函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
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民主主義の暴走

2018年08月19日 19時29分55秒 | えいこう語る

▼9月の自民党総裁選挙で続投が確実なアベ総理は、次期国会に「自民党憲法改正案」を提出すると宣言した。対抗馬の石破茂元幹事長は9条改正について「国民の理解を得て世に問うべきもので、その努力がまだ足りていない」と、総理に苦情を呈している。

▼「原発再稼働」や「森友・加計問題」「文科省の不祥事」が次々起きても、アベ総理は国民の高い支持を集めている。この支持率が低下しない現象で一番危惧されるのは、外敵から国民を守るためには自衛隊を軍隊にするという考えに、国民がなびいてしまう現状になっているのではないかということだ。

▼アベ総理は、もはや【超】が付く【自意識過剰総理】だ。慶応大学の片山杜秀教授は、18日の北海道新聞で「神国日本が招いた敗戦」という見出しで『自意識過剰の日本が行きついた先が8月15日だ』と指摘している。

▼憲法改正は「国民投票」で過半数をとれば成立となっているが、石破氏がいうように、私たちの周囲では「国民投票」について話し合うというような機会がない。

▼その理由として、我が国の憲法は「国民主権」を謳っているが「和を以て貴しとなす」という国民性は、「政治的中立」という「波風立たせない」という精神が、色濃くあるのが原因のようだ。

▼イギリスの作家でギルバート・キイス・チェスタントが「死者のデモクラシー」ということをいっている。【彼は民主主義というものを正しく機能させるためには死者に投票権を与えようというのです。生きている人間だけが主権者で、何かを選べると思うなと。もちろん実際に死者が投票するわけではないが、その一票の中に死者との対話を含ませないとはいけない。そうでないと「民主主義は暴走する」。こういう感性を私たち近代は失ってしまっているのではないか】と。・・・中島岳志と島薗進共著「愛国と信仰の構造」(全体主義はよみがえるのか)より。

▼以前私が靖国神社を2日間参拝した時、耳と心を澄まし、境内に吹く風の中から靖国の英霊の言葉を聞いた。英霊たちは「二度と戦争をしてはならない」と囁きかけてきたのだ。

▼学徒出陣の学生たちに、当時流行した言葉が「シックザール」だ。ドイツ語で「運命」という。運命とは「従わざるを得なきもの」と解釈したという。そんな世の中は、二度と来てほしくないということなのだろう。

▼何度も言うが「9条改正」は「戦争ができる国」にしようということだ。憲法改正の国民投票では「死者のデモクラシー」を念頭に「民主主義の暴走を許さない」という国民の感性を、遺憾なく発揮しなければならないようだ。

▼前述した慶応大学の片山教授は、18日の新聞への投稿の冒頭で「日本は小国というには大きく、大国というには小さい。大国の傲慢さで世界に接するだけの実力はないが、小国の卑屈さに徹するほどに、自らを見限れもしない」という。

▼ある医師から、子供の頃背が高くてイジメられたと運命話を聞いたことがある。「大男総身に知恵はまわりかね」といわれた時「小男の身に余る知恵は知れたもの」と言い返したという。大国もどっち小国もどっちもどっちの現状のようだ。

▼「トランプとシンゾウ」という自意識過剰の日米の独裁者は「民主主義の暴走というゲーム」を弄んでいる。その暴走を止めるのは「国民主権」という「市民の権力」なのだ。

▼それを【民主主義】というのだが、我が国の戦後民主主義の成熟度が問われる「憲法改正」である。