経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

5月25日礼拝メッセージ要約

2008-05-26 09:55:40 | 礼拝
聖書:ガラテヤ人への手紙6:11-18
メッセージ:“復活の主の愛にとらえられて(Ⅴ)-イエスの焼印を帯びて-”

Ⅰ:十字架を誇りとするクリスチャン
 「私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」当時割礼を受けた者は迫害を受けずにすみました。しかしクリスチャンの誇りとするのは十字架です。

Ⅱ:自分と世の間に十字架が立てられているクリスチャン
 「この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」
 「新しい基準」聖書のみことばを基準として生きていきます。十字架によってきよめられ、日々新たにされていきます。

Ⅲ:焼印を帯びたクリスチャン
 「私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。」焼き印は当時奴隷につけられていました。パウロは自分のことをキリストのしもべと呼んでいます。パウロは宣教の旅に出かけられました。「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く。」(イザヤ30:21)主が不思議をもって私たちを導かれ用いられます。キリストのしもべ・遣わされた者として御心を行なっていきます。 
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5月18日礼拝メッセージ要約

2008-05-19 11:39:55 | 礼拝
聖書:ガラテヤ人への手紙5:25~6:10
メッセージ:復活の主の愛にとらえられて(Ⅳ)-永遠のいのちを刈り取る生活-

Ⅰ:御霊に導かれて進んでいく生活
 「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」互いにいどみ合ったり、そねみ合ったり、虚栄に走ることがないようにします。柔和な心で正してあげます。互いの重荷を負い合います。

Ⅱ:蒔いたものは刈り取ります
 「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」私たちの群、EC教団は、200年前、ペンシルベニアダッチのために、ジェイコブ・オルブライト師により宣教がなされたのが始まりです。一粒の麦が死ねば豊かな実を結びます。いのちを刈り取る、実を結ぶ種を蒔いていきます。

Ⅲ:主の器官同士支え合います
 「私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。」一つの家族として互いに善を行ない支え合っていきます。
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5月11日母の日・ペンテコステ礼拝メッセージ要約

2008-05-12 10:40:44 | 礼拝
聖書:ガラテヤ人への手紙5:25-6:5
メッセージ:“御霊によって生きる”

Ⅰ:御霊によって生きるとは、愛に導かれ生きることです
 「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」
 御霊の実は愛することです。愛を分析すると、愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制です。箴言31:10-17には愛に導かれ生きる母親の姿が示されています。

Ⅱ:御霊によって生きる人は、人を正します
 「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。」
 「正す」とは、網を繕う。漁師たちが網を繕う。人生の破れを繕うことです。
 「彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。」(箴言31:20)

Ⅲ:御霊によって生きるとは、互いの重荷を負い合うことです
 「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」
 「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という一語をもって全うされます。」(5:14)
 信頼関係の中、相手の破れ・ほころびを直し、互いの重荷を負い合う者となさせください。
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5月4日こどもの日礼拝メッセージ要約

2008-05-07 09:37:34 | 礼拝
聖書:ヨハネ10:1-15
メッセージ:“豊かないのちを与える羊飼い”

Ⅰ:羊飼いは羊と心が通じ合います
 羊飼いはイエス様を、羊は私たちをさしています。羊飼いは羊の名を呼び囲いの外に連れ出し、群の先頭に立ち牧草地に導かれます。羊は羊飼いの声を知っているのでついて行きます。羊は弱く迷いやすく、そして敵に襲われやすいので集団で行動します。生きていくためには羊飼いが必要です。私たち人間も同じです。羊飼いなるイエス様は、迷いやすく、弱い私たちを正しい道へと導かれます。心が通じ合っているのでついて行きます。イエス様との信頼関係、また人との信頼関係を築いていくことができますように。

Ⅱ:羊飼いは羊を守り、養います
 「わたしは羊の門です。」「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」
 イエス様によって救われ、永遠のいのちが与えられます。門であるイエス様を通って安全に出入りができ、生活の安全が保障され、牧草にありつけます。
 詩篇23篇「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」

Ⅲ:羊飼いは羊に豊かないのちを与えます
 「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てました。イエス様は私たちの救い、いのちのために十字架にかかられました。イエス様の犠牲により豊かないのちが与えられます。
 「だれでもわたしに付いて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16:24-25) イエス様を信じ、豊かないのちに生きる者となさせください。
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