経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

7月11日礼拝「山上の説教②-地の塩・世の光-」

2021-07-12 14:54:03 | 礼拝
マタイの福音書5章13~16節 

  (13)「あなたがたは地の塩です。」と、イエス様を信じて神の民とされた者はすでに「地の塩」であると言われました。塩にはいくつかの働きがあります。一つは腐敗を防ぐ働きです。当時イエス様が生きた時代では、冷蔵庫もなく、輸送手段も発達していなかったので、食品を保存するには塩は欠かすことができませんでした。そのために、魚や肉を塩漬けにしました。そうすると長く取っておくことができたからです。「地の塩」の「地」とは、罪が蔓延しているこの世のことを指しています。私たちはこの地上で腐敗を食い止める塩の役割が期待されているのです。また塩には、料理の味付けという役割があります。塩は調味料として料理に欠かすことができないものです。ごはんを握っただけのおにぎりでは味気がありませんが、塩をつけて握ればおいしさが引き立ちます。ほんの少しの塩がいろいろな食べ物や料理をおいしくしてくれます。塩は食べ物、料理には欠かすことができないものです。私たちクリスチャンも、この世でいてもいなくてもどっちでもいい存在ではなく、なくてはならない存在です。 (13)「もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。」塩の存在理由は、塩気があるということです。その塩気がなくなってしまえば、役に立たず捨てられてしまうということです。塩は塩のためにあるのではなく、他の食べ物のためにあります。私たちも塩味の効いたことばで人を生かし、相手の徳を高めていく存在です。少数派ですが人々にまたこの世界に良い影響を与えていく者として期待されています。

(14)「あなたがたは世の光です。」と言われました。「世」とは、罪の世を表しています。この世は悲しいことが絶えない暗い世界です。それは人の罪のせいです。神の栄光を輝かさないようにする罪の力がこの世に働いています。そのような暗闇の世界に、イエス様はすべての人を照らすまことの光として来られました。そしてまた、「あなたがたも世の光」と言われます。イエス様は信じる者にご自身と同じ使命を与えられました。(14~15)「山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。」当時の明かりは、深皿に油を注ぎ、灯心を入れただけの簡素なものでした。高く燭台の上におかれた明かりは、家のすべての人たち照らしました。光は周りを照らすためにあります。(16)「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」「良い行い」とは、人に好意を寄せられるとか、犠牲的なという意味があります。あなたがたの光を人々の前で輝かせ、神ご自身の栄光が現わされるようになるためです。

 (エペソ5:8~9)「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。」私たち、以前は闇の中にいた者でしたが、今は光の中を歩む者とされました。光の性質は愛であり、いのちであり、光の実が結ばれていきます。でも自分のような者が「地の塩・世の光」なのか、自分を通して父なる御名があがめられるのかと思うかもしれません。自分で輝くことはできません。自分の内に光がないからです。イエス様の光をいただいて光り輝くことができるのです。イエス様の愛をいただいて人を愛することができる者です。私たちは主にあってすでに「地の塩・世の光」とされました。塩味の効いた生かす言葉で相手の徳を高め、より良い豊かな人間関係が築かれていきますように。この世にあって光の実が結ばれていきますように。父なる神があがめられますように。
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