3.11が起きたとき、GPSを使って陸地の僅かな歪みを定点観測していた研究
者がおられて、地震発生の少し前から歪みの進行が少なくなり、何故だろうかと
訝しく思っていたところへあの地震が発生し、その現象が歪みが限界に近づいて
いることを示す前兆だったと分かった、と話していたのを覚えている。
その方法で観測地点をもっと増やし、次に予測されている東南海地震に備えて
いるとは思うけれど、地球が相手ではやはりそれだけが決定的な予測手段なの
かどうか未だ分らない。つまり今のところ未だ”天災は忘れたころにやってくる”
という昔からの状況と大きな差はない。
以前、世の中に未来永劫続くものなどない、という意味のことを書いた。
若いころは先のことなど心配していないから、つい毎日が同じように続いてゆく
ものと漠然と思い込んでいる。
歳をとると、終りが近づいてくるせいか、今の生活が何時、どのように途絶えて
しまうのだろうか、と度々考えるようになる。
天災と同じで、何時か必ずやって来ることは分かっていても、それが何時だか
分らない以上、やはりその「怖れ」は漠然としたものでしかない。
ま、それだからこそ毎日漫然と生きてゆかれるのだけれど、心の片隅には常に
僅かな「怖れ」が残るようになったのは年齢によるものだろうか・・・