経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

10月24日礼拝「イスラエル王国④-選ばれたダビデ-」

2021-10-24 20:48:23 | 礼拝
サムエル記第一16章1~13節

 主はサムエルに「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。くよくよしていないで、さあ、油を持って、ベツレヘム人エッサイのところへ行くように。彼の息子の中に新しい王を見つけたから」と言われました。主はすでにサウルを退け、新しい王を選んでいたのです。しかし、サムエルはそう言われても、気持ちがついていきません。サウル王は民が望んだ最初の王でしたし、サムエル自身が油を注ぎ任命した王です。サムエルはサウルにばれたら恐ろしくて、どうしてそのようなことができるのかと答えます。主は、「一頭の雌の子牛を手にして、礼拝のために来たとし、エッサイを祝宴に招いて、その時、わたしはあなたがなすべきことを教える。あなたはわたしが言う人に油を注げ」と命じました。サムエルは、サウル王の目を避けるようにしてユダ部族の地ベツレヘムを訪れます。町の長老たちは、「平和なことでおいでになったのですか。」と恐れながら彼を迎え入れました。サムエルは「平和なことです。礼拝をささげるために来た」と答え、エッサイと彼の子たちを祝宴に招きました。

 エッサイの子供たちが来た時、サムエルは長男のエリアブを見て、「きっと、主の前にいるこの者が、主に油を注がれる者だ」と思い、声に出そうとしました。しかし主はその時サムエルに言われます。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。」私たちは、どうしても、容貌や外見で人を判断してしまう者です。しかし、主は(7)「人はうわべを見るが、主は心を見る」と記されているように、主はその人の心の状態を見られます。主は、御前にへりくだり、主に信頼し、主のことばに聞き従う人を求めておられます。次に、エッサイは次男アビナダブを呼びましたが、サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言います。続いてエッサイは三男のシャンマを呼びますが、サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言います。こうしてエッサイは7人の息子たちをサムエルの前に呼びましたが、サムエルは「主はこの者たちを選んではおられない。」と伝えます。それで、サムエルはエッサイに「子どもたちはこれで全部ですか。」と尋ねると、エッサイは「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」と答え、彼を連れて来させると、その時、主は言われました。(12)「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」サムエルは油を取り、兄弟たちの真ん中で末の子ダビデの上に油をそそぎました。その日以来、主の霊がダビデの上に激しく下りました。一方、神様の霊が離れたサウルは、「わざわいの霊」によって、恐れと不安でおびえていました。サムエルから厳しく戒められ、いつ自分の王位が奪われるかと、極度の神経過敏症になっていたのでしょう。サウルは家来の勧めで、竪琴を上手な弾き手を連れて来るように命じると、ダビデが遣わされました。彼は王が精神的に不安定になるたびに穏やかに竪琴を弾き、王の心を静めるのでした。

 私たちも神様によって選ばれた者です。(ヨハネ15:16)「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」そして選ばれた一つ目の理由は、「それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため」です。次の17節では、「あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。」と言われました。神様が私たちを選んだのは、互いに愛し合い、愛の実が結ばれていくためです。選ばれた二つ目の理由は、「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」主の御名によって父に求めるものはすべて与えてくださるためです。以前は祈ることを知りませんでしたが、今はイエスの名によって祈ることができます。それは大きな特権です。イエス様にお頼りして歩んでまいりましょう。この秋、豊かな実が結ばれていきますように。
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10月17日礼拝「イスラエル王国③-聞き従う-」

2021-10-17 21:28:38 | 礼拝
サムエル記第一13章8~15節,15章17~23節
  
 当時、イスラエルはペリシテと敵対していました。サウルはイスラエルの兵士たちを招集してヨルダン河畔のギルガルに陣を敷きました。ペリシテ人は、戦車3万、騎兵6千、兵士は海辺の砂のように多くいました。一方サウルの兵は3千人、しかも手にしていたのは、鋤やくわ、斧、鎌などの農具でした。サウルとその息子のヨナタンだけが剣を持っていました。イスラエル人はひどく追い込まれ、洞穴や岩の間、水溜の中に隠れました。サウルと共にいた兵士たちもみな震えおののいていました。この時、サウルは戦いの前にサムエルを招き、主にいけにえを捧げて勝利を祈ってもらうことになっていました。サウルは来ることになっていたサムエルの到着を待ちましたが、7日間待ち、例祭の時になっても、肝心のサムエルは来ませんでした。今にも敵の大軍が攻めてくるかもしれない。戦列を離れて逃げ出そうとする者まで出てきます。このような切羽詰まった状況の中で、サウルはじっとしておれず、(9)「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私のところに持って来なさい」と言って、自分で全焼のいけにえを捧げてしまいました。それは王がすべきことではなく、祭司だけに許されたことでした。サウルが全焼のいけにえを捧げ終えたその時、なんと、サムエルが姿を現したのです。サムエルは叱責します。(11)「あなたは、何ということをしたのか。」サウルは弁解します。(11~12)「兵たちが離れて行こうとしていたし、今にも敵が襲って来ようとしていたので、あえて、全焼のささげ物を献げたのです。」切羽詰まった状況の中で、いたしかたなかったと言わんばかりです。ところがサムエルは「愚かなことをしたものだ。あなたは、主が命じた命令を守らなかった。あなたの王国は長くは続かない。他のふさわしい人を王に立てている」と言って神の怒りを告げたのです。サウルは、危機的な状況の中にも神がすべてを治めておられるということを見失っていました。イスラエルを守る者はサウルではなく、神です。もし彼が本当に神を信頼していれば、最後までサムエルの到着を待つべきでした。

 15章には、アマレク人との戦いについて記されています。主はサムエルを通して、アマレクの町のものをすべて滅ぼすように命じました。そこで王が呼び掛けると、二十一万人もの兵士が集まりました。王はアマレクの王アガグを生け捕りにし、アマレクに勝利しました。しかし、すべてのものを滅ぼさずに、家畜の中で良いものを残しておいたのです。主の命令に従わず、すべてのものを滅ぼしませんでした。サムエルがサウルのもとへ行くと、サウルは自分の不忠実な姿勢を顧みるどころか、(13)「私は主のことばを守りました。」と言いました。するとサムエルは、(14)「では、私の耳に入るこの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」と聞くと、サウルは(15)「アマレク人のところから連れて来ました。兵たちは、あなたの神、主に、いけにえを献げるために、羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。しかし、残りの物は聖絶しました。」と答えます。サウルはどうして、主の命令に従って、すべての家畜を滅ぼさなかったのでしょうか。それは(24)民を恐れたからです。サウルは神の目よりも人の目を優先しました。(15)「民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。」しかしそうであったとしても、主の命令に聞き従わなければならなかったのです。サウルはイスラエルの諸部族のかしらではあり、主に油をそそがれたイスラエルの王であることを忘れてはならなかったのです。民を恐れるのではなく、主を恐れて、主のことばに聞き従うべきでした。するとサムエルは(22)「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」と指摘されました。心から従う思いがないのに形だけささげ物をしても、神様はお喜びになりません。何よりも神様が喜ばれることは、罪を悔い改めて、神様のことばに耳を傾け、聞き従う心なのです。
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10月10日礼拝「イスラエル王国②-王を立てる-」

2021-10-11 10:16:59 | 礼拝
サムエル記第一8章1~9節,12章19~25節

 サムエル記8章には、サムエルが年老いた時のことが記されています。サムエルはこれまで、士師として預言者として、長年、忠実に主に仕えイスラエルを守り治めてきました。しかしこの時、彼は年老いたので、自分に代わって二人の息子たちをさばきつかさとして任命しました。長男はヨエル、次男はアビヤ、彼らはベエル・シェバでさばきつかさをしていました。(3)「しかし、この息子たちは、父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた。」と、正しい道を歩んでいませんでした。そのため、イスラエルの長老たちは、ラマにいるサムエルのところにやってきて、(5)「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」と、新しい王を求めました。サムエルは顔をしかめて、不快感を表しました。(6)「そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。」と記されているように、それは罪であり、彼の目には悪としか見えませんでした。

 (6)サムエルは主に祈りました。主も自分と同じ考えをお持ちになるはずだと思っていました。しかし、意外な答えが返ってきました。(7)「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。」彼は驚いたことでしょう。主は続けて言います。民はあなたを拒んだのではなく、主である私が王として治めることを拒んだのだ。彼らはエジプトの時からこれまで同じことを繰り返している。自分が退けられているように思うかもしれないが、彼らはあなたではなく、今回も、主である私を退けたのだと言われたのです。この民の要求の根底には、神への不信仰、神を軽んじる思いがあったのです。サムエルはいったん王を立ててしまうと、労役や徴税などが課せられると警告しますが、民は聞き入れず、「私たちの上には王が必要です」と言い続けました。でもなぜ、神はご自分を退けるような民の要求を聴き入れたのでしょうか?容易に退けることもできたはずです。でもあえて受け入れたのは、どうやら、失敗を通して教えようとされたようです。私たちがあくまでも自己を主張し、自分の思いを貫こうとするとき、神はあえてストップをかけない場合があるようです。神様から離れてみて、自分がいかに恵みの中にいたかということを知ることになるのです。

 神は、サウルが父の雌ろばを捜す過程でサムエルと出会うようにされます。それを機会に、サウルはやがてイスラエルの王としてサムエルから油を注がれ、イスラエルの初代の王となりました。神は民の願いに応えて王を立ててくださいました。しかし、ほどなくして、民は、王政の要求が間違っていたことを思い知ることになるのです。しかし、サムエルは、王を求めたことが罪であったと気づいた民に、罪を指摘しながらも、(12:22)「主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。」今後は、(12:24)「ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。」と勧められたのです。私たちにとって主がなされた大いなることとは何でしょうか。それは、神がひとり子イエス様を与えてくださったことです。すなわち、神が私たち罪人をどんなに愛されたかということです。そして今も聖霊によって、その神の愛が私たちのうちに注がれています。この恵みの中に私たちは今も生かされているのです。主の愛に満たしてください。ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えていけますように。
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10月3日礼拝「サムエルの召命」

2021-10-04 10:28:40 | 礼拝
サムエル記第一3章1~14節

 サムエルは、エフライムの山地に住むエルカナの子として産まれました。エルカナには二人の妻がいて、一人はハンナ、もう一人はペニンナでした。ペニンナには子どもがいましたが、ハンナには子どもがいませんでした。当時子供がいないということは軽蔑され、ペニンナからもひどく悩まされ、涙の日々が長く続いていました。ハンナと夫は毎年、シロの町に出かけて主の宮で捧げものをしていました。ある時、ハンナはこの主の宮で、泣きながら神様に誓願を立てて祈りました。(11)「万軍の主よ。もし、あなたがはしための悩みをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そして、その子の頭にかみそりを当てません。」神様はハンナの切なる祈りに答えて下さいました。年が改まって、ハンナは身ごもって男の子を産みました。そして「私がこの子を主にお願いしたのだから」と言って、サムエルと名前を付けました。サムエルとは、「神が聞かれる」と言った意味です。ハンナの熱心な祈りによって生まれたがサムエルです。ハンナはサムエルが乳離れするまで自分のもとで育て、乳離れすると、約束どおり主の宮の祭司エリのもとに連れて行きました。

 少年サムエルは成長し、祭司エリのもとで仕えていました。この頃は、神のことばや幻もほとんど示されない霊的に極めて深刻な状態でした。少年サムエルは、シロの町にあった主の神殿で生活していたのですが、エリが老齢のために弱ってきていたので、彼の代わりに燭台が置いてあるところで夜番をしていました。(4~5)ある夜、夜明け前と思われますが、主がサムエルを呼ばれました。するとサムエルは「はい。ここにおります。」と言って、それが主のことばであることを悟らず、祭司エリが呼んだものと思い、エリのところに急いで走って行きました。「はい。ここにおります。お呼びになりましたので」と言うと、エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」とサムエルを帰しました。三度同じことが繰り返されたので、エリはそれが主のことばであると悟り、今度呼ばれたら、「主よ、お話しください。しもべは聞いております。」と申し上げるように伝えました。このように、サムエルは主のことばを聞くことを学んでいきました。

(10)主は再び「サムエル。サムエル。」と呼びました。これで4回目です。サムエルは、エリから教えられたように「お話しください。しもべは聞いております。」と申し上げました。サムエルに伝えられたのはエリの家に神から厳しいさばきが下るという重い内容でした。彼の息子たちが罪を犯しているのを知りながらやめさせようとしなかったためです。これまで、主のことばがまだ示されていなかったサムエルにとって、突然の主の語りかけは衝撃だったでしょう。しかも師であるエリへの裁きでした。サムエルはこのことをエリに語るのを恐れました。しかし、エリが隠さずすべて話すように命じたので、サムエルは神様のさばきのことばを何も隠さずにエリに伝えました。すると、エリは(18)「その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。」と、主のことばを素直に受け止めました。その後も、主がサムエルと共におられ、彼が語ることばは地に落ちることなく実現していきました。彼は成長して預言者として立てられていきます。エリが高齢となり、また息子たちの罪のゆえに祭司としての務めを果たすことが難しくなっていたこの時、主は若いサムエルを召されました。私たち一人ひとりも救われた者として召命を受けています。今でも主はご自身の働きのために働き人を必要としています。主は私たちを用いようとされています。主が呼ばれる御声にお応えしていきましょう。
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