経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

10月23日 聖日礼拝

2016-10-25 09:25:12 | 礼拝
聖書:創世記15:1~6
メッセージ:“さあ、天を見上げて”


1.将来への恐れ

(1~3)「これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。『アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。』そこでアブラムは申し上げた。『神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。』さらに、アブラムは、『ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう』と申し上げた。」
 前章でアブラムは戦いに勝利をおさめ、甥のロトを取り戻しましたが、彼の心の中には恐れがありました。また跡取りの子どもが未だ与えられず、将来に希望を持てなかったのでしょう。しかし主は「恐れるな」と語りかけます。将来を知る主ご自身が私たちの盾となり、責任をもって守ってくださるのです。

2.将来への可能性

(4~5)「すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。『その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。』そして、彼を外に連れ出して仰せられた。『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』」
 主はアブラムに奴隷の子を跡取りにしてはならないとはっきりと伝えました。神様の思いは私たちの思いよりもはるか高い所にあります。不信仰の殻に閉じこもるアブラムを外に連れ出し、満天の星空を見上げて「あなたもこのようになる」と励まされます。自分で限界を設けるのではなく、主を見上げていくなら、そこには限りない可能性が広がっていくのです。

3.将来へのチャレンジ

(6)「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」
 アブラムはもう一度主のことばを聞いた時、彼の思いは自分自身から主ご自身に向けられました。信仰とは神と神のことばを信じて従っていくことです。彼が正しい行いの立派な人であったから義とされたわけではありません。ただ神様を信じる信仰によって義と認められ、祝福を受けたのです。
 札幌農学校(現北海道大学)の教師として来日したクラーク博士のことば、「少年よ。大志を抱け!。(Boys,be ambitious!)」はあまりにも有名です。クラーク博士の右手を上げている像は、遥かかなたにある永遠の真理を指し、そこに向かい大志を抱けとの思いが込められていると言うことです。はかなき名声や野心を燃やすことなく、人間の本分をなすべく大志を抱け、又はキリストにあって大志を抱けと言ったとも言われています。主はアブラムに「あなたもこのようになる」と仰せられました。自分や現状に目を落とすのではなく、主を見上げ、主の可能性を仰いでまいりましょう。
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10月16日 聖日礼拝

2016-10-18 10:03:01 | 礼拝
聖書:創世記14:12~24
メッセージ:“いと高き神に誉れあれ”


1.愛によりとりなす者

(14~16)「アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。」
 アブラムは甥のロトを助け出すために戦いに出て行きます。アブラムは敵の手に奪われたロトを取り戻すまで彼らを追撃しました。「すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6:18)アブラムは主の祭壇を築いたように、祈りは最大の力です。神はをこの世に御子を遣わし、一人として滅びることなく悔い改めに進むことを望んでおられます。忍耐の限りを尽くしとりなす者としてください。

2.祝福をとりつぐ者

(18~20)「さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。『祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。』アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。」
 メルキゼデク王は神の祭司でもありました。祭司とは、神の祝福をとりつぐ者です。イエス・キリストのひな形として記されています。
(Ⅰペテロ2:9)「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」
 私たちも「王である祭司」とされています。私たちをして神の祝福をとりつぐ者とされますように。

3.神に栄光を帰す者

(21~23)「ソドムの王はアブラムに言った。『人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。』しかし、アブラムはソドムの王に言った。『私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。」
 アブラムは神に栄光を帰しました。戦いに勝利した栄光を神様にお返ししました。証しとは神の栄光を現すことです。バプテスマのヨハネの役割はイエス・キリストを証しすることでした。
 讃美歌第二編195番「キリストには変えられません」は、ジョージ・ベヴァリー・シェーの作曲、ミラー夫人の作詞です。ある日曜日の朝、ショーが弾くピアノの上に一編の切り抜きの詩が置いてありました。彼の母は感激した記事や文章を集めていて、その朝も息子に見せるために置いたものでした。シェーはすぐその歌詞に曲をつけて教会で賛美しました。それが「キリストには変えられません」です。しかし作詞者ミラー夫人については何もわかっていません。この歌が有名になっても、ミラー夫人は「私が作詞者です」と名乗りを上げることはありませんでした。この歌の歌詞にそのヒントが隠されているかもしれません。「有名な人になることも、人のほめる言葉も、この心を引きません ~ この御方で心の満たされてある今は」 おそらく彼女は才能豊かな夫人であったと思われます。そして彼女の生涯はイエス様の愛と祝福で満たされていたのでしょう。彼女はそれで十分でした。私たちをもあなたの愛と祝福で満たしてください。私たちをして神様の栄光が現されていきますように。
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10月9日 聖日礼拝

2016-10-12 14:15:48 | 礼拝
聖書:創世記13:5~18
メッセージ:“信仰の目を上げて”


1.人間関係の試練

(5~7)「アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。」
 一緒に住むことができなくなるほど群れが大きくなり、アブラムとロトとの牧者の間で争いが起きました。アブラムは神を信じ信仰によって生きますが、試練の中を通らされ失敗を繰り返します。私たちも人間関係において様々な問題が起きてきます。それでも神は真実をもって導かれます。

2.信仰による選択

(8~9)「そこで、アブラムはロトに言った。『どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。』」
 アブラムは甥のロトに選ぶ権利を譲りました。ロトは躊躇することなく肥沃な土地のヨルダン低地を選びます。一方アブラムはカナンがどんな荒地であっても約束の地だと信じ選びました。私たちも選択を迫られるときがあります。立てるアンテナの種類によって見えるものが違ってきます。この世にアンテナを立てるならばこの世の価値観が入りますが、神様にアンテナを立てるならば神様の価値観が入ってきます。選択を迫られる時どちらが主のみこころであり、主に喜ばれる道なのか、信仰によって選び、主の御旨を踏み行っていく者としてください。

3.主の新たな約束

(14~17)「ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。『さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。』」
「さあ、目を上げて」と、主はアブラムに節目節目に臨み、約束を確認するかのように語りかけます。アブラムは信仰の目をもって約束の地カナンを見渡しました。危機に直面するたびに、神の約束を信仰の目をもって見上げます。
 主は真実な約束をもって私たちの歩みを祝福されます。動かされることなく、いつも主を見上げ、主の約束を信じてお従いしてまいりましょう。
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10月2日 聖日礼拝

2016-10-04 09:55:14 | 礼拝
聖書:創世記12:10~20
メッセージ:“真実な約束”
オルガン演奏:パッフェルベル“汚れなき神の子羊”


1.神の約束

(1~3)「主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』」
 神はアブラムを選び、彼の民族を通してすべての人々に祝福を届けようと約束されました。そして、この約束はアブラムの子孫であるイエス・キリストによる新しい契約を通して引き継がれます。神の約束は変わることがありません。

2.アブラムの不真実

(11~13)「彼はエジプトに近づき、そこに入ろうとするとき、妻のサライに言った。『聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。』」
 アブラムはエジプトに下り、エジプト王パロの前で妻サライを妹だと嘘をつきます。彼は神のみこころを求めず自分に都合のよいように行動しました。このことにより、パロはサライを宮廷に召し入れ、神との祝福の約束は大きな危機に直面します。自分の知恵に頼るのではなく、主に信頼し従います。

3.神の真実による回復
(17~19)「しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。『あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。』」
 「しかし、主は」と、このまま事が進んでいくことを許しませんでした。主はあわれみにより介入し、パロの家をひどく痛めつけてサライを救い出します。主は真実ゆえにご自身の約束を守られます。アブラムは主の愛と真実に触れ、もといたカナンの地に戻り祭壇を築き、信仰の原点に立ち返ります。
 (エレミヤ29:11)「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
 神は一人ひとりのために計画を立てています。それは平安であり、将来と希望を与える計画です。神は真実ゆえにご自身の約束を成し遂げられます。約束を信じましょう。私たちを通して主の約束がなされていきますように。
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