経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

9月26日礼拝「士師の時代⑤ー祝福を受けたルツー」

2021-09-27 14:39:43 | 礼拝
ルツ記2章1~7節、4章1~6節
 
 ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属する一人の有力者がいました。その人の名はボアズと言いました。ベツレヘムに帰ったナオミとルツは、人々の歓迎を受けましたが、その日からの生活に困りました。そこでルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めました。しかしそこは、はからずも、ボアズの畑でした。ルツの勤勉の姿に、ボアズは好意を持つようになります。ルツはボアズにとても親切にされ、夕暮れには多くの落ち穂を拾って家に帰りました。ルツはナオミにボアズという人の所で働いたと報告すると、ナオミは(20)「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまない主が、その方を祝福されますように。」と言い、また「その方は私たちの近親の者で、しかも、買い戻しの権利のある親類の一人」であることを伝えました。ルツはそこで大麦と小麦の刈り入れの終わるまで、落ち穂を拾い集めました。こうしてルツは姑と暮らしました。イスラエルの神こそ真の神と信じ、姑を愛して、遠くベツレヘムまでやって来たルツを、主はほっとおかれませんでした。偶然と思われる方法を通して主は働かれました。

 姑のナオミは自分のことより嫁のルツの幸せのことを第一に考えていました。ナオミはルツがボアズの畑に導かれたことで、ボアズこそルツのために備えられた相手だと感じたのでしょう。ナオミは早くもボアズとナオミが結婚するための具体的な計画を練っていました。大麦の刈り入れが終わった祝宴の日をみはからって、こちらから結婚を迫ってみようというのがナオミの計画でした。ルツはそれに素直に従います。彼女は晴れ着をまといこっそり行って、いい気分で寝ていたボアズの足もとに横たわります。夜中に目を覚ましたボアズはびっくりします。(9)「あなたは誰だ」と聞くと、ルツは(9)「私はあなたのはしためルツです。あなたの覆いを、あなたのはしための上に広げてください。あなたは買戻しの権利のある親類です。」ルツの気持ちを知ったボアズは、冷静に、理性的にルツの愛を受け止め、最善を尽くそうと決意します。しかしボアズはここで一つの提案をします。自分は確かに買戻しの権利のある親類だが、自分よりももっと近い権利のある親類がいるので、その人に聞いてみて、もしその人が役目を果たさないなら、自分がナオミの相続地とあなたを買い戻すことを約束しました。ルツの告白に、ボアズは感情に左右されることなく、実に冷静に判断しました。

 ボアズは早速行動を開始しました。彼は、ベツレヘムの町の門のところへ上って行き、そこに座りました。するとちょうど、そこにボアズが言っていた買戻しの権利のある親類の人が通りかかりました。その人に話し合いの席に座ってくれるように頼みます。ボアズはその人に、モアブの野から帰って来たナオミが夫エリメレクの畑を売ろうとしているのを告げ、もしその畑を買い戻すかどうかを民の長老たちの前で言ってほしいと提案しました。すると彼は、「私が買い戻しましょう」と言いますが、その土地を買い戻す時に、モアブの女ルツも同時に買い戻さなければならないことを伝えると、その人は急に考えを変えて、土地を買い戻す権利を放棄したのです。子どもができたら相続地はその子のものになるからでした。それで、買い戻しの権利はボアズのものとなりました。ルツはめでたくボアズと結婚し、主はすぐに彼女を身ごもらせてくださいました。ナオミは初孫オベデを胸に抱くことができて、どれほど嬉しかったことでしょうか。たとえ犠牲を払おうとも、まことの神様を信じ、神様を信じる人々の中で生きることを選んだルツを、神様はこれほどまでに祝福されました。私たちも主の十字架を仰ぎ、喜んで神と人とに仕える生涯を歩んでいけるようにしてください。
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9月19日礼拝「士師の時代④ー神の民とされる幸いー」

2021-09-20 14:27:15 | 礼拝
ルツ記1章6~18節

 さばきつかさが治めていたころ、この地方に飢饉が起こりました。それで、ユダのベツレヘム出身のエリメレクという人はその妻ナオミと二人の息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにしました。しかし、しばらくしてナオミの夫エリメレクは死に、ナオミと二人の息子が後に残されます。その後、二人の息子はそれぞれモアブの女を妻に迎え、一人の名はオルパ、もう一人の名はルツでした。彼らは約10年間そこに住みますが、二人の息子も亡くなってしまいます。途方に暮れていたナオミでしたが、ベツレヘムで飢饉が終わったことを耳にし、自分の故郷に帰る決断をします。二人の嫁はナオミと行動を共にしますが、ナオミはモアブ人である二人の将来を考えて自分の家に帰るように勧めます。彼女らが苦労することが分かっていたからです。二人の幸せを願ったナオミの心のこもった説得に、彼女たちは声を上げて泣き、弟嫁のオルパは別れの口づけをして、自分の実家に帰って行きました。しかし、ルツはナオミの再度の勧めにも応じず、「お母様を捨てて別れて帰ることはできない」、(16)「お母様がいかれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」と、どこまでもナオミといっしょに行くと言い張ったのです。ナオミはルツが自分と一緒に行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言いませんでした。

 ルツは、自分の郷里であるモアブに残るよりも、ナオミと一緒に行くことを選びました。それは住み慣れた故郷や家族や親しい人たちと離れることでした。また文化や生活習慣も違い、モアブ人に対する偏見もあったでしょう。それでも、ルツは故郷を離れてナオミについていこうとしたのです。それは、姑のナオミを慕っていたということもありますが、(16)「あなたの神は私の神」と告白しているように、ナオミを通して真の神を信じるようになっていたからです。ナオミの一家と生活をともにしている間に、彼らの信じている神こそがまことの神であることを悟ったからです。自分も神の選びの民の一人に加えられたい、モアブの偶像の神ではなく、生きておられる主なる神のもとで生きていきたいという思いになったのでしょう。ルツは、ナオミを通してこの神を知りました。それは、ナオミが主なる神のみを信頼して歩んでいたからにほかなりません。
 
 それから、二人は旅をしてベツレヘムに戻ります。二人がベツレヘムに着くと、人々はナオミを喜び迎えます。しかし、ナオミは彼らに向かって言いました。(20)「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私を大きな苦しみにあわせたのですから。」夫に先立たれ、二人に息子を失い、天涯孤独のナオミにとって、その傷は癒えがたく、その心は何を持っても満たすことができませんでした。今はまったく望みが持てず、マラ(苦しみ)こそ私の名にふさわしいと嘆いたのです。しかし、彼女の生涯は本当にマラの生涯であったのでしょうか。決してそうではなく、彼女の生涯もまた栄光の生涯であったのです。それは新約時代になって明らかになることですが、ナオミが導いた異邦人のルツが救い主誕生の系図に記されることになるのです。絶望の中うつろな姿でモアブから帰って来て、私をナオミ(楽しみ)ではなく、マラと呼んでくださいと願ったナオミでしたが、信仰で結ばれた嫁のルツが与えられました。これこそ彼女にとって主からのすばらしい贈り物であり、希望の光でした。ナオミとルツに対する神の御業はここから始まっていきます。ご自身の民に心を向けてくださる神は、あわれみ深く、全能の御腕を持って養い導いてくださいます。「主の民」である私たちの人生をも希望に満ちたものにしようと働いておられるのです。
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9月12日礼拝「士師の時代③-強い力の源-」

2021-09-13 14:52:06 | 礼拝
士師記16章15~22節,28~31節

 イスラエルの民がペリシテ人に支配され、苦しめられていたころ、ダン族のマノアという人の妻のもとに主の使いが現れて、身ごもって男の子を産むと言われました。その子は、母のお腹の中にいる時から、神に捧げられたナジル人として定められていました。だから、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない、汚れた物を食べてはならない、髪の毛を切ってはならない、そしてその子は、イスラエルをペリシテ人の手から救い出すと言われたのです。彼は両親に大切に育てられ、その子はサムソンと名づけられました。成人したサムソンは怪力の持ち主でした。神様の力が注がれていたからです。彼はこの怪力で敵対するペリシテ人を次々と打ち負かし、「さばきつかさ」としての務めを果たしていきました。

 20年も経った頃のこと、サムソンは一人のデリラという女性を愛しました。しかし、この女性との関係が命取りとなります。ペリシテ人は何とかサムソンを捕えたいと考えていたので、チャンス到来とばかりにサムソンの怪力の秘密をデリラに探らせます。領主一人から銀千百枚でその誘いに乗ります。その日から、デリラの執拗な問いかけが始まりました。(6)「どうか私に教えてください。あなたの強い力はどこにあるのですか。」幾度となくとぼけるサムソンでしたが、ついに力の秘密を明かしてしまいます。(17)「私の頭には、かみそりが当てられたことがない。私は母の胎にいるときから神に献げられたナジル人だからだ。もし私の髪の毛が剃り落されたら、私の力は私から去り、私は弱くなって普通の人のようになるだろう。」彼女は膝の上でサムソンを眠らせ、人を呼んで彼の髪の毛七房を剃り落しました。ペリシテ人が襲ってきた時、サムソンに以前のような力はもうありませんでした。サムソンが自分の髪の秘密を漏らした時、自分が神に捧げられたナジル人だという自覚を失い、与えられた使命を放棄したので、神がその力を取り去ってしまったのです。ペリシテ人は彼を捕まえて、その目をえぐりだし、彼をガザに引き立てて行きました。彼はガザで青銅の足かせをかけられ、牢につながれ、そこで他の囚人と同じように臼を引かされました。

 この時初めてサムソンは本心に立ち返ったと思われます。自分がどんなに愚かなことをしてきたかに初めて気づきました。 (22)「サムソンの髪の毛は、剃り落されてからまた伸び始め」てきて、生涯神に献げられたナジル人としての自覚がよみがえってきました。ペリシテ人の領主たちは、自分たちの神にいけにえをささげて楽しもうと集まりました。彼らはサムソンを見世物にしようと牢から呼び出しました。彼らの前で戯れて「笑いもの」になり、どんなにみじめで屈辱的だったことでしょう。サムソン彼の手を堅く握っている若者に、(26)「私の手を放して、この神殿を支えている柱にさわらせ、それに寄りかからせてくれ。」と言います。そして心から悔い改めて主を呼び求めました。(28)「神、主よ、どうか私を心に留めてください。ああ神よ、どうか、もう一度だけ私を強めてください。」彼は自分のうちに主からの力がみなぎって来るのを感じました。彼は、神殿を支えている二本の柱を、一本は右手に、もう一本は左手に抱え、それに寄りかかりました。そして、彼は(30)「ペリシテ人と一緒に死のう」と言って、力を込めて二本の柱を押し広げました。すると、神殿はその中にいたすべての人たちの上に崩れ落ちました。「こうして、サムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。」のです。神は最後に悔い改めたサムソンをご自分の器として用いられました。私たちも失敗する者です。でも主イエスは私たちの罪を赦すために身がわりとなって十字架にかかってくださったのです。悔い改めて主の愛にお応えしていきましょう。あなたの賜物が豊かに用いられますように。
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9月5日礼拝「士師の時代②-兵は多すぎる-」

2021-09-06 09:42:57 | 礼拝
士師記7章2節~7節,16~22節 

 (1)ギデオンのもとに集まった民は、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷きました。一方ミディアン人はイスラエルの陣営の北方に陣を敷きました。イスラエル軍は総勢3万二千人。一方のミディアン人は13万5千人で、数の上でははるかにイスラエル軍を圧倒していました。ところが、主は思いがけない命令を下します。(2)「あなたと一緒にいる兵は多すぎるので、わたしはミディアン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないからだ。」そこで、主は2回にわたり、民を選別して減らすように命じます。 (3)「だれでも恐れおののく者は帰り、ギルアデ山から離れよ」と、ギデオンが呼びかけると、何と2万2千人が帰っていきました。一万人が残りました。しかし、主はさらに、少なくするように命じます。兵士を水辺に連れて行き、両手をついて犬のように水を飲んだ人や、膝をつきながら夢中で水を飲んだ人たちは家に帰されました。戦いのために選ばれたのは、たったの三百人でした。家に帰った多くの兵士たちを見て、ギデオンはますます主に御頼りしたことでしょう。

 戦いの準備がすべて整いましたが、その夜、主はギデオンに偵察に行くことを許されました。(10~11)「もし、あなたが下って行くことを恐れるなら、あなたの従者プラと一緒に陣営に下って行き、彼らが何を言っているかを聞け。」彼らが陣営の端に行くと、ちょうど一人の者が仲間に夢の話をしていました。(13)「大麦のパンの塊が一つ、ミディアン人の陣営に転がって来て、天幕を打ち倒してしまった」と話しますと、もう一人の仲間は、(14)「それはイスラエル人ヨアシュの子ギデオンの剣にほかならない、神が彼の手にミディアン人と陣営全部を渡されたのだ」と答えました。このように、主は敵の一人に夢を見させ、それをもう一人の者に解き明かさせて、ギデオンに聞かせたのです。敵が戦う前から恐れていることを知り、ギデオンは勝利を確信しました。今回の偵察は、敵の様子を探り、戦略を立てるための偵察ではなく、指揮官であるギデオンの恐れを取り除くためであったのです。恐れや不安は、しばしば私たちが自由に動き、主にお従いしていくことを妨げます。神は私たちにも寄り添い、従うことができるように忍耐深く導いてくださるのです。

  (19)真夜中の夜番の始まる時、彼らは陣営に到着しました。ギデオンの合図に合わせて、100人ずつ3隊に分かれていた300人が一斉に角笛を吹き鳴らし、つぼを打ち壊しました。それから左手にたいまつを握り、右手に吹き鳴らす角笛を握って、「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫び、それぞれ陣営の周囲に着いたので、ミディアン人たちは驚き、パニックになりました。真っ暗闇の中で、一斉に吹き鳴らした角笛の大きな音、一度に割れる空壺の音、赤々と燃えるたいまつの不気味な炎、そして全員で叫ぶ雄叫びの声。眠りについていたミディアン人は恐怖に襲われ、イスラエルの大軍に囲まれたと勘違いして、あちこちで同士討ちが起き、残りの者たちも陣営から逃げていきました。まさに主が与えてくださった大勝利でした。あの気弱なギデオンが、たった三百人の兵隊で4百倍以上の敵に打ち勝つことができたのです。どんなに小さく弱い者であっても、主に信頼するならば、主ご自身が力を発揮してくださるのです。私たちクリスチャンは、この世にあっては少数派です。あなたは今の職場で、学校で、近隣で、たった一人のクリスチャンであるかもしれません。また様々な戦いがあるかもしれません。でも主が戦われるので勝利していくことができるのです。主に頼り祈りましょう。信仰によって恐れず大胆に歩んでいくことができるのです。
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