陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

湯豆腐の楽しみ

2007-03-22 06:43:12 | 食べ物
 風邪がなかなか治らない。暖かいものを食べようというので、好物の湯豆腐を準備した。すると、何となく昔のことを思い出した。

 子供の頃は7人家族で、円形座卓が食卓であった。深さ7センチ位の大きなアルミ製平鍋に昆布を敷いて湯を張り、塩鱈の切り身、豆腐を3センチ角に切り入れて、家族が取り囲んで食べる。電気コンロで鍋をゆっくりと暖めていた。鍋の真ん中に、やはりアルミで出来た「たれ入れ」を置いた。それから温まったたれを汲み出し、刻みねぎと共に豆腐に掛ける。

 貧しい北海道の湯豆腐だったけれど、豆腐は固くて旨かった。当然、道産子大豆と天然にがりだけで出来ていたのだろう。何よりも、7人家族が揃って団欒しながら食事をするのが楽しかった。

 青年時代の湯豆腐は、魚、白菜、茸、春菊、葱、など色々入れて、専ら寄せ鍋風にして食べた。それで、40歳代まで湯豆腐はそんなものだと思い込んでいた。酒は、ビールが中心。

 偶々京都で湯豆腐を馳走になると、昆布と豆腐しか鍋に入っていない。物足らなくて、京都の人達はけちなのかなと思ったりした。その代わり、別に野菜てんぷらなど惣菜、加薬ご飯が付いている。

 50歳を過ぎると、鍋に入れるのは豆腐と鱈の切り身、それに少量の白菜だけになった。つまり豆腐自体を楽しむようになったのだ。だから、小さかった頃と同じスタイルに戻った。還暦を過ぎた今は、京都風の湯豆腐が好みとなった。

 一人で湯豆腐を楽しむ時は、まず土鍋に昆布を敷き、小型の専用炉で土鍋を暖めながら豆腐だけを入れる。鱈も不要だ。たれなども使わず、暖まった一口大の豆腐の上に生醤油をおろししょうがと共に掛け、刻み葱を配して食べる。妻は簡単で助かると大いに悦ぶ。

 国産大豆で、天然にがり使用の木綿豆腐を買うように頼む。それだと豆腐がしっかりしているし、何と言っても美味である。1丁150円位だろうか。昆布も利尻だとか贅沢なことを言わないで、切ってあるものを買ってくる。それで十分だ。酒は、熱燗を2本。それに、まぐろ納豆などあれば、もうご飯は不要。

 池波正太郎さんのご推薦は、豆腐と共に薄い銀杏切の大根を入れる。蛤を加えるとなお味が引き立つそうだが、まだ試していない。たっぷりとした出し汁に、剥き浅蜊を入れ、豆腐ではなく千本に切った大根をさっとゆでて食べるのは試したが、これは旨い。

 幕末に活躍した大村益次郎(村田蔵六)は、湯豆腐が大好物であった。明治2年9月、京都三条木屋町の旅館で友人と湯豆腐を食べていたところ、開化主義に反対する刺客に襲われて重傷を負う。それが原因で2ヶ月後に命を落とすわけだが、何とも無粋な刺客だ。

 京都の南禅寺境内には、老舗の湯豆腐屋が沢山ある。<聴松院>では、仲居さんが炭焜炉に土鍋を掛けて湯どうふを持ってくる。静謐な庭を見ながら、書院造りの縁側でゆっくりと味わう。午後3時頃入ったことがあるが、客は私一人でまことに贅沢であった。<奥丹>も美味しい湯豆腐を出すが、混むことが多い。

 嵐山なら、<森嘉(もりか)>製の豆腐が良い。これは、川端康成の「古都」にも出てくる老舗だ。冷奴で食べると甘い感じがする。この店の豆腐を使っているのは、近くの<清風>や<竹仙>などの湯どうふ屋で、器が凝っている。天竜寺境内にある<西山艸堂>も森嘉の豆腐を使うが、人気があるので食事時にはすごく混む。どの店も湯どうふお決まりコースを頼めば、熱燗2本を付けて大体5000円位か。

 その内に、湯豆腐用の木桶(電熱型)を入手して、ムードを楽しもうと思っている。但し、手入れが面倒な様ではあるが。
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