その3と、その4では、登山道を歩きながら、動植物以外で、道筋で見かけたものを時系列に沿ってレポートします。
この記事では歩き始めから、八合目の女人堂を過ぎて、森林限界上を、九合目目指して歩いているところまでのレポートです。
朝の暗いうちから歩き始めました。これは涼しいうちに距離を稼いで、日差しの強い時はすでに気温の低い高地に着いて、行動したいと思ったからです。
六合半 ↓
04時33分。ここにはお百草の販売所がありましたが、今はその建物が取り壊されて整地されつつありました。
朝の光線 ↓
04時57分のことでした。 まだ涼しい中を歩いて行きます。
七合目休憩所 ↓
04時59分。 ここも店が開いているのを見たことがありません。
こういう道 ↓
木を横向きに敷きならべて、それなりの配慮が見えます。
七合目行場山荘 ↓
05時10分 ここを通った時は戸が閉まっていましたが、帰りには開いていて、「力餅」なるものを見本販売していました。
水場で朝食 ↓
05時11分 小屋のすぐそばに沢があり、水が流れていましたので、ここで朝食を取ります。
木段 ↓
道には木が敷き詰められていて、随分贅沢なことだと思いました。
ダケカンバ林 ↓
05時50分 すでにハイマツも現れて、あたりは亜高山帯と高山帯の混じった眺めとなっていますが、道は淀みなく登り勾配が続きます。
小さな沢を越えて ↓
この木橋を越えると、いよいよ高山帯の雰囲気が濃くなってきます。05時56分
ハイマツが連なる ↓
道の左側はハイマツが連なり始めました。
八合目が近い ↓
06時20分 八合目の女人堂が見えて来ました。あのあたりが森林限界になります。
八合目女人堂 ↓
06時23分 小屋の横に休憩所がありましたので、荷物を置いてあたりの素晴らしい眺めを堪能します。
行く手 ↓
これから行く先を眺めます。右端の一番高く見えるところに向かいますが、山腹に小屋が上下して二軒見えています。
また左端の峰は一番高い剣ヶ峰ですが、先の噴火時に重大な被害を受けた小屋群が小さく見えます。
女人堂前 ↓
その昔、この女人堂が女人結界だったようで、女性はここから御嶽の剣ヶ峰を遥拝したようです。
ここでお詣りしてから、また行動再開です。06時38分
残雪 ↓
山道に二か所雪が残っていて、それを踏んでいきます。
霊神1 ↓
06時49分 道はやがて霊神様が祀られたところから小尾根となります。
霊神2 ↓
山道を歩いて、こういうものが仰々しいもの「なんだかなぁ・・・・」と思いますね。
この口癖がお得意だった阿藤 快さんが亡くなってもう一年以上が経つのですね。
今度は鳥居 ↓
07時00分 流石に信仰登山の場だけのことはあります。霊神様や石碑、鳥居などが森林限界を超えてもどんどんでてきます。
この記事では歩き始めから、八合目の女人堂を過ぎて、森林限界上を、九合目目指して歩いているところまでのレポートです。
朝の暗いうちから歩き始めました。これは涼しいうちに距離を稼いで、日差しの強い時はすでに気温の低い高地に着いて、行動したいと思ったからです。
六合半 ↓
04時33分。ここにはお百草の販売所がありましたが、今はその建物が取り壊されて整地されつつありました。
朝の光線 ↓
04時57分のことでした。 まだ涼しい中を歩いて行きます。
七合目休憩所 ↓
04時59分。 ここも店が開いているのを見たことがありません。
こういう道 ↓
木を横向きに敷きならべて、それなりの配慮が見えます。
七合目行場山荘 ↓
05時10分 ここを通った時は戸が閉まっていましたが、帰りには開いていて、「力餅」なるものを見本販売していました。
水場で朝食 ↓
05時11分 小屋のすぐそばに沢があり、水が流れていましたので、ここで朝食を取ります。
木段 ↓
道には木が敷き詰められていて、随分贅沢なことだと思いました。
ダケカンバ林 ↓
05時50分 すでにハイマツも現れて、あたりは亜高山帯と高山帯の混じった眺めとなっていますが、道は淀みなく登り勾配が続きます。
小さな沢を越えて ↓
この木橋を越えると、いよいよ高山帯の雰囲気が濃くなってきます。05時56分
ハイマツが連なる ↓
道の左側はハイマツが連なり始めました。
八合目が近い ↓
06時20分 八合目の女人堂が見えて来ました。あのあたりが森林限界になります。
八合目女人堂 ↓
06時23分 小屋の横に休憩所がありましたので、荷物を置いてあたりの素晴らしい眺めを堪能します。
行く手 ↓
これから行く先を眺めます。右端の一番高く見えるところに向かいますが、山腹に小屋が上下して二軒見えています。
また左端の峰は一番高い剣ヶ峰ですが、先の噴火時に重大な被害を受けた小屋群が小さく見えます。
女人堂前 ↓
その昔、この女人堂が女人結界だったようで、女性はここから御嶽の剣ヶ峰を遥拝したようです。
ここでお詣りしてから、また行動再開です。06時38分
残雪 ↓
山道に二か所雪が残っていて、それを踏んでいきます。
霊神1 ↓
06時49分 道はやがて霊神様が祀られたところから小尾根となります。
霊神2 ↓
山道を歩いて、こういうものが仰々しいもの「なんだかなぁ・・・・」と思いますね。
この口癖がお得意だった阿藤 快さんが亡くなってもう一年以上が経つのですね。
今度は鳥居 ↓
07時00分 流石に信仰登山の場だけのことはあります。霊神様や石碑、鳥居などが森林限界を超えてもどんどんでてきます。
黒沢道は相変わらず木段が多いですね。歩幅が制限されるので苦手な道です。特に下りでは足が引っかかりそうで、危なくて仕方ないです。
森林限界を過ぎると、空の青さが際立って山岳展望に期待が膨らみます。
盛夏ですと山の朝はきれいな空が来ますね。
ところが午前8時を過ぎるころから水分蒸発が進んで空にガスが立ち篭め始めることが多くなります。
ですからきれいな空のもとで遠くまで視界を届かせようとすると、やはり朝早くからの行動が必須となります。
山の上部ではまだ雪が残っていて、雪渓のある斜面では危険なので通行を禁止している場所もありました。
この道は昔の御嶽講の名残なのでしょうか、木を横に敷き詰めてありますね。
随分贅沢な”自然破壊”だと思いますが、これによって道のぬかるみを解消したのではないでしょうか。
なにしろ昔は靴が無くて、草鞋での御嶽詣でだったでしょうから。
木があまりに細かく敷かれているのはそういう背景から来ているのかもしれませんね。
でも今後は自然保護の観点から、こういう道づくりは無くなっていくのではないでしょうか。
下りにカモシカ走りを取り入れて見える御身の場合は有難迷惑になることでしょう。
木の丸太ですから、特に雨で濡れた時にはよく滑りそうですね。
高山では空気が清澄で、遠くまで視野が利くので、その眺めを早く得たくて気が急きます。
御嶽山は、信仰の山ですのでどこも人工物がいっぱいありますね。
古いものは、景色の中に溶け込みますがここ10数年の新しい物を見ると、少しゲンナリします。
これも100年経てば景色になってしまうのでしょうか?
ハイマツ地帯を越えると一気に景色が変わりますね。涼しい空気感が感じられます。
神道にしても仏教にしても、今では随分抹香臭く感じますが、その当時の時代では最先端のものだった時もあったはずですね。
御嶽講にしても江戸時代ならば流行りであったはずで、石碑なども建立ラッシュだったでしょうね。
ですからその当時は真新しい石碑が立ち並び、それが当時のハイカラだったかもしれません。
その風潮は今でも一部の御嶽講に受け継がれてきている可能性もありますね。
ただし、山にきて、こういう人工物がぎっしりとあたりを埋めているのも違和感がありますね。
自然というものは、手を付けないのが一番良いと思いました。
森林限界を超えると景色が一変して、別世界に入り込んだ感じがしますね。