経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

1月26日 「託された使命」

2020-01-28 17:18:21 | 礼拝
聖書:エステル記4:5~17  

  ペルシアの王クセルクセス王の時代に生きた女性エステルの物語です。クセルクセス王は自分の力を誇るために多くの有力者を招き盛大に宴会を開きます。その際、美しい王妃を見せようと宴会に来るように命じますが王妃はそれを拒みます。面目をつぶされた王は王妃をその位から追放します。そして、新しい王妃を選ぶために、国中の美しい未婚の女性が集められ、エステルもその美貌のゆえに王宮に連れていかれました。彼女は両親を亡くし、親類のモルデカイに育てられました。王はことさらエステルを可愛がり、なんとエステルが新しい王妃に選ばれました。エステルが王妃についてしばらくして一つの事件が起こります。ハマンという人物が王に重んじられ、家来たちはみなハマンに膝をかがめひれ伏しました。ところが、ユダヤ人モルデカイだけは膝をかがめずひれ伏そうとしませんでした。そのことを知ったハマンは怒り、モルデカイ一人に手をかけるだけでは満足せず、国中のすべてのユダヤ人を根絶やしにしようとしました。王はハマンの申し出を受け入れてしまいます。 
 
 そのことを知ったモルデカイは、衣を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声で激しく叫びながら王の門の入り口まで出て行きました。モルデカイは自分の身に起きたこと、ハマンがユダヤ人を滅ぼそうとしていることを、宦官を通して王宮にいるエステルに告げます。そして、自分の民族を救うために王のところに行って憐れみを請うようにと訴えます。しかしエステルは躊躇します。たとえ王妃といえども、王から呼ばれずに王のもとに行く者は殺されることになっていたからです。ただし王が金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえました。自分から王のところに行くことの困難さを伝えました。それを聞いたモルデカイはこのように言います。(13~14)「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」モルデカイはメシヤはユダヤ人の中から生まれるという神の約束を信じていたので、エステルが黙っていても必ず他から助けが起きることを信じていました。また、エステルが大勢の中から王に愛され選ばれたのは、エステル一人の幸せのためだけではなく、もしかすると「このような時のため」、すなわち自分の民族を滅びから救うためかもしれないと伝えました。
 
 エステルは次のように返事します。(16)「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」この危機の時、神が働かれるように、自分だけではなく、スサにいるすべてのユダヤ人にも断食して祈るようにと求めました。そのようにした上で、法令に背くことで、たとえ自分の身に何か起ころうとも、「私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」と返事をします。エステルは神のご計画の中に、自分自身を投げ出し、すべてをお委ねしました。神は目的なく選ぶことはなさいません。神の選びや祝福には神の大いなるご計画とご期待が秘められています。神はエステルを祝福し王妃として選んだのは、自分の民をこのような危機から救うためだったのです。私たちも神のご計画の中にあります。先に救われた者としての託された使命があります。
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1月19日 「仕える喜び」

2020-01-20 19:48:20 | 礼拝
聖書:ダニエル書6章3~10節、15~23節  

 新バビロニア帝国が滅び、ダレイオスが王となって全国を治めた時、ダニエルはその大臣の一人に任命されました。彼は他の大臣や太守たちよりも際立って秀でていました。それは、(3)「彼のうちにすぐれた霊が宿っていた」からでした。そのため、他の者たちはダニエルを妬ましく思い、どうにかして彼を失脚させようとしましたが、彼には何の欠点も見つけられず訴える口実がありませんでした。そこで彼らはダニエルの信仰から訴える理由をつくりだそうとします。彼らは「今から三十日間、王よ、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれる。」という法令を制定するように王をそそのかし署名させます。ところが、ダニエルはこの禁令に王が署名されたのを知りながらも、いつもと変わらず、日に三度神の前にひざまずき、祈って感謝をささげていました。大きな危機が彼の身に近づいていましたが、動揺することなくふだん通りの生活を続けました。どうしてダニエルはそのようにできたのでしょう?(10)「日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝を奉げていた」と書いてありますように、日々の祈りと礼拝が彼の生き方の土台となっていました。こうした毎日の営みが何事にも動じない神への信頼を培っていきました。

 案の定、大臣や太守たちは申し合わせてやって来て、ダニエルが自分の神に祈っている姿を確認し、王に訴え出ました。(13)「王よ。ユダからの捕虜の一人ダニエルは、あなたと、ご署名になった禁令を無視して、日に三度、自分勝手な祈願をしております。」王はこのことを聞いて非常に憂い、何とかダニエルを救おうと努力しますがもう手遅れでした。一度命じた王の命令は取り下げることはできませんでした。それで王はしかたなく命令を出し、ダニエルは連れて来られ獅子の穴の中に投げ込まれました。その時、王はダニエルに話しかけます。(16)「おまえがいつも仕えている神が、おまえをお救いになるように。」王は宮殿に帰りますが、一晩中断食をしダニエルの身を心配してその夜は一睡もしませんでした。王は夜が明けるとすぐに獅子の穴に急ぎ、その穴に近づくと王は悲痛な声でダニエルに呼びかけました。(20)「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」すると穴から声がしました。(21)「王よ、永遠に生きられますように。私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の危害も加えませんでした。」王は非常に喜び、ダニエルをその穴から引き上げるように命じます。彼には何の傷も見つかりませんでした。
 
 ダレイオス王はダニエルの神を「おまえがいつも仕えている神」と言いました。ダニエルの普段の信仰生活が王にそのように言わせました。15、6歳で奴隷としてバビロンに連れて来られた青年はもう85歳前後になっていましたが、どのような時にもダニエルは忠実に主に仕えていました。自分の力で、頑張りで主に仕えていこうとするならば、一時的にはできるかもしれませんが疲れて長続きはしません。ダニエルのうちには「すぐれた霊が宿っていた」と書いてあります。彼はバビロンで責任ある仕事を長い間忠実に行ってきましたが、それは彼のうちに宿っていたすぐれた霊によるものでした。ダビデは詩篇の中で(51:12)「あなたの救いの喜びを私に戻し、仕えることを喜ぶ霊で私を支えてください」と語っています。ダニエルは一生涯「仕えることを喜ぶ霊」で支えられていたのでしょう。主は私たちのために十字架にかかり、よみがえり、天に上げられ、聖霊を送られました。主の霊で支えられ喜んで仕えていけますように。主の御用のために用いてください。
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1月12日新年聖餐礼拝

2020-01-13 23:40:17 | 礼拝
ダニエル書3:12~27 「救い出す神」

 ネブカドネツァル王は自分を誇るために巨大な金の像を造り、すべての者にこれを拝むよう命令を出しました。すべての国民が拝む中、ダニエルの三人の友人たち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは金の像を拝むことをしませんでした。王は怒り、三人の青年にもし拝まなければ火の燃える炉の中に投げ入れると迫りますが、三人は王にこのように答えて拒みます。
(17~18)「もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」 
それを聞いた王は怒り、彼らへの顔つきが変わりました。炉を普通より7倍熱くするように命じ、力強い者たちが彼らが逃げないように服の上から体を縛り、燃える炉の中に投げ込みました。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは縛られたまま、火の燃える炉の中に落とされました。

 王は様子を見ようと炉の中をのぞいた時、彼は驚いて急に立ち上がり、顧問たちに尋ねて言います。(24)「われわれは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」(25)「だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかもかれらは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
 他の聖書の訳ですと、「だが、わたしには4人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。」とあります。3人は逃げられないように、服の上からしっかりと縄で縛られました。しかし、炉の中では縄がほどけ、第四の者と一緒に自由に歩いていたのです。第四の者の姿とは、受肉前のキリストを指すと考えられています。それは、試練のただ中でイエス様が私たちと共にいて守っていてくださることを表しています。私たちはしばしば物事に思い悩み、そのことに心が縛られて不自由さを感じることがあります。目の前の問題だけを見ているなら、心はますます窮屈になってしまいます。しかしイエス様を見ていくなら心は解放されていきます。イエス様を見るとは具体的にどうすることでしょうか。それは聖書のみことばを心に留めていくことです。
 詩篇1篇2~3節「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄える。」
「口ずさむ」とは、脚注に「思い巡らす」とも記されています。いつもみことばを思い巡らす人です。現実だけを見るなら、人だけを見るなら、恐れや不安が起こります。しかし、聖書のみことばを心に思い巡らすときに、不思議にも不安は取り除かれ平安が与えられます。

 (26)ネブカドネツァル王は燃える炉の口に近づき、三人に炉の中から出て来るように命じました。出て来た三人を見ると、全然焼けていませんでした。髪の毛も上着も焼けず、火の臭いも全くしませんでした。三人は助かりました。三人の青年たちは信仰を守るために大きな試練の中に投げ込まれましたが、彼らと共に立っておられるもう一人の方がおられることを経験しました。私たちが色々な問題を抱えながら生きている時、その真っ只中にイエス様も共にいてくださいます。イエス様は私たちを罪から救うために十字架にかかり、私たちを守るためにいつも共にいてくださるのです。問題に心奪われないようにイエス様に目を留めていきます。聖書のことばを信じ心に思い巡らします。
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2020年1月5日新年礼拝

2020-01-06 21:32:11 | 礼拝
ダニエル書1章8~16節 「恵みとあわれみの主」

 ダニエルと3人の友人たちはバビロンに捕囚され、3年間養育され、王に仕えることになります。その間、彼らには王が食べるご馳走やぶどう酒が割り当てられました。しかし、ダニエルはご馳走を拒みます。
(8)「ダニエルは、王が食べるごちそうや王が飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定めた。そして、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願うことにした。」
彼は王の食物とぶどう酒で自分を汚さないようにと、宦官の長にこの王の食事を辞退したいと申し出ました。それは当時の異教社会にあっては、王の食べ物その一部がまず異教の神に捧げられたので、そのような料理を食べることは、偶像崇拝に加わることと考えたのでしょう。ダニエルは、異国で支配者たちに仕えることは受け入れましたが、自分たちの信じる神への信仰は固く持ち続けました。そして偶像崇拝で身を汚すことがないように心掛けました。彼らは15、6歳の少年でしたので、王が食べるご馳走はとても魅力的に思えたでしょうが、それを拒んだのです。
しかし考えてみますと、この申し出は大変勇気のいることです。人の好意を辞退するだけでも簡単なことではありません。まして、この場合は、王の好意です。彼らは捕らわれの身です。それを自分の信仰のゆえに辞退することは、王の怒り、ひいては自分の命までも覚悟しなければならないことでありました。

 しかし9節を見ますと、「神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるようにされた。」と記されています。神はダニエルに宦官の長の好意と好感を得られるようにされました。
宦官の長はダニエルに(10)「私は、あなたがたの食べ物と飲み物を定めた王を恐れている。」と言いました。食事は王様が定めたものであり、もし、食事を拒んで、あなたがたの顔色が他の少年たちよりも良くなければ、私はその責任を取らなければならないと。宦官の長は王を恐れていました。
 そこでダニエルは宦官の長が任命した世話役に申し出ました。10日間、野菜を食べ、水を飲む生活をして、私たちの顔色と、他の少年たちの顔色を比べて、その上で判断してくださいと。世話役は彼らの申し出を受け入れ、十日間彼らを試しました。すると、十日間が終わり、彼らは王と同じご馳走を食べているどの少年よりも顔色が良く、体つきも良かったのです。そこで世話役は、彼らからご馳走とぶどう酒を取り下げ、野菜を与えることにしました。
 このようにして、ダニエルたちは王が食べるご馳走やぶどう酒を飲まずに済んだのです。偶像の神に捧げられた食べ物を食べて身を汚すことから守られました。神はダニエルに宦官の長の好意を得られるようにされました。

 ダニエルのこの申し出は神を恐れてのことです。王を恐れず、王の好意ともてなしを拒みました。一方、宦官の長は、「王を恐れている。」とあります。それは私たちの姿です。この社会で信仰者として歩む時に、人を恐れたり、人の目を気にして悩まされ、明確な態度を取りにくいと感じることがあります。
 しかし、9節に、「神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるようにされた。」と記されています。私たちが勇気を持って信仰によって立つ時に、神は必ず最善をなしてくださることを教えられます。神は、私たちの思いを越えて、恵みとあわれみとを得させてくださいます。
神は異教の地で囚われの身であってもダニエルたちを愛し、彼らの信仰生活を守られました。どのような状況にあっても、どのような立場であっても、神は変わらずご自身の民を愛し守ってくださいます。この一年、私たちも主の恵みとあわれみを受けつつ、主を信頼して歩んでいきたいものです。

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