Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

いのち

2014年09月20日 | Weblog

                

我々が生きてゆくためには他の生き物の命を奪っていかなければならない。植物
にしろ動物にしろこの地上では皆夫々生きているわけであって、人間も否応なくそ
れらから命を頂いている。そう思えば、食べ物全てをおろそかにできないし、無駄
にも出来ない。


生活が苦しくて食うや食わずの貧しかったころは、もったいないという言葉が普段
の生活で極当たり前に使われていたけれど、飽食の時代の現在はどうかすると
そういうそういう言葉はすっかり忘れ去られて、TVの食べ物の番組などでは視聴
率第一で平気で無駄なことをしている。


田舎の漁港の観光客目当てのイベントで、狭いプールに放した魚をつかみ取りさ
せて騒いでいたけれど魚だって生き物、必死で逃げ回る。無邪気な子どもたちに
罪はないけれど、命を遊びの道具にしているみたいで、どうも見ていてあまり気持
ちよいものではない。


Edはあの魚の生き造りや海老の踊り食いみたいなものは嫌いである。半分生か
された状態で身を削がれたり、生きたままの海老を無造作にボキッと折ったりして、
「美味しい、美味しい」といいながら食べるのは残酷である。一辺だけ経験すれば
もう十分、という気がする。


野生の動物が他の生き物を襲って食べるのは、まさに己が生きるための止むを
得ざる行為であって、遊びや美味を求めて襲ったりはしない。第一逃げるほうも
必死だから、常に狩りが成功するわけではないらしく、自然界では一切の無駄が
ない。食べ物を捨てたり無駄にするのは飽食になった人間くらいのものであろう。


Edはパックされた食材に表示してある”賞味期限”にはあまり頓着しない。冷蔵庫
で保存している加工食品なら(生物以外)1~2週間”期限”切れでも食べてしまう。
それで腹を壊したこともないし平気である。戦後の食糧難を生き抜いてきた我々旧
い人間は、無菌状態の今の若い人たちよりバイ菌に大して強いのである。(笑)