少子高齢化による家族葬が増えていると聞く。
先日妻の母が、15年もに及ぶ長い闘病生活の末、95歳で亡くなった。
すでに他界した父と同様、生まれは青森県だが、結婚し函館で居を構えた。親戚も代替わりになり疎遠になっているのでの、家族葬をとりおこなうことに決めた。
宗派は私と同じ浄土宗で、父の葬儀の時の若住職は、今ではご子息3人も住職になられ、月に170件の葬儀をこなしたことがあると、函館市の高齢化社会の現状など話してくれた。
葬儀社の社長はご住職と同年代で、3人の中では私が若干先輩である。
社長の父親は夕張で炭鉱マンだったが、閉山前に退職され実家がある函館に移り住んだという。函館市、夕張市、とどほっけ村と連なれば、話題は“まちづくり”の話に集中する。函館市の元気のなさは何が原因なのかに及んだが、共通した意見は、函館市役所が巨大化し過ぎ、考え方に斬新さが欠けるというものだった。
函館市内の葬儀は、関西資本のB社と地元老舗のH社が3分の2を占め、残りを数十社で取り合っている厳しい現状なども聞くことができた。
過疎化が進む田舎で、大きなまちより豪華なものは、結婚式と葬儀であろう。
住民のほとんどが出席するからだ。
無駄な出費と、誰の葬儀か結婚式かの自覚もないままのものも時にはある。
しかし家族葬の場合は、身内なので気心知れている分、騒動もあるようだ。
私たちは、心優しいご住職と葬儀社にも恵まれ、納得のいく葬儀が終了し、一同心をなで下ろしている。
※除雪で壊れた私のお気に入りの看板。
戦後我が国は、大きいものがいいと、もてはやされた時代が続いたが、3:11以降、小さなものでも大切するという“心の時代”がやってきたのではないかと、ふと感じることがある。
小さな村に住み、不便は確かに多いが、この小さな集落から“心の時代”を考えるヒントがあるのではないかと、考えたりもする。
そんな意味では、私たちの生まれた土地一帯は、国宝の「中空土偶」が出土した“縄文の故郷”である。
縄文の精神文化に学ぶことにより、「小さいけどきらりと光るまちづくり」が可能なのではないかと思った、家族葬だった。
函館市の火葬場は津軽海峡を見下ろす、函館山の麓にある。
晴れ渡る青空の向こうには、生まれ故郷の青森県が見える。
母はにっこり微笑んで、浄土の世界に旅立ったに違いない。
先日妻の母が、15年もに及ぶ長い闘病生活の末、95歳で亡くなった。
すでに他界した父と同様、生まれは青森県だが、結婚し函館で居を構えた。親戚も代替わりになり疎遠になっているのでの、家族葬をとりおこなうことに決めた。
宗派は私と同じ浄土宗で、父の葬儀の時の若住職は、今ではご子息3人も住職になられ、月に170件の葬儀をこなしたことがあると、函館市の高齢化社会の現状など話してくれた。
葬儀社の社長はご住職と同年代で、3人の中では私が若干先輩である。
社長の父親は夕張で炭鉱マンだったが、閉山前に退職され実家がある函館に移り住んだという。函館市、夕張市、とどほっけ村と連なれば、話題は“まちづくり”の話に集中する。函館市の元気のなさは何が原因なのかに及んだが、共通した意見は、函館市役所が巨大化し過ぎ、考え方に斬新さが欠けるというものだった。
函館市内の葬儀は、関西資本のB社と地元老舗のH社が3分の2を占め、残りを数十社で取り合っている厳しい現状なども聞くことができた。
過疎化が進む田舎で、大きなまちより豪華なものは、結婚式と葬儀であろう。
住民のほとんどが出席するからだ。
無駄な出費と、誰の葬儀か結婚式かの自覚もないままのものも時にはある。
しかし家族葬の場合は、身内なので気心知れている分、騒動もあるようだ。
私たちは、心優しいご住職と葬儀社にも恵まれ、納得のいく葬儀が終了し、一同心をなで下ろしている。
※除雪で壊れた私のお気に入りの看板。
戦後我が国は、大きいものがいいと、もてはやされた時代が続いたが、3:11以降、小さなものでも大切するという“心の時代”がやってきたのではないかと、ふと感じることがある。
小さな村に住み、不便は確かに多いが、この小さな集落から“心の時代”を考えるヒントがあるのではないかと、考えたりもする。
そんな意味では、私たちの生まれた土地一帯は、国宝の「中空土偶」が出土した“縄文の故郷”である。
縄文の精神文化に学ぶことにより、「小さいけどきらりと光るまちづくり」が可能なのではないかと思った、家族葬だった。
函館市の火葬場は津軽海峡を見下ろす、函館山の麓にある。
晴れ渡る青空の向こうには、生まれ故郷の青森県が見える。
母はにっこり微笑んで、浄土の世界に旅立ったに違いない。