函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

視界不良の国

2012年03月27日 16時01分15秒 | えいこう語る
福島原発事故から1年が過ぎたが、国民は放射線は薄れていると考えていやしないだろうか。いや、そう思いたいだけなのだ。
国民だって放射線は簡単には消えないということは知っている。だから、なおさらそう考えたいというのが人間の心理だろう。いやなことは忘れなければ、いつまで経っても解決しないという、心理が働くからだ。
そんな心理が強く作動したのか、原発周辺町村の役場が地元に戻り始めている。
広野町に続き川内村が元の庁舎に戻ってきた。役所として、まちの再生は急務だろうが、事故の収束がはっきりしないのに、あまりにも危険な行為である。
そんな記事が掲載された次の日に「2号機の原子炉格納容器の水位は、底から60センチ」と、東電が発表した。炉心溶融を起こし、毎時9トンの水を注入しているのである。ほとんど水が漏れているのだ。それも放射線に汚染された水である。にもかかわらず東電の発表は、「危険ではない」という。
東電が危険だという時は、たぶん「爆発した時」であろう。
周辺町村の役所も、原発誘致を推進した責任を強く受け止めていることは、充分理解できるが「カムバック故郷」キャンペーンには、住民の生命の安全を最優先してほしいものである。
※養殖昆布漁の朝。


福島県のある定時制高校で、こんな会話がされていたという。
「3号機が不調のようだね」という先生の問いに「いっそのこと原発全部が爆発すればいい」と生徒が答えたという。
「福島市はこんなに放射線が高いのに避難区域にならないのはおかしいのではないか。これって、福島とか郡山を避難区域にしたら、新幹線を止めなくちゃならないし、高速も止めなくちゃならない。要するに経済がまわらなくなるから避難させないということだろう。つまり、俺たちは経済の犠牲になって見殺しにされるのだろう」と、発言したそうだ。
事故当時、福島はチェリノブイリと同程度のレベルと判断されたのである。
「絆」という「復興キーワード」のもとに、私たちはこの事故を、心理的に過小評価してはならないと、東電の「危険ではない」という発表を聞いて、なおさら考えざるをえなくなる。
昨日の国会中継である。北朝鮮のミサイルを迎撃するという。北朝鮮側は「観測衛星」だという。それを打ち落とせば、北朝鮮政府は「宣戦布告」と判断しないだろうか。
福島の高校生の発言ではないが、政治不信がこれほど世の中に蔓延すると「大阪維新の会」のような、新・国家主義が台頭してくるのだろう。