のところに呼び寄せました。私たちも神によって召され呼び寄せられました。私たちが神を選んだのではなく、神が私たちを選んだのです。

2.12人が選ばれました
(2~4)「さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルバヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。」
 イスラエルの12部族の代わって、新しいイスラエルを生み出すために12弟子を選びました。また二人一組やチームで遣わしました。お互いに励まし合い、助け合いながら、宣教の業が進められていきます。

3.神の栄光のために選ばれました
 神が私たちを選んだのは、互いに協力しながら、私たちを通して神の栄光が現されるためです。使徒たちは決して完全ではありませんでしたが、神の栄光を現す者へと変えられていきました。
(Ⅱコリント4:7)「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」
 主はご自身の栄光を現すために私たちを選ばれました。弱さを抱えたままを用いられます。御国の建設のために用いていただきましょう。
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1月31日 聖日礼拝

2016-02-01 13:53:18 | 礼拝
聖書:マルコ4:2~20
メッセージ:“心を見つめる” 阿部頼義師

(14~15)「種まく人は、みことばを蒔くのです。みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです。―みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。」
 蒔かれた場所は人の心の表しています。「道ばた」とは、踏み固められた心、頑なな心を表しています。

(16~17)「同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです。―みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」
「岩地」とは、ごつごつした自分中心の心を表しています。

(18~19)「もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです。―みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。」
 「いばら」に蒔かれるとは、周りの状況に惑わされ、忙しさの中みことばがふさがれ届かなくなることです。

(20)「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」
 「良い地」とは、耕されたやわらかい心を表しています。御前にへりくだり、みことばを聞いて受け入れる者のうちに、神の国は実現し成長していきます。恵みのことばに生かされ、豊かな実が結ばれていきますように。
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