経堂めぐみ教会

礼拝メッセージの内容です。

11月28日 アドベント第一聖日礼拝

2010-11-29 17:50:10 | 礼拝
聖書:イザヤ9:1-7
メッセージ:“平和の君の誕生”

Ⅰ:やみの中の光
(2)「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」
イエス様はこの世のやみを照らす光としてお生まれになりました。やみから光へ、争いから平和へと、人の心のやみ、この世のやみを照らし取り除いて下さい。

Ⅱ:メシヤ預言
(6)「ひとりのみごりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」
 紀元前700年、預言者イザヤにより、メシヤ(救い主)が生まれると語られました。メシヤはどのようなお方か?不思議なご計画をもって私たちの歩みを導かれます。神のことばには力があり、みことばにより強められます。変わらぬ愛に生かされます。神との平和・平安・充足が与えられます。このクリスマスの時、クリスマスの主、イエス様を心にお迎えし、光のうちに歩み、平和の使者としてくださいますように。
 
 
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11月21日追悼賛美礼拝

2010-11-22 10:43:56 | 礼拝
聖書:Ⅰテサロニケ4:13-18
メッセージ:“主にある者の真の慰め”

(14)「私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのうように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。」
 人は死んだらどうなるのでしょうか。眠ったままでしょうか。イエス様は人の罪の赦しのため十字架にかかられ、永遠のいのちのために、死に打ち勝ち復活され、今も生きておられます。十字架と復活が信仰の土台です。信じる者に永遠のいのちが与えられます。

(16-18)「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」
 主の再臨についての記事です。信じる者には永遠の死では終わらない真の慰めがあります。いつまでも主と共にいる、永遠の希望の約束が与えられています。この世での生涯、みことばに堅く立ち、互いに慰め合い、永遠の希望に生かされますように。
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11月14日聖日礼拝

2010-11-16 10:31:26 | 礼拝
聖書:マタイ13:1-9;18-23
メッセージ:“みことばを聞いて悟る人”

 イエス様は種まきのたとえで真理を語られました。「種」は聖書のことばを、4種類の土地は私たちの心を表しています。

Ⅰ:道ばたに蒔かれるとは
(19)「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。」
 道ばたに種が蒔かれるとは、道ばたのように頑なな心で最初から福音に心を閉ざしている人のことです。

Ⅱ:岩地に蒔かれるとは
(20-21)「また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまづいてしまいます。」
 岩地なので根がしっかり張らず、何か辛いことや試練があるとすぐにつまづき、離れてしまう人のことです。

Ⅲ:いばらの中に蒔かれるとは
(22)「また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人です。」
 みことばを聞いて信じますが、この世の楽しみなどに心奪われ実を結ばない人です。(Ⅰテモテ6:10)「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」

Ⅳ:良い地に蒔かれるとは
(23)「ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
 良い地とは、石やいばらが取り除かれ、よく耕された地のことです。
(詩篇51:17)「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」
 みことばを聞いて悟るとは、心の奥深くにみことばが留まることです。心を砕き、みことばを悟り従う人は豊かな実を結びます。この世の信仰生涯を祝し導き下さい。
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11月7日幼児祝福式礼拝

2010-11-08 13:40:23 | 礼拝
聖書:マルコ10:13-16
メッセージ:“子どもを祝福するイエス様”

Ⅰ:子どもを拒絶する弟子たち
(13)「さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。」
 ユダヤでは生後1年の幼児を指導者(ラビ)のもとに連れて祝福してもらう習慣がありました。弟子たちは忙しく疲れていたイエス様をこれ以上煩わさないように、叱って追い返そうとしました。小さな者・弱い者が拒絶されます。戦争や貧困で犠牲になるのは弱い子どもたちです。

Ⅱ:子どもを招くイエス様
(14)「イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。『子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。』」
 イエス様は子どもたちをご自分のもとに招かれます。子どもたちを受け入れ、認められます。ほめること、認めることは子どもたちを生かし、成長させます。

Ⅲ:子どもを祝福するイエス様
(15)「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
(16)「そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」
 子どものように弱さを知り、主を信頼する者を祝福されます。
(箴言3:1-12)「わが子よ。私のおしえを忘れるな。私の命令を心に留めよ。」
 神様を第一とし、主に寄り頼むこと、そこに祝福があることを子どもたちに伝えていきます。

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10月31日宗教改革記念礼拝

2010-11-03 13:50:47 | 礼拝
聖書:ローマ1:7-17
メッセージ:“義人は信仰により生きる”

Ⅰ:救いを求めるルター
 法律家を目指していたルターでしたが、ものすごい嵐の中、死の恐怖におののき、「聖アンナよ。どうか助けて下さい。救ってくださるなら修道士になります。」と誓いを立て、修道会に入ります。救いを見出さんと、難行苦行の修道生活に励みましたが、心に平安はなく、神の裁き、死に対する恐怖は強まるばかりでした。しかし、神は求める者に救いを与えて下さいます。

Ⅱ:信仰による救い
(16-17)「わたしは福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」
 ルターは大学で聖書の講義をすることになり、ローマ書1章17節にきて、はたと気がつきます。「神の義」とは、神は裁く方というより、恵みとあわれみにより罪深い人間を受け入れ、赦し、信仰により義とされることだと確信します。

Ⅲ:義人は信仰に生きる
 信じて救われた者は、信仰に生きる者とされます。福音のうちに神の義が啓示され、信仰から信仰に進ませて下さいます。キリストの受肉・十字架・復活を信じる信仰に生かされます。
(14-15)「私は、ギリシヤ人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。」
 信仰に生き、証・宣教へと用いて下さい。
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