経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

7月4日礼拝「山上の説教①-幸いな者-」

2021-07-05 14:59:43 | 礼拝
マタイの福音書5章1~12節 

 この時すでに、イエス様は多くの病人や悪霊につかれた人たちを癒していたので、イエス様の名声は今やガリラヤだけでなく、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向う岸まで及んでいました。大勢の群衆が一目でも彼の姿を見、その教えを聞きたいと集まって来ました。その多くはローマの圧政に苦しめられ、重税に泣く民衆たちでした。戦争はありませんでしたが、ローマに占領されその支配下に置かれているので、夢も希望もありませんでした。幸福への夢があったとしても、それはむなしいもので、現実はあきらめの連続のような毎日でした。イエス様は山に登り、幸せへの道をおもむろに語り始めたのです。(3)「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」イエス様は開口一番「幸いです」と言った時、人々は思わず身を乗り出してイエスのことばに耳を傾けたことでしょう。誰もが幸福を求めていたからです。ところがイエス様は次に、「心の貧しい者」が幸いだと言われたのです。聞いていた群衆はほとんど貧しい生活をしていました。お金がなくて食事も十分に食べれない人、ボロの服を着ている人、そのような人が、はたして幸福なのでしょうか。「貧しい」と訳されたことばは、「物乞い」とか、何も持っていない「破産者」の意味です。全く打ち砕かれた敗北者であり、乞食です。神様に物乞いする人のことです。「心の貧しい人」とは、神様に御頼りしなければ到底生きていけないと、ひたすら、神さまにより頼む人のことを言います。では、なぜ心の貧しい人は幸いなのでしょうか?「天の御国はその人たちのものだからです。」「天の御国」とは、「神の支配」という意味です。天の御国とは、この世にあって神が支配され、共にいてくださるところです。主イエスがこの地に来られたことによって始まった神の恵みと愛によるご支配のことです。そのような天の御国が心の貧しい人に約束されているのです。それゆえに、心の貧しい人々は幸いなのです。

 (4)「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」寂しさで、孤独の中で悲しむ者は神様からの慰めを受けることができるからです。(5)「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」心優しい人、神の前にへりくだり、神が語られることに素直に従う人は、神の国を受け継ぎます。(6)「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」「義」とは神様との正しい関係を指し、魂の飢え渇く者は、キリストによって真の満足が与えられるのです。(7)「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」他人にあわれみを分け与えることのできる者は幸いです。その人たちはさらに神の豊かなあわれみを受けるようになるからです。(8)「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」心のきれいな純真な人、ひたすらに神を求める者は、神がどのような方であるかが分かるようになります。(9)「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」争いがあるところに和解をもたらす働きをする人は神の子と呼ばれ、子としての身分を与えてくださるのです。(10)「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」イエス様を信じて迫害に遭っている者は、天において大きな報いがあります。イエス様は誰も相手にしてくれず、自分はダメだと絶望している人のことろへ行って友だちになられました。どうしようもない罪人を、引き受けられました。悲しんでいる人を捜し求めてその人のところへ行かれました。だから、イエス様に出会って慰めが与えられるのです。イエス様は悲しんでいる人を求めていかれるのです。同じように、柔和な人、義に飢え渇いている人、あわれみ深い人、心のきよい人、平和をつくる人、義のために迫害されてきた人たちを求めておられるのです。イエス様が尋ねていかれるからこそ、彼らは幸いです。私たちも幸いな者です。悲しむ者に寄り添い、柔和な心で、あわれみ深い者とならせてください。きよい心で平和をつくる者とならせてください。
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