函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

パトリオット函館撤収から

2018年08月04日 18時02分40秒 | えいこう語る

▼昨年の9月19日、北朝鮮からのミサイルを迎撃する地対空誘導弾(PAC3)が、函館市内の自衛隊基地に、市民には何の説明もなく配備された。

▼軍事機密を市民に公開するのは論外なのだろうが、普段、市民に慣れ親しんだ陸上自衛隊も、強力な武器を備えた軍隊になってしまうのではないかと、心配になったのを記憶している。

▼ただし、迎撃範囲が20キロ程度というのは、ミサイルを打ち落とす可能性がかなり低いものだという不安感が逆に作用し、おもちゃ程度の武器として市民がとらえたのか
、極端な拒否反応がなかったようだ。

▼これが地上配備型迎撃システム、イージス・アショアの配備ともなれば、配備した基地攻撃が想定されるので、市民の関心も相当大きかったに違いない。

▼だが、PAC3の配備を拒否反応もなく受け入れた函館市は、防衛省としては受け入れ可能地域とみてはいやしないか心配だ。

▼函館市は、一兆有事には津軽海峡封鎖の重要な軍事拠点だ。函館港の元青函連絡船の発着所(函館駅前)は、現在大型クルーズ船入港のために、海底を深くする工事が進められている。

▼工事が完了すると、10万トンクラスの客船がまち中に接岸できる。函館経済の大きな期待だ。だが、この深さは、米空母が容易に入港できる深さになるのだ。

▼函館市は将来、軍港観光都市の様相を深めるのではないかと心配する。函館山の山麓からは、ペリー提督の銅像が函館港を見つめているからだ。

▼私の妄想は杞憂で終わってほしいものだ。と言いながらも、市民の最大組織であり「安全・安心なまちづくり」を目指す、私も所属する市町会連合会の動きに注目したい。

▼駐屯地がある町会のT会長さんの談話だ。「北朝鮮のミサイルの標的になるPAC3がなくなってよかったが、北朝鮮は信用できない。いつ何が起きるかわからないという意識は持っていたい」と話す。

▼北朝鮮も信用できないかもしれないが、我が国の総理も、
平気で嘘をつくし、戦争をする国へと憲法を改正しようとしているのではないか。

▼私がそこの町会長なら「北朝鮮も我が国も信用できない。国防などというのは、使途不明の無駄遣いを増長させるのでないか」と発言するけど。

▼さらに基地周辺のK町会長。「住民は不安だった。配備の時も撤収のときも、自衛隊には簡単な説明だけでもしてほしかった」と、まっとうな発言だ。本来なら市町連会長が自衛隊に出向き、説明を聞くぐらいの積極的行動を持ってもらいたいものだ。

▼一方漁師からは、沖では逃げられないので、今なぜ撤去なのかという意見もある。市長は「米朝や南北会談を受け、
今は落ち着いていると判断したのだろう」と、静観している。

▼ただ、大間原発問題もそうだが、いつも変だと思うのは、我が市民の代表である市議会のコメントがないことだ。我が市議会は、集団的自衛権行使にも賛成なので、だんまりをこいているのかなと思う。

▼と、早朝からあれやこれやと勝手な思いをしていたら『函館市の人口26万人』を切ったという報道がされた。2045年には、函館は16万人と言われている。

▼私の地域も、その頃には、明治9年隣村から一村独立した当時の人口の、約500人になると予想している。まもなく、日本全体が明治期の人口に戻るという。

▼アベ総理の「アベノミクス」というのは、明治期の「富国強兵政策」と似てやしないだろうか。私は、この頃「明治は近くなりにけり」という気分になってきている。

▼最近、私は「国体論」に興味を抱いている。維新時に「一君万民」という考え方があって、天皇の下では国民がみな平等という考えが、吉田松陰などの考えだったという。

▼維新は「幕藩体制を崩壊」し「王政復興」という、左派的考え方のように見えるが、実は右派的であり「一君万民」は、天皇を中心とする「国体論」を築き上げていったのではないかというような、わかるようでよくわからないそんな本を読んでいる。

▼その本は「政治学者の中島岳志と宗教学者の島薗進の対談集」だ。【愛国と信仰の構造】全体主義はよみがえるか『アベ政権の背後の宗教ナショナリズムを切る!』「あの国体論が復活している!」という、興味惹かれるタイトルいっぱいの本だ。

▼アベ総理は、祖父の岸信介元総理を目指しているというが、実は明治天皇を目指しているのではないかと妄想を働かせる、今朝の私だ。