経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

5月10日「涙の祈り」

2020-05-11 10:01:39 | 礼拝
サムエル記第一1章9~20節  

 士師の時代の終わりに、エフライムの山地ラマタイム出身のエルカナという人がいました。彼には二人の妻がいて、一人の名はハンナといい、もう一人の名はペニンナと言いました。正妻のハンナとの間に子どもが生まれなかったので、家系を絶やさないようにとペニンナを二人目の妻として迎えたものと思われます。しかしその行為は決して聖書的ではなく、かえって家庭の中は複雑になっていきました。ペニンナはハンナを見下し、事あるごとにハンナの不妊のことを責め、執拗に攻撃しました。ハンナはペニンナを迎えて一層苦しみが増しました。そして毎年、エルカナとその家族は神殿を訪れ、いけにえを携え主に礼拝を捧げていますが、礼拝の後、ハンナは泣いて食事をしようともしませんでした。「そのようなことが毎年行われ」と記されているように、ハンナの涙の日々が長く続いたことを伝えています。たとえ苦しいことがあっても期限があれば耐えることができますが、いつまでたっても自分を取り巻く環境が一向に変わろうとしない時、その苦しみを幾倍にも感じるようになるでしょう。どうして神は私をこのような苦しみにあわせるのだろうか。なぜ全能の神がこの暗闇から救ってくださらないのだろうかと悩みます。
 
 ところがハンナは、食事の時間が終わると急に立ち上がり、神殿へと向かいます。神殿の門の柱のそばには祭司エリが椅子に座っていました。(10)「ハンナの心は痛んでいました。彼女は激しく泣いて、主に祈りました。」彼女の心は痛み、子どもが与えられてこの苦しみから助け出してくださるように、ペニンナを見返すことができるようにという祈りであったかもしれません。しかし次第に、彼女の思いは祈りの中で変わっていきました。彼女は次のように祈ります。(11)「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」子を下さるならその子をお捧げすると誓います。お母さんならば、普通は愛する子どもを自分のそばに置いておきたいものです。けれどもハンナは、神様が授けてくださる子どもを自分のもとから手放し、喜んで神様のために捧げることを誓いました。ハンナは最初、自分の願いを祈っていましたが、祈りの中で神様のみこころが示され、その子の全生涯を神様にお委ねする思いへと変えられていきました。

 そんなハンナの泣いて祈る様子を見ていた祭司エリは、酒に酔っているかと思い、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」と声を掛けます。それに対してハンナは「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。」とお答えします。すると祭司エリはハンナに、「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」と話しかけると、彼女は夫のもとに戻り食事をしました。すると驚いたことに、ハンナの顔はもはや以前のようではなく、すっかり変わっていました。問題は依然そのままですが、もう悲しみはなく、安心した穏やかな表情になっていました。ハンナは祈りの中で慰められました。神様が最善をなしてくださると信じ、その子の一生涯を主にお委ねしました。翌年、神様はハンナの祈りに答えて、念願の男の子が授けられます。その子を「サムエル」と名付けます。後に偉大な預言者へと成長していきます。実に、ハンナの涙なしに、あの偉大な預言者サムエルは生まれなかったでしょう。ハンナの悲しみは何年も続きましたが、悲しみの谷を通って祈りは聞かれたのです。私たちも様々な苦しみにあいますが、神様が慰めてくださいますように。
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