Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

汗顔の至り

2014年08月01日 | Weblog

                

命永ければ恥多し・・・という。Edも幼い頃、若い頃から今日に至るまで(そして
これからも)恥ずかしい思いや失敗を繰り返しながら生きてきた。


笑える失敗なら未だよいけれど、今もって後悔の念に刈られるような取り返し
のつかない大失敗もいくつかあって、それらは心に傷の如く残っており、忘れ
たくても忘れられない。いずれも後で考えて「あれは相手に失礼だった・・・」と
慚愧の年に駆られるのだ。


                                          

34歳だった。新製品の研修でスイス本社に半年単身赴任した。同僚たちは
Edのことを色々気遣ってくれて、休日にはトレッキングやキャンプに連れて行
ってくれたり、頭の悪い東洋人に手を尽くして難しい流体圧力波理論を教えて
くれた。6ヶ月後、帰国前日の晩にそういう仲間の人たちが一堂に集まってEd
の送別会をしてくれた。ワインと食事のあと主だったEdの”先生”数人が代わる
代わる挨拶をしてくれた。


Edは前もってメモを用意してあった。最後にそれを答辞で読むつもりだったの
に・・・大勢の前で拙い自分の英語で喋る勇気がなかなか出せず自ら立ち上が
らなかったので、ついにEdからの挨拶が無いまま会はお開きとなってしまった。
・・・あの時何故「私から一言」と云ってメモを読まなかったのだろう・・・今もって
自分の勇気の無さに臍を噛む思いと同時に、あれは彼らに対して真に失礼な
ことであり、取り返しのつかない大失態だったと思う。


                                         

32歳だった。出張で度々台湾・高雄へ行った。出張先のアルミ精錬会社の人
たちは年配の方は皆日本語を普通に喋れたから、言葉に不自由することがな
かった。このアルミ会社ではディーゼル発電プラントを導入していたからドイツ
人の技術者数人も長期滞在していた。従って夕食や飲み会は彼等と同席の
ことが多く、世話役の台湾人の呂さんはEdのことを何かと良くしてくれた。


その呂さんが、ある日ひょっこり日本に現れ、Edの勤務先へ訪ねてきた。突然
の来訪でEdは何の心積りも無かったなく彼を連れて夕飯を食べに会社を出た。
台湾に出張した時は彼から何度となく接待を受けていたのだから、本来ならお
世話になった彼に十分返礼をすべきだったのに、生憎その日は持ち合わせが
少なくて、ビル地下のレストランで軽い食事をしただけで帰してしまった。

お金は他人に借りてでも呂さんをきちんとした処へ連れていけばよかった、と
思っても後の祭りである。(Edは全く機転の利かない奴である!)


後で彼を接待できなかったことがひどく悔やまれ、呵責の念に駆られて仕方
なかった。今思い出しても呂さんには、世話になるだけなっておきながらお返
しも出来ず、本当に失礼だったと思う。


                  



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